後をたたない白人警察官による黒人の殺害事件。起きるたびに大きく報道され、抗議活動が行われてきました。その歴史をたどることももちろん有意義ですが、映画はそれをどう扱ってきたのかを振り返ると、暴行事件とアメリカ社会と黒人の関係が見えてきます。

そのような映画の中でも最も重要と言えるのがスパイク・リー監督の1989年の作品『ドゥ・ザ・ライト・シング』。

ブルックリンの黒人地区の猛暑の一日を描いた作品ですが、その平凡な一日の最後に暴行死事件が起こります。映画としてはネタバレになってしまいますが、事件が起きることを知っていても映画の味わいは変わらないというか、むしろ知っていたほうが映画をより味わえると思います。

働かない黒人

主人公は黒人の若者ムーキー、これをスパイク・リー自身が演じていますが、ムーキーはイタリア人のサルが経営するピザ店のデリバリー係、とはいえとても真面目に働いているとは言えず、一度配達に出れば30分帰ってこないのは当たり前、ときには家でシャワーを浴び、ときには恋人と息子の家を(ピザを持ったまま)訪れます。

街の他の住人も、巨大なラジカセでパブリック・エネミーを流し続けるラジオ・ラヒーム、酔っぱらいのメイヤー、日がな一日通りを眺めているマザーシスター、通りでただ与太話をしているだけの3人組、一日中ふざけているだけの若者4人組(うち一人を演じるのは若き日のマーティン・ローレンス)、マルコムXはやキング牧師の写真を売り歩くどもりのスマイリーなどダメな奴ばかりです。

それに対してピザ店を経営するのはイタリア系のサルとその二人の息子であり、向かいの雑貨店を営むのは韓国人の家族と黒人地区でありながら黒人たちはちっとも働いていません。

自分勝手な黒人たちと社会

この映画を構成するのは与太話と小さな諍い、ストーリーのようなものはほぼありません。

その中で黒人たちと異なる人種の人達との関係が一つ映画のポイントになっています。

最も端的に表れるのはサルの店で、長男のピノがサルに「店を売ってイタリア人街に行きたい」と言う場面。ピノは黒人に対してかなりの差別意識を持っていて、事あるごとに黒人たちを蔑むような発言をしています。それに対してサルはこの街での商売に誇りを持っているから動くつもりはないと答えます。確かにサルは黒人たちと喧嘩はするけれどメイヤーに優しくしたり、街の人達と深いところで関係を築いていて差別意識もない。ただイタリア系であることに誇りを持っているというだけ。このサルと黒人たちの対立しているわけでもなく仲間でもなくでも共存している関係というのが実は重要なのです。

もう一か所、与太話ばかりしている3人組が韓国人の雑貨店が来て1年しかたってないのにどうしてうまくやっているのかと話し合う?場面があります。ここで彼らは黒人は馬鹿なのかという疑問を出し、それを否定しながらでもうまく行かないのは黒人だから説明がつかないという結論に達します。そして「黒人は口でいうだけで何もしない」というのです。

実際、この映画に登場する黒人たちの多くは自分勝手で自分の利益を声高に主張するばかりで他人の言うことには耳を傾けません。映画の途中でキング牧師の「聞く人を持たない会話は独白でしか無い」という言葉が引用されたり、メイヤーに対して若者たちが「独り言言ってるんじゃねー」というような言葉で返したり、この「聞く耳を持たない」ことが批判的に扱われます。

スパイク・リーはこのことが黒人の立場をより悪くしていると考えているのではないかと映画を見ながら思いました。イタリア系のサルや韓国人の家族は黒人たちの言葉を聞き、行動しているのに、黒人たちは彼らに文句を言うばかり。そこに黒人の側にある問題を提起しているのです。

特にムーキーはそんな無責任な黒人の典型として描かれています。サルはムーキーに親切にしているのにムーキーはそれをありがたく思うこともなく、むしろ文句ばかり言っています。店が終わる前に給料をくれと言ったり、店の電話で長電話をしたり。

妹のジェイドはその言動に対して「いつまでフラフラするの、もううんざり」というようなことを言います。ジェイドはちゃんと仕事をしているしっかり者なのです。

ここに黒人社会の現状が現れていえます。

ジェイドのように(おそらく)自分の力で道を切り拓いていける人もいる一方で、大多数は思うようにならずイライラばかりが募り、その責任を外に転嫁する。その外というのは異人種の人たちであり、社会による差別です。

そこに暴行死事件のようなことが起きるとイライラは一気に爆発し、暴動へと発展します。この映画はそのイライラの醸成の仕方と社会との緊張関係を見事に描いているのです。そして、その暴動の引き金を引いたのがムーキーであるところにこの映画の主張が現れているのです。

