いまやすっかり有名人のマイケル・ムーアが2002年に撮り、出世作となった『ボウリング・フォー・コロンバイン』。

ミシガン州で生まれ、銃とともに育ち、少年のころにはNRA(全米ライフル協会)から賞をもらったという経歴を持つジャーナリストのマイケル・ムーア。彼が1999年4月20日コロラド州リトルトンで起こった2人の少年による銃乱射事件をきっかけにして撮った、アメリカの銃社会に関するドキュメンタリー。

しかし、社会問題として真摯に捉えるというよりはユーモアたっぷりに「アメリカはどこかおかしい」ということを語ってみせる。2人の少年の行動の理由になったといわれるマリリン・マンソンへのインタビュー、NRA会長チャールトン・ヘストンへのインタビューも織り交ぜ、多様な側面から銃社会に迫った作品。

私がこの作品を最初に見たのは2003年のこと、その時の感想をまず紹介します。基本的にこの映画は「銃」と「恐怖」についての映画ですが、それは人種差別とも密接に関わり、最終的には人種問題を扱う映画にもなっているので、最後にその事に少し触れたいと思います。

マスコミが煽る恐怖が殺人を増やす?

「なぜアメリカ人は銃で殺しあうのか?」という疑問。この映画には先ずさまざまな事実が盛り込まれる。アメリカでは銃による殺人の被害者が年間1万人以上、他のどこの国と比べても(国家や外国による虐殺を除けば)段違いに多い。

そして、アメリカがいかに他の国で虐殺を行ってきたかという事実も並べ立てられる。アフリカ、中南米、アジア、この事実の列挙は一つの教科書として非常にテキストになっている。アメリカ人もこれくらいのことは知っておいていいはずだし、知らないほうがおかしい。日本人だって知っておいたほうがいい。しかし、それがあまりに知られていないというのも事実である。それはマスコミが報道しないということが最大の原因だと思うが、それはこの映画の話からは大きくずれていくので、ここでは語らない。興味のある人はチョムスキーを読みましょう。

さて、アメリカ人が銃で殺しあう理由、その理由は何なのか、アメリカ人でないわれわれは先ずアメリカの銃があふれた現状に驚かされる。近所のスーパーで弾薬を買うことができる。なぜスーパーで弾薬を買わなければならないのか、なぜスーパーで買わなければならないほど弾薬を使うのか、そんな疑問はアメリカ人の頭に浮かばないのだろうか? 銃を使用する人の利便性のために市民の安全を犠牲にしているとしか私には見えないのだけれど。

この映画は基本的にアメリカ人に向けて作られている。銃の名前なんかが当たり前のように出てきて、解説もないけれど、アメリカ人には常識の範疇らしい。そんなことも含めて、先ずアメリカという国に対する違和感を覚える。

銃があるから犯罪が起こるんだろうと単純に思う。しかし、ムーアは同じように銃がたくさんあるのに犯罪はあまり起こらないカナダを取り上げて、もっと深いところの原因を探ろうとする。

マイケル・ムーアは自分自身がジャーナリストであることもあってか、ジャーナリズムの責任を追求する。日々殺人事件や銃撃戦ばかりを報道するニュース番組、表象的なショッキングな映像を流すだけで、その原因を探ったりしようとしない。そして、そのような映像が視聴者に与える“恐怖”こそが、銃犯罪の原因なのではないかという。

マスコミにあおられた“恐怖”という視点、これはまさに目を開かれるような視点だった。恐怖が憎悪を生み、憎悪がまた恐怖を生む、その悪循環、それを描いたアニメも挿入されていて、面白い。言葉で言われてもピンとこないだろうけれど、映画を見ればすっきりわかる。“恐怖”こそがアメリカをこのようにしてしまっている原因なのだと。そしてイラクで行われている戦争もこの“恐怖”が引き起こし、民間人を殺してしまったり、友軍のヘリを撃ち落としてしまったりするのも“恐怖”に大きくかかわっているのだと。

