1964年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師はノーベル平和賞を受賞したが、アメリカ特に南部では黒人差別はまだまだ当たり前のことであり、公民権法が成立しても黒人の有権者登録は白人の役人によって拒否され続けていた。
翌1965年、マーティン・ルーサー・キングは黒人の有権者登録を実現すべく、人口の半分を黒人が占めるアラバマ州セルマへと赴く。そこで700人の前で公演をし、郡庁舎の前で平和裏に座り込みをしようとした矢先、保安官が足が不自由で座れない老人に難癖をつけてもみ合いとなり、キングら居合わせた黒人たち全員が逮捕される。
その時は釈放となったが、キングがいなくなった後住民たちだけでデモを観光したとき、黒人青年のジミーが警官に殺されてしまう。キングは再びセルマへと赴き、州都モンゴメリーへの80キロを平和裏に行進しようと計画するが、差別主義者の州知事ウォレスはデモを認めず強制的に排除しようとする…
いわゆる「血の日曜日事件」を題材に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいかに世論を動かし、大統領までを動かしていったかを描くヒューマン・ドラマ。
ヒューマン・ドラマとしては秀逸
黒人への理不尽な差別を乗り越えるためにマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが奮闘するドラマとしては非常に面白く、引き込まれる。
物語構造は単純で、黒人が南部の白人による差別と人権侵害を覆すべくさまざまな試みをするというものだ。そのリーダーがマーティン・ルーサー・キング・ジュニアであり、彼はジョンソン大統領を始めとした北部中心の良識ある白人を味方に引き入れ、自分たちの主張を認めさせようという戦略を取る。
大統領をいかにして自分たちの側に引き入れるかがこの映画の鍵の一つで、キングは綿密に戦略を練って実行していく。障害となるのは、まず南部の差別主義者たちだが、黒人の中にも方向性の違う人達がいて、彼らを強調していくための戦略も重要になってくる。
そしてもう一つ、妻との関係も重要だ。妻と子を家に残して国中を飛び回るキングに妻は不満で、家には毎日脅迫電話がかかってくるし、夫の浮気も疑わしいしで夫婦間に亀裂ができてしまう。これも後々あと重要な要素になってくる。
この映画はさまざまな立場の人物が登場し、キングがいかに彼らを、言い方は悪が、コントロールして、自分のそして2000万人のアメリカの黒人の夢を実現するかを描いたドラマだ。その緊張感が素晴らしい。
公民権運動の意義を問う映画としては弱い
と、ドラマとしては面白いわけだが、血の日曜日事件が公民権運動において果たした意義を問い、この運動自体の意味を考える題材としてはあまり良いものとは言えない。
最大の弱点は物事を単純化しすぎていることだ。よいドラマは得てしてそうなりがちだが、舞台や人物の設定があまりにわかりやすく整理されてしまっているのだ。このようなドラマはカタルシスを生むが、そこに主張があると考えるとプロパガンダに近いものになってしまうのだ。
簡単に言えば善と悪の二項対立にしてしまっているということだ。黒人が善で南部の白人が悪、北部の白人は悪から善へと寝返る人々だ。
それを強調するためか、キングを中心とした黒人たちの背景は描かれるが、白人たちは一体どんな人物かわからず、画一化されたでくのぼうのように描かれる。
そして、わかりやすくしすぎたと言えるのはジョンソン大統領の描き方だ。この映画ではジョンソン大統領は根本は差別主義者でキングの要求で仕方なく彼らの権利を認めているように見える。これはキングの偉業を強調するための設定だろうが、史実はおそらくそうではないだろう。
物事は本当はもっと複雑なのだ。複雑だからこそ差別を解消することは難しく、未だに実現していない。
もちろん、成功体験から学ぶことはあるし、ここで描かれたキングの偉業は称えるに値する。でも、ことさら彼をヒーローとして崇めることは必ずしも運動にプラスになるとは限らない。
ヒーローは必要か
映画の中で地元の学生たちがキングに賛同するかどうかで揉めるシーンがある。ひとりはキングを信奉し、彼についていこうとする。もうひとりは「彼はいなくなる」といって自分たちがやってきたことを大事にしようとする。
どちらが正しいのか、おそらくどちらも正しいのだろう。映画ではキングのやり方が功を奏し、世の中を動かす。しかしそれはまさにマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいたからだ。彼がいないところではどうすればいいのか、彼のようなヒーローがいなければ社会変革はできないのか。