でも、ムーキーもよりよい生活を手に入れたいし、そのために変わりたいと思っています。決して悪い人間ではないのです。それでもいらいらをつのらせ暴動を起こしてしまう。そんなムーキーたちが無数にいるのがアメリカの黒人社会なのです。そしてその状況は30年以上がたっても、ほとんど変わっていないのです。

脇役の造形が生む味わい

ここまでは、人種関係の話ばかりになってしまいましたが、この映画の味わいはもっと深いと久しぶりに見て思いました。特に、メイヤーとサルの人物の造形の仕方が素晴らしい。

メイヤーは酔っ払いの老いぼれのように見えて実はしっかりした人物で、時々出る過去を伺わせる発言から、過去に多くの苦労があり、でも誠実に生きてきたことがわかります。

サルも怒りっぽいおっさんのように見えますが、それは自分の仕事に誇りを持っているからで、譲らないところは譲らず、でも街のため人々のために良かれと思ってやっていて、だから店は繁盛しているのです。

黒人社会や白人社会というと対立関係や違いに目が行きがちですが、こういうしっかりとした人たちが社会を作り維持してきたことに目を向ける必要はあるのではないでしょうか。せっかく維持してきた社会がちょっとしたきっかけで壊れてしまうのは本当にもったいないですから。

ジェイドは途中で「やるなら街のためになることをやりな」みたいなことも言っていて、この言葉にぐっと来ました。街というのは自分のすぐ近くにある社会であって、それを考えることから自分のことだけを考えるのではなく他人のことも考える生き方が始まる、ジェイドはそう言いたかったのではないでしょうか。

どうしても暴力に目が行きがちですが、大切なのは暴力が生まれないようにすること。そのために何ができるかを考えると、ジェイドやサルやメイヤーのあり方に目が行くのです。

白人警察官による黒人の殺害事件がなぜ起きるのか、起こらないようにするにはどうしたらいいのか、それを考えるために材料はこの映画に間違いなくありました。

『ドゥ・ザ・ライト・シング』
Do The Right Thing
1989年/アメリカ/120分
監督:スパイク・リー
脚本:スパイク・リー
撮影:アーネスト・ディッカーソン
音楽:ビル・リー
出演:ダニー・アイエロ、スパイク・リー、ビル・ナン、ジョン・タトゥーロ、ジャンカルロ・エスポジート、マーティン・ローレンス

