イーサン・ホークが出会った87歳のピアノ教師シーモア・バーンスタイン。彼の人柄に魅了されたイーサンは彼を主人公にしたドキュメンタリー映画を撮る。かつてはコンサートピアニストとして活躍し、今は優秀なピアノ教師として指導に当たるシーモアの人柄や過去を本人や生徒たちへのインタビューなどから明らかにしていく。
この映画は基本的にシーモア・バーンスタインという人物を紹介する映画だ。コンサートピアニストとしてかつて活躍したが、舞台恐怖症で50歳で引退して教えるのに専念するようになった。
そのシーモアさんの教師としての凄さや、ピアニストとしての技術、人柄などを紹介していく。そのどれもが素晴らしく、本当に素晴らしい人だなと思う。
芸術とは
もう一つの狙いはシーモアさんの言葉からうかがえる思想を見る人に伝えることだろう。コンサートピアニストになるにはかなりの努力と才能が必要で、その経験は様々な哲学や人生訓を生み、それが言葉の端々に感じられる。
いくつか気になった言葉があったのでそこからなにか考えてみようと思う。
1つ目は「技なくして心の芸術は生まれない」という言葉。正確にこういったかどうかは覚えていないが、こんな事を言っていた。この言葉はシーモアさんにとって「芸術とは何か」を端的に表している。
それは、まず心の表れであるということ。自分の心を音楽という形で表出した結果生まれるのが芸術なのだ。そして、それが芸術足り得るためには心を正確に表現できる技が必要であるということ。アーティストと言うと才能が大事そうだが、その才能を表出させるには技術的裏付けが必要だということだ。
異なる哲学から学べること
次は「音楽は完全に予測可能」という言葉。この言葉は人間はあまり好きではないというような文脈で言われた言葉だと思うが、人間は予測不可能であるのに対して音楽は完全に予測可能だという意味だと思う。
この言葉に私は本当にそうだろうか?と思った。確かにシーモアさんくらい技を磨き、完全に自分をコントロールできれば自分が演奏する音楽がどうなるかは完全に予測可能かも知れない。でも、芸術が心の表出だとすると、その心は自分のものであっても完全に捉えられているとは限らないのではないか。そうすると、完全な技術で演奏したとしても、出てくるものは予測と違うものである可能性もあるのではないだろうか?
シーモアさんは「音楽は神にも等しい」といっているが、神なんて予測不可能なものの代表ではないか。
でもシーモアさんにとってはそうではないのだろう。その言葉を支える彼の中の論理がどのようなものかは私にはわからないけれど、それが彼の生き方の哲学で、その哲学が素晴らしい音楽と教えを生んだのだ。
人は、異なる考えを持っている人からのほうが学ぶものが多いと思う。その意味でシーモアさんから学べることはたくさんある。この映画はそんな教えで満ちている。だから「人生入門」なんて邦題をつけたのだろう。
『シーモアさんと、大人のための人生入門』
Seymour: An Introduction
2014年/アメリカ/81分
監督:イーサン・ホーク
撮影:ラムジー・フェンドール
出演:シーモア・バーンスタイン、イーサン・ホーク
https://socine.info/2020/07/07/seymour/https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/07/seymour_main.jpg?fit=1024%2C585&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/07/seymour_main.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieドキュメンタリー(C)2015 Risk Love LLC
イーサン・ホークが出会った87歳のピアノ教師シーモア・バーンスタイン。彼の人柄に魅了されたイーサンは彼を主人公にしたドキュメンタリー映画を撮る。かつてはコンサートピアニストとして活躍し、今は優秀なピアノ教師として指導に当たるシーモアの人柄や過去を本人や生徒たちへのインタビューなどから明らかにしていく。
この映画は基本的にシーモア・バーンスタインという人物を紹介する映画だ。コンサートピアニストとしてかつて活躍したが、舞台恐怖症で50歳で引退して教えるのに専念するようになった。
そのシーモアさんの教師としての凄さや、ピアニストとしての技術、人柄などを紹介していく。そのどれもが素晴らしく、本当に素晴らしい人だなと思う。
芸術とは
もう一つの狙いはシーモアさんの言葉からうかがえる思想を見る人に伝えることだろう。コンサートピアニストになるにはかなりの努力と才能が必要で、その経験は様々な哲学や人生訓を生み、それが言葉の端々に感じられる。
いくつか気になった言葉があったのでそこからなにか考えてみようと思う。
1つ目は「技なくして心の芸術は生まれない」という言葉。正確にこういったかどうかは覚えていないが、こんな事を言っていた。この言葉はシーモアさんにとって「芸術とは何か」を端的に表している。
それは、まず心の表れであるということ。自分の心を音楽という形で表出した結果生まれるのが芸術なのだ。そして、それが芸術足り得るためには心を正確に表現できる技が必要であるということ。アーティストと言うと才能が大事そうだが、その才能を表出させるには技術的裏付けが必要だということだ。
(C)2015 Risk Love LLC
異なる哲学から学べること
次は「音楽は完全に予測可能」という言葉。この言葉は人間はあまり好きではないというような文脈で言われた言葉だと思うが、人間は予測不可能であるのに対して音楽は完全に予測可能だという意味だと思う。
この言葉に私は本当にそうだろうか?と思った。確かにシーモアさんくらい技を磨き、完全に自分をコントロールできれば自分が演奏する音楽がどうなるかは完全に予測可能かも知れない。でも、芸術が心の表出だとすると、その心は自分のものであっても完全に捉えられているとは限らないのではないか。そうすると、完全な技術で演奏したとしても、出てくるものは予測と違うものである可能性もあるのではないだろうか?
シーモアさんは「音楽は神にも等しい」といっているが、神なんて予測不可能なものの代表ではないか。
でもシーモアさんにとってはそうではないのだろう。その言葉を支える彼の中の論理がどのようなものかは私にはわからないけれど、それが彼の生き方の哲学で、その哲学が素晴らしい音楽と教えを生んだのだ。
人は、異なる考えを持っている人からのほうが学ぶものが多いと思う。その意味でシーモアさんから学べることはたくさんある。この映画はそんな教えで満ちている。だから「人生入門」なんて邦題をつけたのだろう。
(C)2015 Risk Love LLC
『シーモアさんと、大人のための人生入門』Seymour: An Introduction2014年/アメリカ/81分監督:イーサン・ホーク撮影:ラムジー・フェンドール出演:シーモア・バーンスタイン、イーサン・ホーク
https://eigablog.com/movie-review/seymour/
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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