1995年、ワシントンで黒人男性による100万人大行進が実施されることとなった。LAからその行進に参加するためのバスに乗車した中には、初老の“オヤジ”や息子を手錠でつないで歩く父親、ゲイのカップル、映画監督志望の青年などがいた。3日間にわたるワシントンへの旅の中で、彼らはいろいろなことを議論する。

スパイク・リーが95年のワシントン大行進をモチーフに現代の黒人社会の問題を描いた佳作。

一枚岩ではない黒人社会

3日間をバスの中で過ごす十人あまりの人々、人種差別反対運動の一大イベントとして企画された100万人大行進に参加するという共通の目的を持っていながら、彼らは簡単には打ち解けない。UCLAのパーカーを来た映画監督志望の青年X(スパイク・リー自身がモデルだろう)がカメラを向けることはその人々を不快にさせることも多いが、彼の行動は人々を少し近づける。しかし、ハリウッド・スターを気取る売れない俳優はゲイのふたりにあからさまな差別意識をあらわにし、隣に座った男の母親が白人だからといって彼と距離を置く。彼のこの行動が黒人社会内の差別/逆差別の構造をあからさまに示す。黒人社会とひとくくりにされるけれど、それは決して一枚岩ではなく、100万人大行進というのはそのばらばらな黒人社会を何とかまとめようというしい行動なのだということがわかる。

60年代に行われたという100万人大行進は公民権運動の一環として“黒人”が団結し、自分達の権利を白人社会に対して訴えるイベントだったと思うのだが、95年の大行進は黒人社会内部に向けて団結を訴えるイベントだったのだろう。このバスに乗った人々はその行進にたどり着く前のバスの中でその団結に少しずつ近づく。特に、旅の途中のメンフィスで拾ったアフリカ系アメリカ人の自動車ディーラー(黒人のことを“ニガー”と呼ぶ共和党員)への反感からその団結は強まる。

この作品はそんな地味な物語だ、非常に小さな物語を積み重ねることで、麻薬も銃もセックスも登場させることなく黒人社会を描いていく。犯罪をにおわせるのは父親が息子をつないでいる手錠だけだが、この父親と息子の関係も黒人社会にひとつの側面を非常にうまく表現した小さな物語になる。そして、敬虔なイスラム教徒の格好をした男、白人との混血の男、アフリカの太鼓を持ち込んだ初老の“オヤジ”、彼らの背景や関係が明らかになっていく中で、そこには小さな物語が次々と生まれ、一つ一つが小さな輝きを放つ。

スパイク・リーが“黒人映画”を撮らなくて良くなる日

スパイク・リーにしては非常に地味な作品だけれど、会話だけで十分に楽しませてくれる作品だ。スパイク・リーはアフリカ系監督のリーダーとして犯罪やドラッグなどアフリカ系アメリカ人社会の暗部を描いてきたが、こういう作品を撮っても面白い。私はこの人は結構繊細な人で、どこかウディ・アレンと重なるところがあるようにも思える。彼がアフリカ系アメリカ人のために何かを訴える映画を撮らなくてもよい世の中が来たなら、ウディ・アレンのような作品を撮るのではないだろうか。

この作品にはユダヤ人のバス運転手も登場し、アフリカ系アメリカ人と差別されることについて会話を交わすが、同時に白人として黒人の視線に恐怖を感じるともいう。ユダヤ人であるウディ・アレンとアフリカ系であるスパイク・リー、典型的なニューヨーカーであるウディ・アレンと生粋のLAっ子のスパイク・リー、このふたりを比較してみるというのもなかなか面白いかもしれない。