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https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/06/dorth2-600x400-1.jpg?fit=600%2C400&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/06/dorth2-600x400-1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraFeaturedMovieVODスパイク・リー
後をたたない白人警察官による黒人の殺害事件。起きるたびに大きく報道され、抗議活動が行われてきました。その歴史をたどることももちろん有意義ですが、映画はそれをどう扱ってきたのかを振り返ると、暴行事件とアメリカ社会と黒人の関係が見えてきます。 そのような映画の中でも最も重要と言えるのがスパイク・リー監督の1989年の作品『ドゥ・ザ・ライト・シング』。 ブルックリンの黒人地区の猛暑の一日を描いた作品ですが、その平凡な一日の最後に暴行死事件が起こります。映画としてはネタバレになってしまいますが、事件が起きることを知っていても映画の味わいは変わらないというか、むしろ知っていたほうが映画をより味わえると思います。 働かない黒人 主人公は黒人の若者ムーキー、これをスパイク・リー自身が演じていますが、ムーキーはイタリア人のサルが経営するピザ店のデリバリー係、とはいえとても真面目に働いているとは言えず、一度配達に出れば30分帰ってこないのは当たり前、ときには家でシャワーを浴び、ときには恋人と息子の家を(ピザを持ったまま)訪れます。 街の他の住人も、巨大なラジカセでパブリック・エネミーを流し続けるラジオ・ラヒーム、酔っぱらいのメイヤー、日がな一日通りを眺めているマザーシスター、通りでただ与太話をしているだけの3人組、一日中ふざけているだけの若者4人組(うち一人を演じるのは若き日のマーティン・ローレンス)、マルコムXはやキング牧師の写真を売り歩くどもりのスマイリーなどダメな奴ばかりです。 それに対してピザ店を経営するのはイタリア系のサルとその二人の息子であり、向かいの雑貨店を営むのは韓国人の家族と黒人地区でありながら黒人たちはちっとも働いていません。 自分勝手な黒人たちと社会 この映画を構成するのは与太話と小さな諍い、ストーリーのようなものはほぼありません。 その中で黒人たちと異なる人種の人達との関係が一つ映画のポイントになっています。 最も端的に表れるのはサルの店で、長男のピノがサルに「店を売ってイタリア人街に行きたい」と言う場面。ピノは黒人に対してかなりの差別意識を持っていて、事あるごとに黒人たちを蔑むような発言をしています。それに対してサルはこの街での商売に誇りを持っているから動くつもりはないと答えます。確かにサルは黒人たちと喧嘩はするけれどメイヤーに優しくしたり、街の人達と深いところで関係を築いていて差別意識もない。ただイタリア系であることに誇りを持っているというだけ。このサルと黒人たちの対立しているわけでもなく仲間でもなくでも共存している関係というのが実は重要なのです。 もう一か所、与太話ばかりしている3人組が韓国人の雑貨店が来て1年しかたってないのにどうしてうまくやっているのかと話し合う?場面があります。ここで彼らは黒人は馬鹿なのかという疑問を出し、それを否定しながらでもうまく行かないのは黒人だから説明がつかないという結論に達します。そして「黒人は口でいうだけで何もしない」というのです。 実際、この映画に登場する黒人たちの多くは自分勝手で自分の利益を声高に主張するばかりで他人の言うことには耳を傾けません。映画の途中でキング牧師の「聞く人を持たない会話は独白でしか無い」という言葉が引用されたり、メイヤーに対して若者たちが「独り言言ってるんじゃねー」というような言葉で返したり、この「聞く耳を持たない」ことが批判的に扱われます。 スパイク・リーはこのことが黒人の立場をより悪くしていると考えているのではないかと映画を見ながら思いました。イタリア系のサルや韓国人の家族は黒人たちの言葉を聞き、行動しているのに、黒人たちは彼らに文句を言うばかり。そこに黒人の側にある問題を提起しているのです。 特にムーキーはそんな無責任な黒人の典型として描かれています。サルはムーキーに親切にしているのにムーキーはそれをありがたく思うこともなく、むしろ文句ばかり言っています。店が終わる前に給料をくれと言ったり、店の電話で長電話をしたり。 妹のジェイドはその言動に対して「いつまでフラフラするの、もううんざり」というようなことを言います。ジェイドはちゃんと仕事をしているしっかり者なのです。 ここに黒人社会の現状が現れていえます。 ジェイドのように(おそらく)自分の力で道を切り拓いていける人もいる一方で、大多数は思うようにならずイライラばかりが募り、その責任を外に転嫁する。その外というのは異人種の人たちであり、社会による差別です。 そこに暴行死事件のようなことが起きるとイライラは一気に爆発し、暴動へと発展します。この映画はそのイライラの醸成の仕方と社会との緊張関係を見事に描いているのです。そして、その暴動の引き金を引いたのがムーキーであるところにこの映画の主張が現れているのです。 でも、ムーキーもよりよい生活を手に入れたいし、そのために変わりたいと思っています。決して悪い人間ではないのです。それでもいらいらをつのらせ暴動を起こしてしまう。そんなムーキーたちが無数にいるのがアメリカの黒人社会なのです。そしてその状況は30年以上がたっても、ほとんど変わっていないのです。 脇役の造形が生む味わい ここまでは、人種関係の話ばかりになってしまいましたが、この映画の味わいはもっと深いと久しぶりに見て思いました。特に、メイヤーとサルの人物の造形の仕方が素晴らしい。 メイヤーは酔っ払いの老いぼれのように見えて実はしっかりした人物で、時々出る過去を伺わせる発言から、過去に多くの苦労があり、でも誠実に生きてきたことがわかります。 サルも怒りっぽいおっさんのように見えますが、それは自分の仕事に誇りを持っているからで、譲らないところは譲らず、でも街のため人々のために良かれと思ってやっていて、だから店は繁盛しているのです。 黒人社会や白人社会というと対立関係や違いに目が行きがちですが、こういうしっかりとした人たちが社会を作り維持してきたことに目を向ける必要はあるのではないでしょうか。せっかく維持してきた社会がちょっとしたきっかけで壊れてしまうのは本当にもったいないですから。 ジェイドは途中で「やるなら街のためになることをやりな」みたいなことも言っていて、この言葉にぐっと来ました。街というのは自分のすぐ近くにある社会であって、それを考えることから自分のことだけを考えるのではなく他人のことも考える生き方が始まる、ジェイドはそう言いたかったのではないでしょうか。 どうしても暴力に目が行きがちですが、大切なのは暴力が生まれないようにすること。そのために何ができるかを考えると、ジェイドやサルやメイヤーのあり方に目が行くのです。 白人警察官による黒人の殺害事件がなぜ起きるのか、起こらないようにするにはどうしたらいいのか、それを考えるために材料はこの映画に間違いなくありました。 https://youtu.be/1BuofKbl70E 『ドゥ・ザ・ライト・シング』Do The Right Thing1989年/アメリカ/120分監督:スパイク・リー脚本:スパイク・リー撮影:アーネスト・ディッカーソン音楽:ビル・リー出演:ダニー・アイエロ、スパイク・リー、ビル・ナン、ジョン・タトゥーロ、ジャンカルロ・エスポジート、マーティン・ローレンス この作品が含まれる特集 https://socine.info/2020/06/15/blacklivesmatter/ https://eigablog.com/vod/movie/do-the-right-thing/
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