そのような視点を与えてくれるということでこの映画は非常にいいし、自分の行動によって映画を作り上げていくというやり方がとても面白い。

根深い恐怖と差別

改めてこの作品を見て思うのもやはり「恐怖」のこと。中でも印象的だったのがカナダとの違いで、カナダにも銃がたくさんあり(狩猟がメジャーなのが理由)、多様な人種が共存しているのに、カナダでは銃による殺人はほとんど起きない。その違いを生む理由はやはりアメリカ人が抱える「恐怖」だという。

そして、その恐怖と憎悪は白人から黒人へと向かうことが多く、それがアメリカの激しい人種差別を生む。報道で犯人が”Black Male”であると繰り返し伝えられることで、黒人男性=犯罪者というイメージが形作られていくのだ。

そんなわけ無いと思うかも知れないが、案外そんな単純なことから差別は起きる。アメリカの黒人差別はもっと長く根深い歴史があるものだが、それが亡くなるどころか強化されるばかりなのには、マスコミによる印象操作(無意識的であっても)の影響がないとは言えないだろう。

この映画の最後はNRA会長のチャールトン・ヘストンへのインタビューで話は銃に戻るが、そこでも人種の話が飛び出し、人種間の対立が多くの殺人の原因となっていることが明らかになる。

それを止めるためにどうしたらいいかはわからない。ただ、マイケル・ムーアはこのままではいけないと訴える。この映画がやろうとしているのは、無意識にやってしまっていたことを顧みて行動を見直させることだ。聞く耳を持たない人ももちろんいる、でも少しでも自分の行動を省みる人が出てくれば社会は少しずつ変わっていく。マイケル・ムーアはそこに希望をいだいているのではないだろうか。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』
Bowling for Columbine
2002年/カナダ=アメリカ/120分
監督:マイケル・ムーア
脚本:マイケル・ムーア
撮影:ブライアン・ダニッツ、マイケル・ムーア
音楽:ジェフ・ギブス
出演:マイケル・ムーア、マリリン・マンソン、チャールトン・ヘストン

