北アフリカのサハラ砂漠で古くから遊牧民族として生きてきたトゥアレグ族。独自の言語や文化を持つ彼らだが、居住地域が5つの国に分散され、差別を受けるなど苦難の歴史を送ってきた。1970年代にはマリやニジェールから迫害を受け独立運動が盛り上がる。
一部の若者はリビアのカダフィ大佐のもとに訓練を受けに行き、帰国すると武装して戦うようになった。その一人ムーサはバンド「トゥーマスト」を結成し、武器を捨てて音楽で戦うことを目指すが…
まったく知らなかった迫害と抵抗の歴史
私はトゥアレグ族のことも、トゥーマストの事も全く知りませんでした。アフリカのこのあたりは地理も曖昧で、マリやニジェールやブルキナファソがどんな国かもよく知りません。
そんな場所にこんな人達がいるということを知れただけでもこの映画を見てよかったと率直に思います。
そして、苦難を描きながらも決して暗い映画ではなくむしろ明るい希望を抱けるような作品なのも良かったです。その良かったところを上げていきたいのですが、その前に少し真面目な話を。
欧米列強による植民地化とその後の独立、そこからこぼれ落ちてしまった民族の苦難というのは世界各地で見られることで、クルド人やチベット族やロヒンギャなど具体例も枚挙に暇がありません。
これはもともと植民地化によって地勢や民族の分布と無関係に国境線が惹かれてしまったことによって起きた悲劇です。現在差別や迫害を行っているのは現地の多数派ですが、もともとの紛争の種を作ったのは欧米列強なのです。
しかも、今回の場合トゥアレグの居住地域でウランが発見され、その権益を巡ってまたひとつ争いが起きているという要素もあります。ウランを掘って時刻に運ぶのはもちろん欧米などの先進国が中心です。
つまり、この問題は世界全体の問題であり、私たちも傍観者ではいられません。多様な人々がみんな同じく自由と安全を享受できるようにするためにどうしたらいいのか、私たちには考え実行する義務があるのです。この映画を見てそんな当たり前ですがなかなかできないことを思いました。
音楽の力はやはりすごい
ここまでが真面目な話で、ここからはこの映画が面白いぞということを書いていきたいと思います。
まず音楽がいい。彼らトゥーマストの音楽は最先端ではないけれど現代的でもあり、でももちろん民族的でもあり、丁度いいふるさと言うか古き良きロックの匂いがします。
彼らは音楽を伝える手段、一種のメディアと考えていて、だから歌詞にメッセージが込められているわけですが、音楽の場合、歌詞より先に曲の印象が来るので、楽曲を好きになれるかどうかがまず重要。遠く離れたアジアの端っこでも伝統と現代性が入り混じったところに良さを感じるのだから、トゥアレグの人たちには強いインパクトを与えるのだろうと思うのです。
メディアによって戦うというのは『ラッカは静かに虐殺されている』と同じだと思ったことも付け加えておきます。
さて、もう一つ良かったのはトゥアレグの人たちが楽しそうだということ。女性たちが踊っているところを後ろから撮ったショットなどはその楽しさがダイレクトに伝わってきます。そして、その楽しさの源にあるのはトゥアレグでは男性と女性が対等であるということ。
アラブの影響を受けるようになってアラブの女性蔑視の文化に違和感を感じるところにそれが現れていました。イスラムでは女性の抑圧の象徴であるベールも砂漠の民にとっては砂埃や直射日光を防ぐための衣服であるというのが伝わってきます。
最後に、この映画は夕方のシーンが多く、砂漠の夕日がなんともきれい。赤い背景の前で影になった人々が動く映像は美しかったです。
この映画は音楽、映像、言語、文化でトゥアレグの人たちがどんな人達かを伝えることを一番に考えているのだと思います。それは伝えることが一番大事だというメッセージでもあるのです。
『トゥーマスト ギターとカラシニコフの狭間で』
https://www.uplink.co.jp/toumast/
2010年/スイス/88分
監督:ドミニク・マルゴー
出演:トゥーマスト
https://socine.info/2020/05/16/toumast/https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/05/toumast_main_s_large.jpg?fit=640%2C426&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/05/toumast_main_s_large.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVODドキュメンタリー,少数民族北アフリカのサハラ砂漠で古くから遊牧民族として生きてきたトゥアレグ族。独自の言語や文化を持つ彼らだが、居住地域が5つの国に分散され、差別を受けるなど苦難の歴史を送ってきた。1970年代にはマリやニジェールから迫害を受け独立運動が盛り上がる。