本来は、ヒーローなんかいなくても人々が団結すれば事を成し遂げられるのが正しい社会なのではないか。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはヒーローだ。でも彼がヒーローだからこそ彼がいなくなると運動は勢いを失ってしまった。
公民権有働から現代へと続く動きを考えると、キングのようなヒーローがいなくとも社会運動を推し進めていくにはどうしたらいいのか、そのような視座で公民権運動を見ることができたほうが学びがあるだろう。
もちろんこの映画は主張である前にエンターテインメントだ。だからこれでいいのだろう。でも、この映画で公民権運動に興味を持ったらぜひ『私はあなたのニグロではない』も見てほしい。
『グローリー 明日への行進』
2014年/イギリス・アメリカ/128分
Selma
監督:エバ・デュバーネイ
脚本:ポール・ウェッブ
撮影:ブラッドフォード・ヤング
出演:デヴィッド・オイェロウォ、トム・ウィルキンソン、キューバ・グッディング・Jr、ティム・ロス、カルメン・イジョゴ、オプラ・ウィンフリー
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「グローリー 明日への行進』をNETFLIXで見る。
https://socine.info/2021/02/03/selma/https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/02/glory1.jpg?fit=640%2C427&ssl=1https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/02/glory1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieBlackLivesMatter,公民権運動(C)2014 Pathe Productions Limited. All rights reserved.
1964年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師はノーベル平和賞を受賞したが、アメリカ特に南部では黒人差別はまだまだ当たり前のことであり、公民権法が成立しても黒人の有権者登録は白人の役人によって拒否され続けていた。
翌1965年、マーティン・ルーサー・キングは黒人の有権者登録を実現すべく、人口の半分を黒人が占めるアラバマ州セルマへと赴く。そこで700人の前で公演をし、郡庁舎の前で平和裏に座り込みをしようとした矢先、保安官が足が不自由で座れない老人に難癖をつけてもみ合いとなり、キングら居合わせた黒人たち全員が逮捕される。
その時は釈放となったが、キングがいなくなった後住民たちだけでデモを観光したとき、黒人青年のジミーが警官に殺されてしまう。キングは再びセルマへと赴き、州都モンゴメリーへの80キロを平和裏に行進しようと計画するが、差別主義者の州知事ウォレスはデモを認めず強制的に排除しようとする…
いわゆる「血の日曜日事件」を題材に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいかに世論を動かし、大統領までを動かしていったかを描くヒューマン・ドラマ。
ヒューマン・ドラマとしては秀逸
黒人への理不尽な差別を乗り越えるためにマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが奮闘するドラマとしては非常に面白く、引き込まれる。
物語構造は単純で、黒人が南部の白人による差別と人権侵害を覆すべくさまざまな試みをするというものだ。そのリーダーがマーティン・ルーサー・キング・ジュニアであり、彼はジョンソン大統領を始めとした北部中心の良識ある白人を味方に引き入れ、自分たちの主張を認めさせようという戦略を取る。
大統領をいかにして自分たちの側に引き入れるかがこの映画の鍵の一つで、キングは綿密に戦略を練って実行していく。障害となるのは、まず南部の差別主義者たちだが、黒人の中にも方向性の違う人達がいて、彼らを強調していくための戦略も重要になってくる。
そしてもう一つ、妻との関係も重要だ。妻と子を家に残して国中を飛び回るキングに妻は不満で、家には毎日脅迫電話がかかってくるし、夫の浮気も疑わしいしで夫婦間に亀裂ができてしまう。これも後々あと重要な要素になってくる。
この映画はさまざまな立場の人物が登場し、キングがいかに彼らを、言い方は悪が、コントロールして、自分のそして2000万人のアメリカの黒人の夢を実現するかを描いたドラマだ。その緊張感が素晴らしい。
(C)2014 Pathe Productions Limited. All rights reserved.
