アメリカの歴史を考える上で避けて通れない公民権運動、BlackLivesMatter運動を考える上でも知っておかなければいけない過去です。公民権運動については長年に渡って様々な映画が作らていますが、その中でも比較的最近作られたドキュメンタリー映画が『私はあなたのニグロではない』です。
この作品は、公民権運動家でもあったジェームズ・ボールドウィンが1979年に書いた未完の著作をもとに、当時のボールドウィンや公民権活動家たちの映像でボールドウィンの思想と心情を映像化したものです。
物語は1957年、パリに滞在していた作家のジェームズ・ボールドウィンが、ニュースで黒人の少女が白人に囲まれつばを吐きかけられながら投稿する映像を目にするところから始まります。アメリカに戻り黒人たちのためになにかしなければならないと感じたボールドウィンは、ニューヨークへと戻り、そこでメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングという3人の公民権運動指導者の“目撃者”となるのです。
“目撃者”という立ち位置の意味
この映画は公民権運動をテーマにした映画でありながら、“運動”の映画ではありません。
映画の序盤でジェームズ・ボールドウィンの言葉として、自分は「目撃者(witness)である」という発言が出てきます。彼は運動主体としてではなく、運動の目撃者としてそこにいるのです。
公民権運動が盛り上がっていた1950年代の末、ボールドウィンはメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングのすぐそばで彼らの活動と公民権運動を見つめ、見つめて考えたことを言葉にして公に発表しました。運動に関わって入るものの、彼自身は「運動に参加したわけではない」と考えて自分を“目撃者”と評したのです。
ここがこの映画の一番面白いところであり、かつ一般的には面白くないとされるところだろうと思います。
公民権運動の映画というとやはり運動家の活躍を描くもの。それこそ、マルコムXやマーティン・ルーサー・キングを「ヒーロー」にすれば映画はドラマティックでかつ社会的なメッセージを持つ映画になるし、実際そのような作品が多く作らています。
この映画には彼ら「ヒーロー」が活躍する姿は出てきません。ヒーローたちは出てきますが、描かれるのは主に彼らの「死」なのです。
なぜそうなのでしょうか。そこにはボールドウィンの思想が関係してきます。彼は子供時代に白人の素晴らしい先生にであい、白人のヒーローが活躍する映画を見て育ったことで、白人を敵とみなすこともできなくなり、ヒーローが完全に正義の味方だとみなすこともできなくなってしまいました。
そこから彼は正義と悪という二項対立で世界を見ることができなくなり、その故に自分たちを正義だと主張する公民権運動に没頭することはできなくなってしまったのではないでしょうか。彼らの思想に同調はするけれど、彼らと一緒に戦う事はできない。だから目撃者として彼らの考えを広めることを選んだのです。
しかし、映画の終盤になると、彼はテレビなどで思想を直接的な言葉で語るようになります。これはおそらくヒーローたちが死んだあと、運動の中身が行動から思想へと変わったあとのことだろうと思います。
現代に通じるボールドウィンの問題意識
映画の終盤、ボールドウィンが呼ばれたトークショーに白人の偉そうな教授が登場します。したり顔で語る教授にボールドウィンは噛み付き、白人の無知によって黒人の苦難が続いていると告げるのです。
ここでのボールドウィンの思想は明確です。彼は、黒人は怒りに、白人は恐怖に支配されていて、それが人種間対立を解決しがたいものにしていると考えているのです。この状況は現在まで続いていると言っていいでしょう。
ボールドウィンはこの白人の教授のような「俺は差別なんかしない」という人が持つ恐怖心が無自覚な差別意識を生み、それが問題の解決を難しくしていると考えているのです。
もちろん直接害を与えるのは明確な差別意識を持った人々で、公民権運動は制度改革によってそのような行動を変えさせることを目的とした運動でした。その目的はある程度果たせたものの、根底にある差別意識や対立構造は解消せず、だからこそボールドウィンは自分なりの運動を始めたのでしょう。
そしてその運動は確実に現在のBLM運動につながっています。BLM運動においても、直接的に行動する人たちにスポットライトが当たりがちですが、本当に問題を解決するために必要なのは、直接問題に関わらない人たちの考え方を変えることであることは明らかです。
公民権運動という50年以上前の運動についてのこの映画が現代に作られた意味は、そこにあるのではないでしょうか。
VIDEO
『私はあなたのニグロではない』 2016年/アメリカ・フランス・ベルギー・スイス/93分 I Am Not Your Negro 監督:ラウル・ペック 原作:ジェームズ・ボールドウィン 撮影:ヘンリー・アデボノジョ、ビル・ロス、ターナー・ロス 音楽:アレクセイ・アイギ 出演:ジェームズ・ボールドウィン、メドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング・Jr.
