「信仰」や「宗教」というと日本人の多くは身構える。
それはなぜなのだろうか?
私も特に信仰心が篤い方でもなく、宗教に関わるのは、冠婚葬祭と初詣とどこかに旅行に行ったときに訪れる神社仏閣くらいのものだ。

今日の作品『樹木希林 わたしの神様』は、樹木希林さんが2013年の伊勢神宮の式年遷宮を訪ねるという映画で、その最初に希林さんが「日常的にお経を唱える」と言うのでちょっとびっくりする。

希林さんは遷宮数ヶ月前にまず伊勢神宮を訪れてお参りをし、遷宮当日にも訪れる。その間に歌人の岡野弘彦さんに会いに行ったり、雄勝町に津波で流されて再建された神社というか社を訪れたりもする。

この映画を見ると、自分にとって信仰とは何なのかということを考えさせられる。普段から意識をしているものではないけれど、寺社仏閣に行けば神妙になるし、どこかで神様(八百万の神)が世界を見守っているという意識はあるような気がする。明確な形にはなっていないその意識が、儀礼に参加するときに形となって表れるのかもしれない。

© 東海テレビ放送

この映画で一番印象的だったのは、希林さんの「神様に感謝はするけれどお願いはしない」という姿勢だ。お参りをするときはだいたいお願いをするもので、どうやったら神様は聞き届けてくれるものかと頭をひねるのだけれど、神様っていうのはそういうものなのではないんじゃないかと思う。八百万の神と言うくらいだから神は偏在していて、神社だけにいるわけではない。あちこちで私たちの日頃の行いを見て、「こいつは関心なやつだから報われるようにしてやろう」とか考えてくれているんじゃないだろうか。

神社やお寺にお参りに行くというのは儀礼であり、それは日常における神仏とのつながりを確認するためのものであるのではないだろうか。寺社に行ってお願いをするということは、そのお願いを聞き届けてもらうために日々なにをすべきなのかを自分に問いかけることなのではないか、そんなことを考えた。

© 東海テレビ放送

と、ここまで全くソーシャルな話ではないけれど、この作品は、ここで何本も取り上げてきた東海テレビのドキュメンタリーの1作品。社会派の作品を撮り続けてきた東海テレビがなぜこのような作品を撮ったのか?

それを解く鍵は、伊勢神宮自体以外のエピソードにある気がする。一つは、歌人の岡野弘彦さんとの対話。戦争を体験した岡野さんが戦後、伊勢神宮に啓示を求めて行ったけれど得られなかったことを読んだ歌、それを手がかりに交わされる会話に日本人と神様との関わりの一つの姿が見えてくる。

もう1つは、雄勝の神社で行われる祭りの様子。非常に小さい規模で参加する人たちも少ないのだけれど、神社が地域コミュニティの中心として長年に渡って機能してきたということがこの映像から見て取れる。

つまり、信仰は個人の問題でもあるけれど、社会について考えるときに欠かせない要素の一つでもある。だから「社会問題」ではないけれど「社会の問題」ではある。そして、あまりにスピードが早く自分のことを振り返る時間がない現代社会において、寺社で過ごす時間というのはゆったりとしていて、自分のことを振り返るのにふさわしい時間になる。

だから、信仰云々ではなく、寺社の存在が今の社会には意味がある。そこからなにを考え、なにをするかはその人次第、そんな当たり前のようなでも大切なようなことを考えさせられる作品だった。

ちなみに、東海テレビと樹木希林さんの関わりは深いようで、2015年には「樹木希林ドキュメンタリーの旅」というシリーズを放送、『人生フルーツ』のナレーションも務め、今年1月には、その『人生フルーツ』の津端英子さんと居酒屋で「女子会」をするという『樹木希林の居酒屋ばぁば』も放送された(見たい!)。

『樹木希林 わたしの神様』
2014年/日本/96分
監督:伏原健之
撮影:中根芳樹、谷口たつみ
音楽:村井秀清
出演:樹木希林

5月にまたスカパーで東海テレビドキュメンタリー特集放送があります!

