拒食症で入退院を繰り返す20歳のエレンは、継母の勧めでベッカム医師の診察を受ける。ベッカムは医師らしからぬ態度でエレンに生きたいなら食べ物の話をしないことや最低6週間の入院が必要だと告げる。エレンが入院先に行くと拒食や過食に苦しむ若者7人が暮らすグループホームだった。エレンは風変わりな同居人たちとは徐々に打ち解けるが状況は一向に改善しない。

マーティ・ノクソンが実体験をもとに書いた脚本を自ら監督し映画化。主演のリリー・ノクソンも摂食障害の経験があり、社会問題ともなっている摂食障害を正面から真摯に取り上げた作品になった。

治ろうとする意思

摂食障害、いわゆる拒食症/過食症を扱ったドラマ。日本でも20万人以上患者がいると言われているが、患者や元患者が表に出ることが少なく、あまり社会問題としては認識されていな印象がある。

日本でもアメリカでも患者の多くは若い女性で、ルッキズムが大きな原因になっていると考えられる。最初は痩せてきれいになりたいという思いだったものがどこかで行き過ぎて精神疾患となり、自分では抜け出せない病となってしまう。

この映画はそんな摂食障害を病気として扱い、どうすれば治るのかを真剣に描く。この映画でも描かれているが、周囲は精神疾患は本人の努力で治るとついつい思ってしまう。しかし、本人ではもうどうにもならないから疾患なのであり、それを治すには医師による治療が必要になる。

そこでキアヌ・リーブス演じるベッカム医師が活躍するのかと思いきや、実際のところ本人の意志もなければ病気は治らない。本人が治りたいと思っていなければどれだけ周りが努力しても治らないというのがこの病気の本質なのだ。

だから、ベッカム医師がやるのは「治りたいと思うようにする」ことである。そしてそのために必要なのは医師の言葉ではなく、周囲の人々との関係だ。エレンの場合、一番大きいのは妹の存在で、それがほとんど唯一と言っていい彼女の支えになっている。妹がいるから彼女はここまでなんとか生きてこれたということができる。

そこにグループホームの仲間たちが加わることで、治ろうとする意思が芽生え始める。でもなかなか芽が出ない。この映画は芽が出るかどうかを延々と描くだけの物語だ。

過去ではなく未来を見る

グループホームで唯一の男性ルークはほとんど治っているように見えるが、膝の怪我のためにバレエダンサーに復帰するという夢にはなかなか届かない。夢を奪われたことでルークは摂食障害から根本的には抜け出すことができないでいる。

他の入所者も治ろうとしているようには見えるが、なかなか前には進めない。自分自身でなんとかしなければならないなにかがあり、それをつかむまでは本格的な回復に向かうことはできない。その何かをみんな探していて、それはエレンも同じだ。

この映画の良さは、そのなにかを探す過程を丁寧に描いている点だ。その過程は様々なものに触れること。人はもちろんだが、ベッカム医師は遠足と称して患者たちをアート作品に触れさせたりして、感覚的に「生きる」とはどういうことかを感じさせようとする。頭でいくら考えてもだめで「生きてる」という感覚を呼び覚まさなければいけない。

エレンの摂食障害の原因は主に過去の出来事、熱烈なファンが自殺した出来事にあるだろうことは示唆される。そうなると普通はその出来事と正面から向き合い、消化することが必要になりそうだが、この映画はそうではない。この病気はそんなに単純なものではないからだ。そこがリアルだ。その出来事はエレンの生きる気持ちを削ぐ一つの要因にすぎない。他にも要因があるし、病気になってからの長い年月で心も変容を遂げている。だからそれらと折り合いをつけて生きる道は自分で見つけなければいけない。過去を振り返ることも大事だが、もっと大事なのは自分の未来を見つけることだ。

この映画はそんなことを言っているような気がした。病気であれ不幸であれ人は過去に原因を求めがちだが、それがもう与えられた条件になってしまった以上、それを前提に生きて行くしかない。そのことに気づくことこそ重要なのだ。