U-NEXTの見放題で見る。
https://socine.info/2021/01/29/not-your-nigro/ https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/01/notyournigro1.jpg?fit=640%2C427&ssl=1 https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/01/notyournigro1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1 2021-01-29T18:34:54+09:00 ishimura Movie BlackLivesMatter,ドキュメンタリー,公民権運動 アメリカの歴史を考える上で避けて通れない公民権運動、BlackLivesMatter運動を考える上でも知っておかなければいけない過去です。公民権運動については長年に渡って様々な映画が作らていますが、その中でも比較的最近作られたドキュメンタリー映画が『私はあなたのニグロではない』です。
この作品は、公民権運動家でもあったジェームズ・ボールドウィンが1979年に書いた未完の著作をもとに、当時のボールドウィンや公民権活動家たちの映像でボールドウィンの思想と心情を映像化したものです。
物語は1957年、パリに滞在していた作家のジェームズ・ボールドウィンが、ニュースで黒人の少女が白人に囲まれつばを吐きかけられながら投稿する映像を目にするところから始まります。アメリカに戻り黒人たちのためになにかしなければならないと感じたボールドウィンは、ニューヨークへと戻り、そこでメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングという3人の公民権運動指導者の“目撃者”となるのです。
“目撃者”という立ち位置の意味
この映画は公民権運動をテーマにした映画でありながら、“運動”の映画ではありません。
映画の序盤でジェームズ・ボールドウィンの言葉として、自分は「目撃者(witness)である」という発言が出てきます。彼は運動主体としてではなく、運動の目撃者としてそこにいるのです。
公民権運動が盛り上がっていた1950年代の末、ボールドウィンはメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングのすぐそばで彼らの活動と公民権運動を見つめ、見つめて考えたことを言葉にして公に発表しました。運動に関わって入るものの、彼自身は「運動に参加したわけではない」と考えて自分を“目撃者”と評したのです。
ここがこの映画の一番面白いところであり、かつ一般的には面白くないとされるところだろうと思います。
公民権運動の映画というとやはり運動家の活躍を描くもの。それこそ、マルコムXやマーティン・ルーサー・キングを「ヒーロー」にすれば映画はドラマティックでかつ社会的なメッセージを持つ映画になるし、実際そのような作品が多く作らています。
この映画には彼ら「ヒーロー」が活躍する姿は出てきません。ヒーローたちは出てきますが、描かれるのは主に彼らの「死」なのです。
なぜそうなのでしょうか。そこにはボールドウィンの思想が関係してきます。彼は子供時代に白人の素晴らしい先生にであい、白人のヒーローが活躍する映画を見て育ったことで、白人を敵とみなすこともできなくなり、ヒーローが完全に正義の味方だとみなすこともできなくなってしまいました。
そこから彼は正義と悪という二項対立で世界を見ることができなくなり、その故に自分たちを正義だと主張する公民権運動に没頭することはできなくなってしまったのではないでしょうか。彼らの思想に同調はするけれど、彼らと一緒に戦う事はできない。だから目撃者として彼らの考えを広めることを選んだのです。
しかし、映画の終盤になると、彼はテレビなどで思想を直接的な言葉で語るようになります。これはおそらくヒーローたちが死んだあと、運動の中身が行動から思想へと変わったあとのことだろうと思います。
現代に通じるボールドウィンの問題意識
映画の終盤、ボールドウィンが呼ばれたトークショーに白人の偉そうな教授が登場します。したり顔で語る教授にボールドウィンは噛み付き、白人の無知によって黒人の苦難が続いていると告げるのです。
ここでのボールドウィンの思想は明確です。彼は、黒人は怒りに、白人は恐怖に支配されていて、それが人種間対立を解決しがたいものにしていると考えているのです。この状況は現在まで続いていると言っていいでしょう。
ボールドウィンはこの白人の教授のような「俺は差別なんかしない」という人が持つ恐怖心が無自覚な差別意識を生み、それが問題の解決を難しくしていると考えているのです。
もちろん直接害を与えるのは明確な差別意識を持った人々で、公民権運動は制度改革によってそのような行動を変えさせることを目的とした運動でした。その目的はある程度果たせたものの、根底にある差別意識や対立構造は解消せず、だからこそボールドウィンは自分なりの運動を始めたのでしょう。
そしてその運動は確実に現在のBLM運動につながっています。BLM運動においても、直接的に行動する人たちにスポットライトが当たりがちですが、本当に問題を解決するために必要なのは、直接問題に関わらない人たちの考え方を変えることであることは明らかです。
公民権運動という50年以上前の運動についてのこの映画が現代に作られた意味は、そこにあるのではないでしょうか。
https://youtu.be/GNOGFngkyls
『私はあなたのニグロではない』2016年/アメリカ・フランス・ベルギー・スイス/93分I Am Not Your Negro監督:ラウル・ペック原作:ジェームズ・ボールドウィン撮影:ヘンリー・アデボノジョ、ビル・ロス、ターナー・ロス音楽:アレクセイ・アイギ出演:ジェームズ・ボールドウィン、メドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング・Jr.
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https://socine.info/2020/06/15/blacklivesmatter/
Kenji
Ishimura ishimura@cinema-today.net Administrator ライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ 」主宰、ライターとしてgreenz.jp などに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。 ソーシネ
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