
『ヘアスプレー』はシンプルに面白い青春映画であり、音楽が黒人差別を解消してきた歴史を物語る映画でもある。
2007年に製作されヒットしたミュージカル映画。公民権運動が盛り上がりを見せる1960年代の高校生の姿を描いた青春ミュージカルで、原案はジョン・ウォーターズによる1988年の同名映画。

又吉直樹原作の映画『劇場』は「なんのために生きるのか」を問う
画廊に飾られた作品に目を留めた男と女、男は女を誘うとするが金がなく諦めようとするが、二人は結局カフェで話をすることに。その男・永田は同級生と劇団を立ち上げた売れない劇作家、女・沙希は服飾学校に通う学生だった。 しばらくし

『ブラック・クランズマン』は楽しいサスペンス・コメディだが、人種差別と映画の100年を考えさせる映画でもある。
1979年、コロラド州コロラド・スプリングス、警察官募集(マイノリティ歓迎)の横断幕を見て警察官に応募した黒人のロン・ストールワースは、唯一の黒人警察官として見事に採用されるも退屈な仕事しか任されず、署長に潜入捜査をさせ

黒人はなぜ殺され暴動が起きたのか。『ドゥ・ザ・ライト・シング』から考える黒人自身と社会の問題
後をたたない白人警察官による黒人の殺害事件。起きるたびに大きく報道され、抗議活動が行われてきました。その歴史をたどることももちろん有意義ですが、映画はそれをどう扱ってきたのかを振り返ると、暴行事件とアメリカ社会と黒人の関
『ヘアスプレー』はシンプルに面白い青春映画であり、音楽が黒人差別を解消してきた歴史を物語る映画でもある。
2007年に製作されヒットしたミュージカル映画。公民権運動が盛り上がりを見せる1960年代の高校生の姿を描いた青春ミュージカルで、原案はジョン・ウォーターズによる1988年の同名映画。
このままでは誰も幸せになれない。白人警察官による黒人射殺は本当に人種問題なのか『ブラインドスポッティング』で考える。
後をたたない白人警察官による黒人容疑者の殺害事件、そんな事件を扱った映画の一つがこの『ブラインドスポッティング』です。 ただ、事件がメインテーマというわけではなく、事件を目撃してしまった黒人青年とその親友の白人青年の人種
ただただ辛く胸糞悪い、『それでも夜は明ける』の12年の奴隷生活がえぐるアメリカの人種差別の残忍さ。
南北戦争前のアメリカで自由黒人として暮らしていた男性が、騙されて奴隷として売られ南部で12年に渡る奴隷生活を送ることになる。実在の自由黒人ソロモン・ノーサップが書いた自叙伝“12 years a slave(12年、奴隷
警察官に殺された黒人男性の最後の一日『フルートベール駅で』で感じる社会の不平等と平等に訪れる死
2009年の元日、サンフランシスコ市のフルートベール駅で警官に射殺されたオスカー・グラント。彼の生涯最後の1日となった2008年12月31日を描いた作品。 2013年の作品だが、#BlackLivesMatter 運動の
『プラダを着た悪魔』はコメディの皮を被った社会派映画 ― ファッションと欲望と人間と社会と
ジャーナリスト志望のアンディは有名ファッション誌“RUNWAY”の名物編集長ミランダのアシスタントの職を見つける。ファッションにまったく興味がない彼女はダサい服で面接に行くがなぜか採用される。しかし、ミランダは人を人とも
小津安二郎が『東京物語』で描いた戦後日本の家族と社会の変容を現代から見ると
日本映画の巨匠といえばまっさきに名前が上がる二人が黒澤明と小津安二郎です。その小津安二郎の代表作といえば『東京物語』、私も大好きな映画の一つです。 『東京物語』が名作と言われる理由は様々あります。小津独自のスタイルである
「滅びゆく街」を描く9時間の大長編『鉄西区』から見える、中国の人々のつながりと国家との微妙な関係
いまや中国を代表するドキュメンタリー作家の一人となった王兵(ワン・ビン)のデビュー作にして代表作の『鉄西区』。ワン・ビンは1999年から3年間に渡り中国北東部瀋陽の工業地域・鉄西区で暮らしながら映画を撮影した。1930年
又吉直樹原作の映画『劇場』は「なんのために生きるのか」を問う
画廊に飾られた作品に目を留めた男と女、男は女を誘うとするが金がなく諦めようとするが、二人は結局カフェで話をすることに。その男・永田は同級生と劇団を立ち上げた売れない劇作家、女・沙希は服飾学校に通う学生だった。 しばらくし
「男か女か」しかないことの意味は?『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』を見てLGBTQを自分ごとにする。
子供の頃に自分の性別(女性)に違和感を覚え、赤いランドセルを拒否し、中学に入るとセーラー服を拒否し、性同一性障害の診断を得て男子生徒として通学することを認められた空雅が主人公のドキュメンタリー映画。女性からホルモン治療や
悲劇の偉大な芸術家『氷上の王、ジョン・カリー』、フィギュアと芸術とAIDSと世間と孤独
イギリス人の少年ジョン・カリーは、バレエを習いたいと思っていたが父親から反対され、スケートを習い始める。メキメキと上達した彼はフィギュアスケート選手として国際舞台に立つようになり、1976年インスブルック・オリンピックの