摂食障害でなくても「生きる意味を見いだせない」というのは珍しいことではないだろう。その時にどうしたらいいのかを考えさせられる映画だ。

『心のカルテ』
To the Bone
2017年/アメリカ/107分
監督:マーティ・ノクソン
脚本:マーティ・ノクソン
撮影:リチャード・ウォン
音楽:フィル・アイズラー
出演:リリー・コリンズ、リリ・テイラー、キアヌ・リーブス、アレックス・シャープ

https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/05/tothebone_1.jpg?fit=620%2C372&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/05/tothebone_1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieNetflix,摂食障害,精神疾患
拒食症で入退院を繰り返す20歳のエレンは、継母の勧めでベッカム医師の診察を受ける。ベッカムは医師らしからぬ態度でエレンに生きたいなら食べ物の話をしないことや最低6週間の入院が必要だと告げる。エレンが入院先に行くと拒食や過食に苦しむ若者7人が暮らすグループホームだった。エレンは風変わりな同居人たちとは徐々に打ち解けるが状況は一向に改善しない。 マーティ・ノクソンが実体験をもとに書いた脚本を自ら監督し映画化。主演のリリー・ノクソンも摂食障害の経験があり、社会問題ともなっている摂食障害を正面から真摯に取り上げた作品になった。 治ろうとする意思 摂食障害、いわゆる拒食症/過食症を扱ったドラマ。日本でも20万人以上患者がいると言われているが、患者や元患者が表に出ることが少なく、あまり社会問題としては認識されていな印象がある。 日本でもアメリカでも患者の多くは若い女性で、ルッキズムが大きな原因になっていると考えられる。最初は痩せてきれいになりたいという思いだったものがどこかで行き過ぎて精神疾患となり、自分では抜け出せない病となってしまう。 この映画はそんな摂食障害を病気として扱い、どうすれば治るのかを真剣に描く。この映画でも描かれているが、周囲は精神疾患は本人の努力で治るとついつい思ってしまう。しかし、本人ではもうどうにもならないから疾患なのであり、それを治すには医師による治療が必要になる。 そこでキアヌ・リーブス演じるベッカム医師が活躍するのかと思いきや、実際のところ本人の意志もなければ病気は治らない。本人が治りたいと思っていなければどれだけ周りが努力しても治らないというのがこの病気の本質なのだ。 だから、ベッカム医師がやるのは「治りたいと思うようにする」ことである。そしてそのために必要なのは医師の言葉ではなく、周囲の人々との関係だ。エレンの場合、一番大きいのは妹の存在で、それがほとんど唯一と言っていい彼女の支えになっている。妹がいるから彼女はここまでなんとか生きてこれたということができる。 そこにグループホームの仲間たちが加わることで、治ろうとする意思が芽生え始める。でもなかなか芽が出ない。この映画は芽が出るかどうかを延々と描くだけの物語だ。 過去ではなく未来を見る グループホームで唯一の男性ルークはほとんど治っているように見えるが、膝の怪我のためにバレエダンサーに復帰するという夢にはなかなか届かない。夢を奪われたことでルークは摂食障害から根本的には抜け出すことができないでいる。 他の入所者も治ろうとしているようには見えるが、なかなか前には進めない。自分自身でなんとかしなければならないなにかがあり、それをつかむまでは本格的な回復に向かうことはできない。その何かをみんな探していて、それはエレンも同じだ。 この映画の良さは、そのなにかを探す過程を丁寧に描いている点だ。その過程は様々なものに触れること。人はもちろんだが、ベッカム医師は遠足と称して患者たちをアート作品に触れさせたりして、感覚的に「生きる」とはどういうことかを感じさせようとする。頭でいくら考えてもだめで「生きてる」という感覚を呼び覚まさなければいけない。 エレンの摂食障害の原因は主に過去の出来事、熱烈なファンが自殺した出来事にあるだろうことは示唆される。そうなると普通はその出来事と正面から向き合い、消化することが必要になりそうだが、この映画はそうではない。この病気はそんなに単純なものではないからだ。そこがリアルだ。その出来事はエレンの生きる気持ちを削ぐ一つの要因にすぎない。他にも要因があるし、病気になってからの長い年月で心も変容を遂げている。だからそれらと折り合いをつけて生きる道は自分で見つけなければいけない。過去を振り返ることも大事だが、もっと大事なのは自分の未来を見つけることだ。 この映画はそんなことを言っているような気がした。病気であれ不幸であれ人は過去に原因を求めがちだが、それがもう与えられた条件になってしまった以上、それを前提に生きて行くしかない。そのことに気づくことこそ重要なのだ。 摂食障害でなくても「生きる意味を見いだせない」というのは珍しいことではないだろう。その時にどうしたらいいのかを考えさせられる映画だ。 https://youtu.be/_3bZXIWc70w 『心のカルテ』To the Bone2017年/アメリカ/107分監督:マーティ・ノクソン脚本:マーティ・ノクソン撮影:リチャード・ウォン音楽:フィル・アイズラー出演:リリー・コリンズ、リリ・テイラー、キアヌ・リーブス、アレックス・シャープ
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