公民権運動の意義を問う映画としては弱い
と、ドラマとしては面白いわけだが、血の日曜日事件が公民権運動において果たした意義を問い、この運動自体の意味を考える題材としてはあまり良いものとは言えない。
最大の弱点は物事を単純化しすぎていることだ。よいドラマは得てしてそうなりがちだが、舞台や人物の設定があまりにわかりやすく整理されてしまっているのだ。このようなドラマはカタルシスを生むが、そこに主張があると考えるとプロパガンダに近いものになってしまうのだ。
簡単に言えば善と悪の二項対立にしてしまっているということだ。黒人が善で南部の白人が悪、北部の白人は悪から善へと寝返る人々だ。
それを強調するためか、キングを中心とした黒人たちの背景は描かれるが、白人たちは一体どんな人物かわからず、画一化されたでくのぼうのように描かれる。
そして、わかりやすくしすぎたと言えるのはジョンソン大統領の描き方だ。この映画ではジョンソン大統領は根本は差別主義者でキングの要求で仕方なく彼らの権利を認めているように見える。これはキングの偉業を強調するための設定だろうが、史実はおそらくそうではないだろう。
(C)2014 Pathe Productions Limited. All rights reserved.
物事は本当はもっと複雑なのだ。複雑だからこそ差別を解消することは難しく、未だに実現していない。
もちろん、成功体験から学ぶことはあるし、ここで描かれたキングの偉業は称えるに値する。でも、ことさら彼をヒーローとして崇めることは必ずしも運動にプラスになるとは限らない。
ヒーローは必要か
映画の中で地元の学生たちがキングに賛同するかどうかで揉めるシーンがある。ひとりはキングを信奉し、彼についていこうとする。もうひとりは「彼はいなくなる」といって自分たちがやってきたことを大事にしようとする。
どちらが正しいのか、おそらくどちらも正しいのだろう。映画ではキングのやり方が功を奏し、世の中を動かす。しかしそれはまさにマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいたからだ。彼がいないところではどうすればいいのか、彼のようなヒーローがいなければ社会変革はできないのか。
(C)2014 Pathe Productions Limited. All rights reserved.
本来は、ヒーローなんかいなくても人々が団結すれば事を成し遂げられるのが正しい社会なのではないか。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはヒーローだ。でも彼がヒーローだからこそ彼がいなくなると運動は勢いを失ってしまった。
公民権有働から現代へと続く動きを考えると、キングのようなヒーローがいなくとも社会運動を推し進めていくにはどうしたらいいのか、そのような視座で公民権運動を見ることができたほうが学びがあるだろう。
もちろんこの映画は主張である前にエンターテインメントだ。だからこれでいいのだろう。でも、この映画で公民権運動に興味を持ったらぜひ『私はあなたのニグロではない』も見てほしい。
https://socine.info/2021/01/29/not-your-nigro/
『グローリー 明日への行進』2014年/イギリス・アメリカ/128分Selma監督:エバ・デュバーネイ脚本:ポール・ウェッブ撮影:ブラッドフォード・ヤング出演:デヴィッド・オイェロウォ、トム・ウィルキンソン、キューバ・グッディング・Jr、ティム・ロス、カルメン・イジョゴ、オプラ・ウィンフリー
『グローリー 明日への行進』をU-NEXT見放題で見る。
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「グローリー 明日への行進』をNETFLIXで見る。
https://socine.info/2020/06/15/blacklivesmatter/
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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