(c) 2017 zero one film, Terz Film
第2次世界大戦後のドイツで活動した前衛芸術家のヨーゼフ・ボイスは思索は彫刻であるという思想をもとに、芸術で「社会を彫刻する」ことを目指した。大学の方針に背いて解雇されたり、緑の党の結党に参加するなどアーティストであると同時に、教育者、社会活動家としても活躍した。
映画はそのヨーゼフ・ボイスの資料映像と関係者へのインタビューからボイスの活動の全容を探っていく。
ヨーゼフ・ボイスはエネルギッシュだが映画は眠い
序盤から、ヨーゼフ・ボイスのアバンギャルドな作風が紹介され、思索=彫刻という考えからロンが展開され、さらに1980年代にすでに資本主義や金融の問題点を指摘して、独自の金融システムを持つことの重要性を言うなど、ボイスの思想家としての凄さは伝わってくる。
ただ、彼の考えや生き方を理解して共感するのはなかなか難しい。ヨーゼフ・ボイスは人々に「考えろ」といい、考えるべきだということには同意するけれど、この映画だけを見て考えるというのはかなり難しい。
簡単に言えばついていけないのだ。だから眠くなってしまう。ボイスの思想か作品が用意に理解できるなら、映画も十分に理解できるのだろうけれど、それがなかなか難しい。
(c) 2017 zero one film, Terz Film
映画の失敗とは言わないけれど、かなり見る人を選ぶ映画になってしまっている印象は否めない。あるいは、何度か見ればわかってくるのかも知れないが、私はボイスという人物にそこまで惹かれなかったので、もう一度見てみようという気持ちにもなかなかならなかった。
本当は周辺情報を調べたり、ボイスについて書いた本なんかを読めばいいのだろうけれど…
革命は芸術によってしか起きない
そんなこともありながら、それでも彼の考え方には共感できる部分が多い。先に上げた資本主義云々の話もそうだし、革命は芸術によってしか起きないという考え方もそのとおりだと思う。
革命というのは究極的には人々の考え方をガラリと変える出来事だ。人々がそれまで支持していた政体を捨て、新たな政体を支持する、そのためにはかなり多くの人の考えを変えなければいけない。
人の考える方法は色々あるが、基本的には人は他社とのコミュニケーションによって変わる。外からなにかの情報がもたらされなければ自分の考えを変える必要は生まれないからだ。その外部からの情報には政治家や思想家の論もあるが、まあ大体そういうものは退屈で多くの人に響くことはほとんどない。
それに対して芸術は受け取る人の感情に訴えかけるから響きやすい。芸術の響きが考えを変えるところまで至るのは難しく、めったに起こることではないが、それでも理屈よりは可能性が高いだろう。
(c) 2017 zero one film, Terz Film
ただヨーゼフ・ボイスは革命を起こすことはできなかった。ボイス自身は革命を起こすには著名なリーダーの力が必要になると言っている。ボイスは著名ではあったがリーダーとしての資質はあまりなかったようだ。だから緑の党でも活躍することはできず革命も起こせなかった。
現代の革命は著名なリーダーの力ではなく無名な大衆の力で起きる。実際に起きてはいないが、革命の可能性を感じさせるのはリーダーなき大衆の力だ。そんな現代においてヨーゼフ・ボイスの思想を私たちはどう受け止めるか。「バンクシーも影響を受けた」と言われているが、バンクシーは匿名でいることで、まさに大衆による革命を芸術によって実現しようとしているように見える。
大衆に受け入れられかつ革命へとつながる思想性を備える芸術をどう作るか、そんな課題を現代のアーティストに付きつけるのがこの映画なのかも知れない。
https://youtu.be/Ts8uihS0snI
『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』Beuys2017年/ドイツ/107分監督・脚本:アンドレス・ファイエル撮影:ヨーク・イェシェル音楽:ウルリッヒ・ロイター、ダミアン・ショル
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