© 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

20代の女性ローラ・アルバートは自分の中でターミメーターと言う少年を作り出し、心療内科に電話相談をしていた。医者のすすめで文章を書いてみるとそれが居者や作家に評価される。ローラはその後結婚し子供も生まれ安定していたが、あるきっかけでまた文章を書き始め、それを作家に見せると絶賛される。J.T.リロイという名前でローラが出した小説はベストセラーとなり、メディアに登場する必要に駆られたローラは、義妹のサバンナにJ.T.リロイを演じてくれるよう頼む。

ベストセラーを生んだ少年作家J.T.リロイが実在しなかったという事件を、ローラの証言とガス・ヴァン・サント、コートニー・ラブ、アーシア・アルジェントらとの電話録音で再現したドキュメンタリー。事件の展開のハラハラ感もよく、事件の背後にある社会の歪みが垣間見える。

みんなJTを好きになる

この映画の面白さは、サスペンス的な展開にあります。作り上げられたJ.T.リロイなる人物の正体がどのようにしてバレて、それによって関係者はどうなってしまうのか。そこのサスペンスが観客の興味を引くのです。

そのための展開の仕方も計算されていて、JTがどうやって作られてきたのかを丁寧に説明し、同時にその生みの親であるローラの過去も描いていくことで、見る側がJTを一人の人物としてイメージできるようにしているのです。

もちろんJTは物理的にはこの世に存在していないのですが、ローラの中には確実に存在し、その人物が作家として世の中に出ていってしまったことである意味で世の中を「だます」ことになってしまったと明らかにされるのです。

それによって観客はJTの味方になるように仕向けられます。

ここで重要なのは、それが必ずしもローラへの共感を意味しないということです。観客が共感するのはあくまでJTなので、ローラのJTに対する行動のとり方によってはローラに批判的な目を向けることにもなります。映画を見ながら「もっと早く詳らかにしたほうがJTのためになったのに」とか「自分のためにJTを利用している」とか思ってしまうのです。考えればおかしなことですが、それだけJTという人物がくっきりと浮き上がっているので、見ている間はそこに違和感は感じません。

そこがこの作品が映画として面白い理由だろうと私は思いました。

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作者がフィクションで何が悪い

そのようにしてJTという人物がくっきりと描けると、JTを創作したローラに対する世間のバッシングに違和感を覚えるようになります。というか、何が悪いのかはっきり言ってわからないのです。最後の方に「HIVを利用したのはだめだ」という発言が出てきて、それはまあうなずけるのですが、他の「詐欺だ」という批判ははっきり言って意味がわからないのです。

JTの本(1作目と2作目)を読んでいないので内容については触れられないのですが、映画を見る限り、この本はフェイクドキュメンタリーに分類されるフィクションでしょう。実際、本にも「これはフィクションだ」と書いてあると映画の中でも主張されていました。

それなら作者もフィクションであっても何が悪いのか、終盤にテレビプロデューサーのデヴィッド・ミルチが「いい作品だからこそみんなの心を動かした」と言うシーンがあります。これがすべてを言い表していて、作品が評価されたのはいい作品だからであって、作者が18歳のホームレスだからではなかったはずです。逆に、作者が18歳のホームレスで、自らの体験に基づいた物語だから評価しているのだとしたら、その人は文学の何たるかを全く理解していないことになります。

なのに作者が創作であったことが批判されるのはなぜなのか、そこに私は現代社会が抱えるさまざまな問題が現れているように思えました。

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嘘への不寛容が豊かさを奪う

まず思ったのは、今の世の中があまりに嘘に不寛容になってしまっているということです。それによって非常に窮屈な世の中になってしまっている。小説だって映画だって基本的には嘘で、人間はそれを楽しむことができるという素晴らしい能力を持っているのです。

嘘だとわかっていてもそれを読んだり見たりしたことで自分の中に生まれる感情は本物で、そうやって喜怒哀楽の感情が生まれることには意味があります。それによって人生は豊かになるのだから。だからこそ人は古来からたくさんの物語という嘘を生み出し、それを共有してきたのです。

いつから人は真実味のある嘘を嫌い、真実に基づいた嘘を好むようになったのでしょうか。最近の映画によくある「based on True Story」なんてクソだと私は思います。別に真実に基づいているかどうかなんてどうでもいいのです、作品が面白ければ。J.T.リロイの話もフィクションとして映画化されたようですが、なんだかもやもやします。

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特に、この映画で語られている物語では、JTはローラが自分の精神を健全に保つために必要にかられて生み出した嘘の人物なわけです。それを「嘘だから」という理由で批判するのはお門違いだし、実在する人物のように演じさせたことを批判するのも、それを求めたのは世間であって、ローラはそれに答えただけじゃないかと思うのです。

そして、そこには作品よりも作者にスポットを当てがちな最近の良くない傾向も見えます。作品は作品であっていいはずなのに、作者とのつながりを探し、作者について詳しく掘っていく傾向が(昔からありますが)強くなっているように思えます。

強くなっている理由は情報にアクセスしやすくなっているからだと思いますが、ワイドショー的にどんどん情報を掘っていくことは一時的な好奇心を満たすだけで作品を楽しむ上では邪魔にしかならないと私は思うのです。クリエイターのアウトプットは作品が全てであって、その背景の情報はいってしまえば不要。作者がこういう人だからとかこういう意図があったからという理由で作品に解釈を加えるのは、受け手の解釈の余地を狭める行為であり、作り手にとっても受け手にとってもマイナスなはずです(最近は、作者の人間性も含めて作品になっていることもあるので一概には言えないですが、本来はそうではないと私は思います)。

