家族の中で一人だけ耳が聞こえる高校生のルビー。毎朝、父と兄と一緒に漁に出て手話通訳もする日々を送っている。高校で合唱クラブに入部したルビーは顧問の先生に可能性を見出され、バークレー音楽大学の受験を進められる。耳が聞こえない両親はルビーに才能があるのかわからず反対するが、ルビーは家業を手伝いながらレッスンに通う日々を送る。しかし、父と兄が耳が聞こえないことを理由に操業免許を停止される危機が訪れる。
実際に聴覚に障害のある俳優たちがルビーの家族を演じ、父親役を務めたトロイ・コッツァーは男性のろう者で初めてアカデミー賞(助演男優賞)を受賞した。
自立する子供と理解できない親
主人公のルビーは朝3時に起きて家業である漁業を手伝い、その後学校に行く生活を続けていた。家族の中で唯一人耳が聞こえるルビーは家業に欠かせない存在で、高校卒業後もそれを続けていくつもりでいた。しかし、高校で合唱クラブに入り、自分の情熱が歌うことにあると気づく。そして、顧問の先生に可能性があると言われて、バークレー音楽大学への進学を目指すようになる。
家族は耳が聞こえないので、ルビーの音楽への情熱も理解できないし、ルビーに才能があるかどうかもわからないところがポイントになるが、これは耳が聞こえない家族だから音楽というだけで、子供が情熱を注ぐものを親が理解できないというのは、どんな親子でも起こりうることだ。
この映画の核心部分は、自立しようとする子供と親の関係の変化と、世代間のギャップの問題であり、それは耳が聞こえる聞こえないに関係なく普遍的な問題だ。
この物語が特殊なのは、ルビーが小さい頃から家族に頼られてきたという点だ。一般的には、親に守られてきた子供がその保護から飛び出るときに、親との間に考え方の齟齬が生じ衝突が起きるという構図がオーソドックスなものだ。しかし、この家族ではルビーは守られると同時に家族を守る存在でもある。ルビーが巣立つことは親の保護から飛び出るだけでなく、家族の安全を脅かす可能性も秘めている。
この映画のタイトルは「Coda(耳が聞こえない親に育てられた子供)」だが、ルビーはCodaであるがゆえに他の子供より深い悩みを抱え、それを克服していかなければならなくなる。自立したいという思いと家族を守らなければならないという思い、その間で揺れながら成長していく物語はドラマティックで感動的なものだ。親も子供も成長し、最後にはお互いが相手を尊重し会えるようになる、それは素晴らしいことだと思う。
手話と差別と世代間のギャップ
この映画が親子の関係と同時に描いているのが、ろうの家族と社会との関係だ。一番わかりやすく表れるのは差別的な言動で、ルビーの兄レオはパブでぶつかってきた男に馬鹿にされて喧嘩になる。
ここで思ったのは、差別は耳が聴こえないことに対してではなく手話に対してのものだということだ。喧嘩になる前、大人しく仲間の話を聞いている(唇を読んでいる)レオは仲間はずれにされているわけではない。しかし、手話で食って掛かるとそこで喧嘩が起きる。人は自分が理解できないものを異物として排除したくなる。手話で話す人達は異物であり、少し怖くもあって、だから排除しようとして差別が起きる。
それもあって、手話でコミュニケーションするロッシ一家は社会から距離をおいている。家族が漁師たちと協同組合を始めようという時、兄は「やっと仲間に入れる」というが母は「仲間ならいる」という。ルビーは「月に1度会うろう仲間のこと」と聞く。これが彼らが「ろうの社会」に生きていることの証左だ。
でも、レオとルビーはろうの社会に閉じこもるのではなく、外の社会にでていこうという意思がある。これは世代間のギャップなのだろう。レオやルビーはろう者の世界も健常者の世界も両方知っている。その上で閉じこもっていてはだめだと感じているし、社会も変わりつつある事を感じているのかもしれない。だからレオはルビーが家族の中にとどまってその犠牲になるのではなく、自分が両親を外の世界に連れて行く役目を果たすから、ルビーには自由に羽ばたいてほしいと願うのだろう。
両親も本当に納得しているかはわからないが、子供の考えを尊重して先へ進むことにする。家族は新しい形でまた一つになることができて、映画も幕を閉じるのだ。
ろうという障害を扱って入るが、決して感動ポルノになることはなく、しっかりヒューマンドラマとして感動的な物語になっているところがこの映画の一番良かったところだと思った。
『コーダ あいのうた』
Coda
2021年/アメリカ・フランス・カナダ/112分
監督:シアン・へダー
オリジナル脚本:ビクトリア・ペドス、スタニスラス・カレ・ド・マルベルグ、エリック・ラルティゴ、トーマス・ビデガン
脚本:シアン・ヘダー
撮影:パウラ・ウイドブロ
音楽:マリウス・デ・ブリーズ
出演:エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ
https://socine.info/2023/03/17/coda/https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/03/coda_1.jpg?fit=640%2C427&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/03/coda_1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieヒューマンドラマ,家族,聴覚障害(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
