東ティモールについて知っていることといえば、比較的最近独立したこと、それまで紛争が続いていたこと、コーヒーが有名なこと、くらいかもしれない。

そんな東ティモールについてのお祭り東ティモールフェスタ2021の一環で東ティモールについての映画をオンラインで上映する映画祭が開催されるとのことで、映画を見ることにした。

その1本目に選んだのは、導入にふさわしいであろう東ティモールの歴史を描いたドキュメンタリー『平和への道』。東ティモールの人たちの証言をもとに、独立に至るまでの道を描いた作品だ。

周辺国の思惑に翻弄された人々

映画を見始めて本当に東ティモールについて何も知らなかったことに気づいた。ティモール島は16世紀にポルトガルとオランダによって入植され、後にポルトガル領の東ティモールとオランダ領の西ティモールに分割されたという。聞いたことがあったような気もするが、はっきりと覚えてはいなかったことだ。

そして、ポルトガル統治下では強制労働が課せられ人々は苦しい生活を強いられる、映画では先住民について触れられていなかったが、このあたりは豊かな自然があるから多くの人々が暮らしていただろう、それをヨーロッパの人々が搾取するという帝国主義時代の構図がここにも見られる。

それが数百年続き、第二次大戦の短い日本の統治時代を経て(激戦地となって何万人者人が命を落とした)、平和と独立に向かうかと思いきや、東西冷戦のあおりを受けて、国内で対立が起き、それに乗じたインドネシアによる侵略を許す。これが1970年代のことで、ここから長い長い抵抗と内線の時代が続く。

とにかく東ティモールの人たちは、外国勢力によって搾取され、翻弄され、苦しめられ続けてきた。この映画は基本的に東ティモールで暮らす普通の人たち、自分たちの国で普通に生きていきたい人たちの目線で描かれるので、とにかく辛い。どうしてこんな辛いことが続くのか、そんな思いが繰り返し襲ってくる。

果たして彼らは独立によって苦しみから解放され得るのか、いや解放され、自由と幸福を掴んでほしい、そう願わずにはいられない映画だ。

わたしたちは部外者ではない

日本という(第二次大戦中の約3年の統治期間を除いて)ほとんど関わりのない場所から見た場合、東ティモールの人たちに同情するというか応援する立場で映画を見ることになると思う。

だが、映画の中で繰り返し言われているのが、東ティモールは国際社会から無視されてきたということ。実際、私も東ティモールのことなどほとんど知らなかったし、知ったのも独立の後のことだ。しかし、実際は1990年代にも多くの人が死に、それは国際社会が本気で対応すれば防げた死だったはずだ。

20世紀の終わりは、冷戦が終わって世界が平和になったと思われているが、じつは東ティモールのような悲劇が世界中で起きた時期でもあった。アフリカでも、中東でも同じようなことが起きている。この原因は東西冷戦にあり、東側と西側が同じ国の違う勢力に肩入れしたことで起きたと思われる内戦が非常に多いのだが、ここで言いたいのはそのことではない。

その90年代に端を発する内戦や紛争がまだ世界では続いており、わたしたちはもうそれを無視することはできないということだ。例えばシリアであり、クルドであり、ミャンマーであり、再燃するアフガニスタンもそうかも知れない。

平和な国でごく普通に暮らしているわたしたちに、それらの紛争を解決する力はない。でも、そこで苦しんでいる人たちのことを忘れていない、世界はあなた達を無視していないとメッセージを送ることならできる。そうしないと、わたしたちは東ティモールにしたことと同じことをしてしまうことになる。

この映画がわたしたちに与えてくれる教訓は、そういうこと、誰しもが当事者でありえるということだ。

人間の強さと弱さ

最後に、この映画を見て東ティモールの人たちの強さを思った。何百年も外国勢力に翻弄されながら、自決権を求め続けた強さ、それがすごい。もちろん、それができなかった弱い人達もたくさんいる。むしろ、生きるためならばそんなもの捨ててしまおうと思うのが普通ではないかと思う。しかし、東ティモールの人たちは諦めなかった。それが本当にすごい。そのすごさの意味を自分の中で噛み砕くことはまだできていないけれど、彼らを尊敬せずにはいられない。

映画の中で、独立運動の終盤は、インドネシアの民主化運動と共同戦線がはられたという描写があった。東ティモールの人たちにとってこれは独立運動であり、民主化運動であり、人権を獲得する戦いであった。だからインドネシアの民主化運動と呼応したのだ。

それを見ながら、彼らの強さといま香港やミャンマーで戦い続けている人たちの強さに共通するなにかがあるように思った。彼らのことも無視してはいけないし、応援しているというメッセージを贈り続けなければいけない。そう改めて思った。