『ゲット・オン・ザ・バス』
Get On The Bus
1996年/アメリカ/121分
監督:スパイク・リー
脚本:レジー・ロック・バイスウッド
撮影:エリオット・デイヴィス
音楽:テレンス・ブランチャード
出演:チャールズ・S・ダットン、イザイア・ワシントン、ビル・ハーパー、アンドレ・ブラウアー、オシー・デイヴィス

https://socine.info/wp-content/uploads/2020/06/getonthebus1.jpghttps://socine.info/wp-content/uploads/2020/06/getonthebus1-300x300.jpgishimuraMovieスパイク・リー,黒人映画
1995年、ワシントンで黒人男性による100万人大行進が実施されることとなった。LAからその行進に参加するためのバスに乗車した中には、初老の“オヤジ”や息子を手錠でつないで歩く父親、ゲイのカップル、映画監督志望の青年などがいた。3日間にわたるワシントンへの旅の中で、彼らはいろいろなことを議論する。 スパイク・リーが95年のワシントン大行進をモチーフに現代の黒人社会の問題を描いた佳作。 一枚岩ではない黒人社会 3日間をバスの中で過ごす十人あまりの人々、人種差別反対運動の一大イベントとして企画された100万人大行進に参加するという共通の目的を持っていながら、彼らは簡単には打ち解けない。UCLAのパーカーを来た映画監督志望の青年X(スパイク・リー自身がモデルだろう)がカメラを向けることはその人々を不快にさせることも多いが、彼の行動は人々を少し近づける。しかし、ハリウッド・スターを気取る売れない俳優はゲイのふたりにあからさまな差別意識をあらわにし、隣に座った男の母親が白人だからといって彼と距離を置く。彼のこの行動が黒人社会内の差別/逆差別の構造をあからさまに示す。黒人社会とひとくくりにされるけれど、それは決して一枚岩ではなく、100万人大行進というのはそのばらばらな黒人社会を何とかまとめようというしい行動なのだということがわかる。 60年代に行われたという100万人大行進は公民権運動の一環として“黒人”が団結し、自分達の権利を白人社会に対して訴えるイベントだったと思うのだが、95年の大行進は黒人社会内部に向けて団結を訴えるイベントだったのだろう。このバスに乗った人々はその行進にたどり着く前のバスの中でその団結に少しずつ近づく。特に、旅の途中のメンフィスで拾ったアフリカ系アメリカ人の自動車ディーラー(黒人のことを“ニガー”と呼ぶ共和党員)への反感からその団結は強まる。 この作品はそんな地味な物語だ、非常に小さな物語を積み重ねることで、麻薬も銃もセックスも登場させることなく黒人社会を描いていく。犯罪をにおわせるのは父親が息子をつないでいる手錠だけだが、この父親と息子の関係も黒人社会にひとつの側面を非常にうまく表現した小さな物語になる。そして、敬虔なイスラム教徒の格好をした男、白人との混血の男、アフリカの太鼓を持ち込んだ初老の“オヤジ”、彼らの背景や関係が明らかになっていく中で、そこには小さな物語が次々と生まれ、一つ一つが小さな輝きを放つ。 スパイク・リーが“黒人映画”を撮らなくて良くなる日 スパイク・リーにしては非常に地味な作品だけれど、会話だけで十分に楽しませてくれる作品だ。スパイク・リーはアフリカ系監督のリーダーとして犯罪やドラッグなどアフリカ系アメリカ人社会の暗部を描いてきたが、こういう作品を撮っても面白い。私はこの人は結構繊細な人で、どこかウディ・アレンと重なるところがあるようにも思える。彼がアフリカ系アメリカ人のために何かを訴える映画を撮らなくてもよい世の中が来たなら、ウディ・アレンのような作品を撮るのではないだろうか。 この作品にはユダヤ人のバス運転手も登場し、アフリカ系アメリカ人と差別されることについて会話を交わすが、同時に白人として黒人の視線に恐怖を感じるともいう。ユダヤ人であるウディ・アレンとアフリカ系であるスパイク・リー、典型的なニューヨーカーであるウディ・アレンと生粋のLAっ子のスパイク・リー、このふたりを比較してみるというのもなかなか面白いかもしれない。 https://youtu.be/dW_Cy7eTaoU 『ゲット・オン・ザ・バス』Get On The Bus1996年/アメリカ/121分監督:スパイク・リー脚本:レジー・ロック・バイスウッド撮影:エリオット・デイヴィス音楽:テレンス・ブランチャード出演:チャールズ・S・ダットン、イザイア・ワシントン、ビル・ハーパー、アンドレ・ブラウアー、オシー・デイヴィス https://eigablog.com/vod/movie/get-on-the-bus/
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