家族の中で一人だけ耳が聞こえる高校生のルビー。毎朝、父と兄と一緒に漁に出て手話通訳もする日々を送っている。高校で合唱クラブに入部したルビーは顧問の先生に可能性を見出され、バークレー音楽大学の受験を進められる。耳が聞こえない両親はルビーに才能があるのかわからず反対するが、ルビーは家業を手伝いながらレッスンに通う日々を送る。しかし、父と兄が耳が聞こえないことを理由に操業免許を停止される危機が訪れる。
実際に聴覚に障害のある俳優たちがルビーの家族を演じ、父親役を務めたトロイ・コッツァーは男性のろう者で初めてアカデミー賞(助演男優賞)を受賞した。
自立する子供と理解できない親
主人公のルビーは朝3時に起きて家業である漁業を手伝い、その後学校に行く生活を続けていた。家族の中で唯一人耳が聞こえるルビーは家業に欠かせない存在で、高校卒業後もそれを続けていくつもりでいた。しかし、高校で合唱クラブに入り、自分の情熱が歌うことにあると気づく。そして、顧問の先生に可能性があると言われて、バークレー音楽大学への進学を目指すようになる。
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
家族は耳が聞こえないので、ルビーの音楽への情熱も理解できないし、ルビーに才能があるかどうかもわからないところがポイントになるが、これは耳が聞こえない家族だから音楽というだけで、子供が情熱を注ぐものを親が理解できないというのは、どんな親子でも起こりうることだ。
この映画の核心部分は、自立しようとする子供と親の関係の変化と、世代間のギャップの問題であり、それは耳が聞こえる聞こえないに関係なく普遍的な問題だ。
この物語が特殊なのは、ルビーが小さい頃から家族に頼られてきたという点だ。一般的には、親に守られてきた子供がその保護から飛び出るときに、親との間に考え方の齟齬が生じ衝突が起きるという構図がオーソドックスなものだ。しかし、この家族ではルビーは守られると同時に家族を守る存在でもある。ルビーが巣立つことは親の保護から飛び出るだけでなく、家族の安全を脅かす可能性も秘めている。
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
この映画のタイトルは「Coda(耳が聞こえない親に育てられた子供)」だが、ルビーはCodaであるがゆえに他の子供より深い悩みを抱え、それを克服していかなければならなくなる。自立したいという思いと家族を守らなければならないという思い、その間で揺れながら成長していく物語はドラマティックで感動的なものだ。親も子供も成長し、最後にはお互いが相手を尊重し会えるようになる、それは素晴らしいことだと思う。
手話と差別と世代間のギャップ
この映画が親子の関係と同時に描いているのが、ろうの家族と社会との関係だ。一番わかりやすく表れるのは差別的な言動で、ルビーの兄レオはパブでぶつかってきた男に馬鹿にされて喧嘩になる。
ここで思ったのは、差別は耳が聴こえないことに対してではなく手話に対してのものだということだ。喧嘩になる前、大人しく仲間の話を聞いている(唇を読んでいる)レオは仲間はずれにされているわけではない。しかし、手話で食って掛かるとそこで喧嘩が起きる。人は自分が理解できないものを異物として排除したくなる。手話で話す人達は異物であり、少し怖くもあって、だから排除しようとして差別が起きる。
それもあって、手話でコミュニケーションするロッシ一家は社会から距離をおいている。家族が漁師たちと協同組合を始めようという時、兄は「やっと仲間に入れる」というが母は「仲間ならいる」という。ルビーは「月に1度会うろう仲間のこと」と聞く。これが彼らが「ろうの社会」に生きていることの証左だ。
でも、レオとルビーはろうの社会に閉じこもるのではなく、外の社会にでていこうという意思がある。これは世代間のギャップなのだろう。レオやルビーはろう者の世界も健常者の世界も両方知っている。その上で閉じこもっていてはだめだと感じているし、社会も変わりつつある事を感じているのかもしれない。だからレオはルビーが家族の中にとどまってその犠牲になるのではなく、自分が両親を外の世界に連れて行く役目を果たすから、ルビーには自由に羽ばたいてほしいと願うのだろう。
(C)2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
両親も本当に納得しているかはわからないが、子供の考えを尊重して先へ進むことにする。家族は新しい形でまた一つになることができて、映画も幕を閉じるのだ。
ろうという障害を扱って入るが、決して感動ポルノになることはなく、しっかりヒューマンドラマとして感動的な物語になっているところがこの映画の一番良かったところだと思った。
『コーダ あいのうた』Coda2021年/アメリカ・フランス・カナダ/112分監督:シアン・へダーオリジナル脚本:ビクトリア・ペドス、スタニスラス・カレ・ド・マルベルグ、エリック・ラルティゴ、トーマス・ビデガン脚本:シアン・ヘダー撮影:パウラ・ウイドブロ音楽:マリウス・デ・ブリーズ出演:エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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