『平和への道』
Dalan ba Dame
2005年/東ティモール/83分

https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/06/timor_1_4.jpg?fit=640%2C480&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/06/timor_1_4.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieドキュメンタリー,東ティモール,独立運動
東ティモールについて知っていることといえば、比較的最近独立したこと、それまで紛争が続いていたこと、コーヒーが有名なこと、くらいかもしれない。 そんな東ティモールについてのお祭り東ティモールフェスタ2021の一環で東ティモールについての映画をオンラインで上映する映画祭が開催されるとのことで、映画を見ることにした。 その1本目に選んだのは、導入にふさわしいであろう東ティモールの歴史を描いたドキュメンタリー『平和への道』。東ティモールの人たちの証言をもとに、独立に至るまでの道を描いた作品だ。 周辺国の思惑に翻弄された人々 映画を見始めて本当に東ティモールについて何も知らなかったことに気づいた。ティモール島は16世紀にポルトガルとオランダによって入植され、後にポルトガル領の東ティモールとオランダ領の西ティモールに分割されたという。聞いたことがあったような気もするが、はっきりと覚えてはいなかったことだ。 そして、ポルトガル統治下では強制労働が課せられ人々は苦しい生活を強いられる、映画では先住民について触れられていなかったが、このあたりは豊かな自然があるから多くの人々が暮らしていただろう、それをヨーロッパの人々が搾取するという帝国主義時代の構図がここにも見られる。 それが数百年続き、第二次大戦の短い日本の統治時代を経て(激戦地となって何万人者人が命を落とした)、平和と独立に向かうかと思いきや、東西冷戦のあおりを受けて、国内で対立が起き、それに乗じたインドネシアによる侵略を許す。これが1970年代のことで、ここから長い長い抵抗と内線の時代が続く。 とにかく東ティモールの人たちは、外国勢力によって搾取され、翻弄され、苦しめられ続けてきた。この映画は基本的に東ティモールで暮らす普通の人たち、自分たちの国で普通に生きていきたい人たちの目線で描かれるので、とにかく辛い。どうしてこんな辛いことが続くのか、そんな思いが繰り返し襲ってくる。 果たして彼らは独立によって苦しみから解放され得るのか、いや解放され、自由と幸福を掴んでほしい、そう願わずにはいられない映画だ。 わたしたちは部外者ではない 日本という(第二次大戦中の約3年の統治期間を除いて)ほとんど関わりのない場所から見た場合、東ティモールの人たちに同情するというか応援する立場で映画を見ることになると思う。 だが、映画の中で繰り返し言われているのが、東ティモールは国際社会から無視されてきたということ。実際、私も東ティモールのことなどほとんど知らなかったし、知ったのも独立の後のことだ。しかし、実際は1990年代にも多くの人が死に、それは国際社会が本気で対応すれば防げた死だったはずだ。 20世紀の終わりは、冷戦が終わって世界が平和になったと思われているが、じつは東ティモールのような悲劇が世界中で起きた時期でもあった。アフリカでも、中東でも同じようなことが起きている。この原因は東西冷戦にあり、東側と西側が同じ国の違う勢力に肩入れしたことで起きたと思われる内戦が非常に多いのだが、ここで言いたいのはそのことではない。 その90年代に端を発する内戦や紛争がまだ世界では続いており、わたしたちはもうそれを無視することはできないということだ。例えばシリアであり、クルドであり、ミャンマーであり、再燃するアフガニスタンもそうかも知れない。 平和な国でごく普通に暮らしているわたしたちに、それらの紛争を解決する力はない。でも、そこで苦しんでいる人たちのことを忘れていない、世界はあなた達を無視していないとメッセージを送ることならできる。そうしないと、わたしたちは東ティモールにしたことと同じことをしてしまうことになる。 この映画がわたしたちに与えてくれる教訓は、そういうこと、誰しもが当事者でありえるということだ。 人間の強さと弱さ 最後に、この映画を見て東ティモールの人たちの強さを思った。何百年も外国勢力に翻弄されながら、自決権を求め続けた強さ、それがすごい。もちろん、それができなかった弱い人達もたくさんいる。むしろ、生きるためならばそんなもの捨ててしまおうと思うのが普通ではないかと思う。しかし、東ティモールの人たちは諦めなかった。それが本当にすごい。そのすごさの意味を自分の中で噛み砕くことはまだできていないけれど、彼らを尊敬せずにはいられない。 映画の中で、独立運動の終盤は、インドネシアの民主化運動と共同戦線がはられたという描写があった。東ティモールの人たちにとってこれは独立運動であり、民主化運動であり、人権を獲得する戦いであった。だからインドネシアの民主化運動と呼応したのだ。 それを見ながら、彼らの強さといま香港やミャンマーで戦い続けている人たちの強さに共通するなにかがあるように思った。彼らのことも無視してはいけないし、応援しているというメッセージを贈り続けなければいけない。そう改めて思った。 『平和への道』Dalan ba Dame2005年/東ティモール/83分
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