詳細はこちら

http://socine.info/wp-content/uploads/2017/04/kiki_main.jpghttp://socine.info/wp-content/uploads/2017/04/kiki_main-300x300.jpgishimuraMovie伊勢神宮,信仰,地方テレビ局,東海テレビ放送,樹木希林
「信仰」や「宗教」というと日本人の多くは身構える。 それはなぜなのだろうか? 私も特に信仰心が篤い方でもなく、宗教に関わるのは、冠婚葬祭と初詣とどこかに旅行に行ったときに訪れる神社仏閣くらいのものだ。 今日の作品『樹木希林 わたしの神様』は、樹木希林さんが2013年の伊勢神宮の式年遷宮を訪ねるという映画で、その最初に希林さんが「日常的にお経を唱える」と言うのでちょっとびっくりする。 希林さんは遷宮数ヶ月前にまず伊勢神宮を訪れてお参りをし、遷宮当日にも訪れる。その間に歌人の岡野弘彦さんに会いに行ったり、雄勝町に津波で流されて再建された神社というか社を訪れたりもする。 この映画を見ると、自分にとって信仰とは何なのかということを考えさせられる。普段から意識をしているものではないけれど、寺社仏閣に行けば神妙になるし、どこかで神様(八百万の神)が世界を見守っているという意識はあるような気がする。明確な形にはなっていないその意識が、儀礼に参加するときに形となって表れるのかもしれない。 この映画で一番印象的だったのは、希林さんの「神様に感謝はするけれどお願いはしない」という姿勢だ。お参りをするときはだいたいお願いをするもので、どうやったら神様は聞き届けてくれるものかと頭をひねるのだけれど、神様っていうのはそういうものなのではないんじゃないかと思う。八百万の神と言うくらいだから神は偏在していて、神社だけにいるわけではない。あちこちで私たちの日頃の行いを見て、「こいつは関心なやつだから報われるようにしてやろう」とか考えてくれているんじゃないだろうか。 神社やお寺にお参りに行くというのは儀礼であり、それは日常における神仏とのつながりを確認するためのものであるのではないだろうか。寺社に行ってお願いをするということは、そのお願いを聞き届けてもらうために日々なにをすべきなのかを自分に問いかけることなのではないか、そんなことを考えた。 と、ここまで全くソーシャルな話ではないけれど、この作品は、ここで何本も取り上げてきた東海テレビのドキュメンタリーの1作品。社会派の作品を撮り続けてきた東海テレビがなぜこのような作品を撮ったのか? それを解く鍵は、伊勢神宮自体以外のエピソードにある気がする。一つは、歌人の岡野弘彦さんとの対話。戦争を体験した岡野さんが戦後、伊勢神宮に啓示を求めて行ったけれど得られなかったことを読んだ歌、それを手がかりに交わされる会話に日本人と神様との関わりの一つの姿が見えてくる。 もう1つは、雄勝の神社で行われる祭りの様子。非常に小さい規模で参加する人たちも少ないのだけれど、神社が地域コミュニティの中心として長年に渡って機能してきたということがこの映像から見て取れる。 つまり、信仰は個人の問題でもあるけれど、社会について考えるときに欠かせない要素の一つでもある。だから「社会問題」ではないけれど「社会の問題」ではある。そして、あまりにスピードが早く自分のことを振り返る時間がない現代社会において、寺社で過ごす時間というのはゆったりとしていて、自分のことを振り返るのにふさわしい時間になる。 だから、信仰云々ではなく、寺社の存在が今の社会には意味がある。そこからなにを考え、なにをするかはその人次第、そんな当たり前のようなでも大切なようなことを考えさせられる作品だった。 ちなみに、東海テレビと樹木希林さんの関わりは深いようで、2015年には「樹木希林ドキュメンタリーの旅」というシリーズを放送、『人生フルーツ』のナレーションも務め、今年1月には、その『人生フルーツ』の津端英子さんと居酒屋で「女子会」をするという『樹木希林の居酒屋ばぁば』も放送された(見たい!)。 『樹木希林 わたしの神様』 2014年/日本/96分 監督:伏原健之 撮影:中根芳樹、谷口たつみ 音楽:村井秀清 出演:樹木希林 5月にまたスカパーで東海テレビドキュメンタリー特集放送があります! 詳細はこちら