そのような傾向がこの騒動を生み、それに疑問を感じるからこの映画が生まれ、それを見てどう考えるかは私たちに任されている。それがこの映画の良さなのではないでしょうか。

この映画もどこまでが真実か実はわかりません。ドキュメンタリーと言ってはいますがアニメーションも使われているし、あえて隠されていることもあるだろうし、創作された部分だってきっとあるはずです。でもそれでいい、この映画は全体でそれを訴えているように思えました。

2016年/アメリカ/110分
監督・脚本:ジェフ・ファイヤージーク
撮影:ミシェル・ウィッテン
音楽:ウォルター・ワーゾワ
出演:ローラ・アルバート、サバンナ・クヌープ、ジェフ・クヌープ

https://socine.info/wp-content/uploads/2020/04/jt_main-1024x576.jpghttps://socine.info/wp-content/uploads/2020/04/jt_main-300x300.jpgishimuraMovieVODUplink,ドキュメンタリー
© 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved. 20代の女性ローラ・アルバートは自分の中でターミメーターと言う少年を作り出し、心療内科に電話相談をしていた。医者のすすめで文章を書いてみるとそれが居者や作家に評価される。ローラはその後結婚し子供も生まれ安定していたが、あるきっかけでまた文章を書き始め、それを作家に見せると絶賛される。J.T.リロイという名前でローラが出した小説はベストセラーとなり、メディアに登場する必要に駆られたローラは、義妹のサバンナにJ.T.リロイを演じてくれるよう頼む。 ベストセラーを生んだ少年作家J.T.リロイが実在しなかったという事件を、ローラの証言とガス・ヴァン・サント、コートニー・ラブ、アーシア・アルジェントらとの電話録音で再現したドキュメンタリー。事件の展開のハラハラ感もよく、事件の背後にある社会の歪みが垣間見える。 みんなJTを好きになる この映画の面白さは、サスペンス的な展開にあります。作り上げられたJ.T.リロイなる人物の正体がどのようにしてバレて、それによって関係者はどうなってしまうのか。そこのサスペンスが観客の興味を引くのです。 そのための展開の仕方も計算されていて、JTがどうやって作られてきたのかを丁寧に説明し、同時にその生みの親であるローラの過去も描いていくことで、見る側がJTを一人の人物としてイメージできるようにしているのです。 もちろんJTは物理的にはこの世に存在していないのですが、ローラの中には確実に存在し、その人物が作家として世の中に出ていってしまったことである意味で世の中を「だます」ことになってしまったと明らかにされるのです。 それによって観客はJTの味方になるように仕向けられます。 ここで重要なのは、それが必ずしもローラへの共感を意味しないということです。観客が共感するのはあくまでJTなので、ローラのJTに対する行動のとり方によってはローラに批判的な目を向けることにもなります。映画を見ながら「もっと早く詳らかにしたほうがJTのためになったのに」とか「自分のためにJTを利用している」とか思ってしまうのです。考えればおかしなことですが、それだけJTという人物がくっきりと浮き上がっているので、見ている間はそこに違和感は感じません。 そこがこの作品が映画として面白い理由だろうと私は思いました。 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved. 作者がフィクションで何が悪い そのようにしてJTという人物がくっきりと描けると、JTを創作したローラに対する世間のバッシングに違和感を覚えるようになります。というか、何が悪いのかはっきり言ってわからないのです。最後の方に「HIVを利用したのはだめだ」という発言が出てきて、それはまあうなずけるのですが、他の「詐欺だ」という批判ははっきり言って意味がわからないのです。 JTの本(1作目と2作目)を読んでいないので内容については触れられないのですが、映画を見る限り、この本はフェイクドキュメンタリーに分類されるフィクションでしょう。実際、本にも「これはフィクションだ」と書いてあると映画の中でも主張されていました。 それなら作者もフィクションであっても何が悪いのか、終盤にテレビプロデューサーのデヴィッド・ミルチが「いい作品だからこそみんなの心を動かした」と言うシーンがあります。これがすべてを言い表していて、作品が評価されたのはいい作品だからであって、作者が18歳のホームレスだからではなかったはずです。逆に、作者が18歳のホームレスで、自らの体験に基づいた物語だから評価しているのだとしたら、その人は文学の何たるかを全く理解していないことになります。 なのに作者が創作であったことが批判されるのはなぜなのか、そこに私は現代社会が抱えるさまざまな問題が現れているように思えました。 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved. 嘘への不寛容が豊かさを奪う まず思ったのは、今の世の中があまりに嘘に不寛容になってしまっているということです。それによって非常に窮屈な世の中になってしまっている。小説だって映画だって基本的には嘘で、人間はそれを楽しむことができるという素晴らしい能力を持っているのです。 嘘だとわかっていてもそれを読んだり見たりしたことで自分の中に生まれる感情は本物で、そうやって喜怒哀楽の感情が生まれることには意味があります。それによって人生は豊かになるのだから。だからこそ人は古来からたくさんの物語という嘘を生み出し、それを共有してきたのです。 いつから人は真実味のある嘘を嫌い、真実に基づいた嘘を好むようになったのでしょうか。最近の映画によくある「based on True Story」なんてクソだと私は思います。別に真実に基づいているかどうかなんてどうでもいいのです、作品が面白ければ。J.T.リロイの話もフィクションとして映画化されたようですが、なんだかもやもやします。 © 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC....
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