https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/06/bowling4c_1.jpg?fit=485%2C264&ssl=1https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/06/bowling4c_1.jpg?resize=150%2C132&ssl=1ishimuraMovieVODドキュメンタリー,マイケル・ムーア
いまやすっかり有名人のマイケル・ムーアが2002年に撮り、出世作となった『ボウリング・フォー・コロンバイン』。 ミシガン州で生まれ、銃とともに育ち、少年のころにはNRA(全米ライフル協会)から賞をもらったという経歴を持つジャーナリストのマイケル・ムーア。彼が1999年4月20日コロラド州リトルトンで起こった2人の少年による銃乱射事件をきっかけにして撮った、アメリカの銃社会に関するドキュメンタリー。 しかし、社会問題として真摯に捉えるというよりはユーモアたっぷりに「アメリカはどこかおかしい」ということを語ってみせる。2人の少年の行動の理由になったといわれるマリリン・マンソンへのインタビュー、NRA会長チャールトン・ヘストンへのインタビューも織り交ぜ、多様な側面から銃社会に迫った作品。 私がこの作品を最初に見たのは2003年のこと、その時の感想をまず紹介します。基本的にこの映画は「銃」と「恐怖」についての映画ですが、それは人種差別とも密接に関わり、最終的には人種問題を扱う映画にもなっているので、最後にその事に少し触れたいと思います。 マスコミが煽る恐怖が殺人を増やす? 「なぜアメリカ人は銃で殺しあうのか?」という疑問。この映画には先ずさまざまな事実が盛り込まれる。アメリカでは銃による殺人の被害者が年間1万人以上、他のどこの国と比べても(国家や外国による虐殺を除けば)段違いに多い。 そして、アメリカがいかに他の国で虐殺を行ってきたかという事実も並べ立てられる。アフリカ、中南米、アジア、この事実の列挙は一つの教科書として非常にテキストになっている。アメリカ人もこれくらいのことは知っておいていいはずだし、知らないほうがおかしい。日本人だって知っておいたほうがいい。しかし、それがあまりに知られていないというのも事実である。それはマスコミが報道しないということが最大の原因だと思うが、それはこの映画の話からは大きくずれていくので、ここでは語らない。興味のある人はチョムスキーを読みましょう。 さて、アメリカ人が銃で殺しあう理由、その理由は何なのか、アメリカ人でないわれわれは先ずアメリカの銃があふれた現状に驚かされる。近所のスーパーで弾薬を買うことができる。なぜスーパーで弾薬を買わなければならないのか、なぜスーパーで買わなければならないほど弾薬を使うのか、そんな疑問はアメリカ人の頭に浮かばないのだろうか? 銃を使用する人の利便性のために市民の安全を犠牲にしているとしか私には見えないのだけれど。 この映画は基本的にアメリカ人に向けて作られている。銃の名前なんかが当たり前のように出てきて、解説もないけれど、アメリカ人には常識の範疇らしい。そんなことも含めて、先ずアメリカという国に対する違和感を覚える。 銃があるから犯罪が起こるんだろうと単純に思う。しかし、ムーアは同じように銃がたくさんあるのに犯罪はあまり起こらないカナダを取り上げて、もっと深いところの原因を探ろうとする。 マイケル・ムーアは自分自身がジャーナリストであることもあってか、ジャーナリズムの責任を追求する。日々殺人事件や銃撃戦ばかりを報道するニュース番組、表象的なショッキングな映像を流すだけで、その原因を探ったりしようとしない。そして、そのような映像が視聴者に与える“恐怖”こそが、銃犯罪の原因なのではないかという。 マスコミにあおられた“恐怖”という視点、これはまさに目を開かれるような視点だった。恐怖が憎悪を生み、憎悪がまた恐怖を生む、その悪循環、それを描いたアニメも挿入されていて、面白い。言葉で言われてもピンとこないだろうけれど、映画を見ればすっきりわかる。“恐怖”こそがアメリカをこのようにしてしまっている原因なのだと。そしてイラクで行われている戦争もこの“恐怖”が引き起こし、民間人を殺してしまったり、友軍のヘリを撃ち落としてしまったりするのも“恐怖”に大きくかかわっているのだと。 そのような視点を与えてくれるということでこの映画は非常にいいし、自分の行動によって映画を作り上げていくというやり方がとても面白い。 根深い恐怖と差別 改めてこの作品を見て思うのもやはり「恐怖」のこと。中でも印象的だったのがカナダとの違いで、カナダにも銃がたくさんあり(狩猟がメジャーなのが理由)、多様な人種が共存しているのに、カナダでは銃による殺人はほとんど起きない。その違いを生む理由はやはりアメリカ人が抱える「恐怖」だという。 そして、その恐怖と憎悪は白人から黒人へと向かうことが多く、それがアメリカの激しい人種差別を生む。報道で犯人が'Black Male'であると繰り返し伝えられることで、黒人男性=犯罪者というイメージが形作られていくのだ。 そんなわけ無いと思うかも知れないが、案外そんな単純なことから差別は起きる。アメリカの黒人差別はもっと長く根深い歴史があるものだが、それが亡くなるどころか強化されるばかりなのには、マスコミによる印象操作(無意識的であっても)の影響がないとは言えないだろう。 この映画の最後はNRA会長のチャールトン・ヘストンへのインタビューで話は銃に戻るが、そこでも人種の話が飛び出し、人種間の対立が多くの殺人の原因となっていることが明らかになる。 それを止めるためにどうしたらいいかはわからない。ただ、マイケル・ムーアはこのままではいけないと訴える。この映画がやろうとしているのは、無意識にやってしまっていたことを顧みて行動を見直させることだ。聞く耳を持たない人ももちろんいる、でも少しでも自分の行動を省みる人が出てくれば社会は少しずつ変わっていく。マイケル・ムーアはそこに希望をいだいているのではないだろうか。 https://youtu.be/HhHYTdO4Gqc 『ボウリング・フォー・コロンバイン』Bowling for Columbine2002年/カナダ=アメリカ/120分監督:マイケル・ムーア脚本:マイケル・ムーア撮影:ブライアン・ダニッツ、マイケル・ムーア音楽:ジェフ・ギブス出演:マイケル・ムーア、マリリン・マンソン、チャールトン・ヘストン https://eigablog.com/vod/movie/bowling-for-clumbine/
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