一部の若者はリビアのカダフィ大佐のもとに訓練を受けに行き、帰国すると武装して戦うようになった。その一人ムーサはバンド「トゥーマスト」を結成し、武器を捨てて音楽で戦うことを目指すが…
まったく知らなかった迫害と抵抗の歴史
私はトゥアレグ族のことも、トゥーマストの事も全く知りませんでした。アフリカのこのあたりは地理も曖昧で、マリやニジェールやブルキナファソがどんな国かもよく知りません。
そんな場所にこんな人達がいるということを知れただけでもこの映画を見てよかったと率直に思います。
そして、苦難を描きながらも決して暗い映画ではなくむしろ明るい希望を抱けるような作品なのも良かったです。その良かったところを上げていきたいのですが、その前に少し真面目な話を。
欧米列強による植民地化とその後の独立、そこからこぼれ落ちてしまった民族の苦難というのは世界各地で見られることで、クルド人やチベット族やロヒンギャなど具体例も枚挙に暇がありません。
これはもともと植民地化によって地勢や民族の分布と無関係に国境線が惹かれてしまったことによって起きた悲劇です。現在差別や迫害を行っているのは現地の多数派ですが、もともとの紛争の種を作ったのは欧米列強なのです。
しかも、今回の場合トゥアレグの居住地域でウランが発見され、その権益を巡ってまたひとつ争いが起きているという要素もあります。ウランを掘って時刻に運ぶのはもちろん欧米などの先進国が中心です。
つまり、この問題は世界全体の問題であり、私たちも傍観者ではいられません。多様な人々がみんな同じく自由と安全を享受できるようにするためにどうしたらいいのか、私たちには考え実行する義務があるのです。この映画を見てそんな当たり前ですがなかなかできないことを思いました。
映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』より
音楽の力はやはりすごい
ここまでが真面目な話で、ここからはこの映画が面白いぞということを書いていきたいと思います。
まず音楽がいい。彼らトゥーマストの音楽は最先端ではないけれど現代的でもあり、でももちろん民族的でもあり、丁度いいふるさと言うか古き良きロックの匂いがします。
彼らは音楽を伝える手段、一種のメディアと考えていて、だから歌詞にメッセージが込められているわけですが、音楽の場合、歌詞より先に曲の印象が来るので、楽曲を好きになれるかどうかがまず重要。遠く離れたアジアの端っこでも伝統と現代性が入り混じったところに良さを感じるのだから、トゥアレグの人たちには強いインパクトを与えるのだろうと思うのです。
メディアによって戦うというのは『ラッカは静かに虐殺されている』と同じだと思ったことも付け加えておきます。
さて、もう一つ良かったのはトゥアレグの人たちが楽しそうだということ。女性たちが踊っているところを後ろから撮ったショットなどはその楽しさがダイレクトに伝わってきます。そして、その楽しさの源にあるのはトゥアレグでは男性と女性が対等であるということ。
アラブの影響を受けるようになってアラブの女性蔑視の文化に違和感を感じるところにそれが現れていました。イスラムでは女性の抑圧の象徴であるベールも砂漠の民にとっては砂埃や直射日光を防ぐための衣服であるというのが伝わってきます。
最後に、この映画は夕方のシーンが多く、砂漠の夕日がなんともきれい。赤い背景の前で影になった人々が動く映像は美しかったです。
この映画は音楽、映像、言語、文化でトゥアレグの人たちがどんな人達かを伝えることを一番に考えているのだと思います。それは伝えることが一番大事だというメッセージでもあるのです。
https://youtu.be/gJUlTFouY_w
『トゥーマスト ギターとカラシニコフの狭間で』https://www.uplink.co.jp/toumast/2010年/スイス/88分監督:ドミニク・マルゴー出演:トゥーマスト
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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