(c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC.

アフガニスタンの映像作家ハッサン・ファジリは制作したドキュメンタリーが原因でタリバンから死刑宣告を受ける。妻と二人の娘と隣国タジキスタンに逃れ、庇護を申請したハッサンだったが、申請は却下されアフガニスタンに戻ることになる。

アフガニスタンで友人の家に身を寄せたハッサン一家だったが、危険はなくならず、ヨーロッパへと逃れることを決意する。しかし、ヨーロッパへの道のりは陸路でイラン、トルコを経由して5000キロを超える旅になる。3台のスマートフォンでそれを記録するハッサンたちは果たしてヨーロッパにたどり着くのか。

ただ救われることを祈る

こんなに緊迫感のあるロードムービーはない。タジキスタンからアフガニスタン、イラン、トルコそしてヨーロッパの入り口ブルガリア、このあたりは、襲われないか、捕まらないか、騙されないかという恐れに覆われ、非常な緊迫感がある。

だからただただ「無事たどり着いてくれ」と祈るばかりで何かを考えるには至らない。部分部分で、理不尽さへの怒りは生まれるし、そんな理不尽な世界を生きなければならない人々が多くいることにはなんとかならないかと思うけれど、まずは目の前の彼らが救われることがその問題の解決にも重要になるはずだとばかり思う。

(c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC.

映せなかったものの意味

この映画を考える上でポイントになるのは、重要な場面が欠けていることだ。これは逃亡者であるハッサン一家自身がカメラを回しているから仕方がないことではある。ときにはスマホを取り上げられ、あるときはカメラなど回している状況ではない場合もある。カメラを向けられない人と出会うこともある。だからどうしても映像には不足部分が生まれるのだ。

この事によって映画が伝えられるメッセージは減じてしまう。しかし、彼らの旅路自体の意味やそこから伝わることは決して減らない。むしろ、彼ら自身がカメラを回さなければならなかったことは、安穏と椅子に座ってこの映画を見るわたしたちが反省しなければならないことだ。

こんなに重要なことが起きてるのに、わたしたちは彼らに注目してこなかったのだから。

映画の中に印象的なシーンがある。ハッサンの上の娘がスマートフォンでマイケル・ジャクソンの「They Don’t Care About Us」を聞き、踊るシーンだ。この曲のタイトルとサビの歌詞は

「彼らはわたしたちのことなんでどうでもいいんだ」

という言葉。まさにわたしたちの彼らへの態度を端的に表している。

ただ、この映像が撮れたのは、父親であるハッサンがスマートフォンで撮影したからこそで、その意味ではこの映画が私的なドキュメンタリーであることでわたしたちに濃いメッセージを伝えられるようになった面もあるといえるだろう。

(c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC.

わたしたちの“罪”

結局何が言いたいかというと、ハッサンは自分で映像を撮らなければならなかったし、自力でヨーロッパまでたどり着かなければならなかったのだ。そうしなければ、人々にアフガニスタンのことを思い出させ、世界を仲間に引き入れることはできなかったのだ。

20年前イランの映画監督モフセン・マフマルバフは『アフガニスタンの仏像は壊されたのではない恥辱のあまり崩れ去ったのだ』という本を書いた。アフガニスタンの仏像はタリバンによって壊されたのだが、モフセン・マフマルバフによれば、仏はアフガニスタンの人々を救えない自分の無力さに恥じ入り、自らを破壊することで世界の人々の目をアフガニスタンに向けようとしたのだと。

もちろんこれは事実ではない。しかし、巨大な仏像が壊されたことで世界の注目がアフガニスタンに集まったことは確かだった。それまでわたしたちはアフガニスタンに注目していなかった。

20年がたち、わたしたちはまたアフガニスタンのことを忘れ、タリバンが全土を掌握し、米軍が撤退し、日本は救出作戦に失敗したことで思い出した。

この映画でハッサンたち家族は20年前のモフセン・マフマルバフのように私たちにアフガニスタンのことを伝えようとした。今回の出来事で明らかになったタリバンと世界の理不尽さを自らの体験を通して表現し直しているのだ。

モフセン・マフマルバフは20年前、逆にアフガニスタンに向かうロードムービーで同じことを表現しようとした。

しかし、モフセン・マフマルバフの警句は間に合わず、9.11が起きてしまった。わたしたちは20年前のことを思い出し、ハッサンたちが命がけで発した警句を深刻に受け止め、私たちに何ができるのか考えなければいけない。もちろん私たちにできることはほとんどない。でも、アフガニスタンに注目し続け、タリバンのやることを注視しつづけ、おかしいことはおかしいということは無駄ではない。

そして、この問題の根っこについて知り、考え続けることも必要だ。それは私達自身の未来に直接つながっていることだから。

『ミッドナイト・トラベラー』
Midnight Traveler
2019年/アメリカ・カタール・カナダ・イギリス/87分
監督:ハッサン・ファジリ
脚本:エムリー・マフダヴィアン
撮影:ナルギス・ファジリ、ザフラ・ファジリ、ファティマ・フサイニ、ハッサン・ファジリ
音楽:グレッチェン・ジュード
出演:ナルギス・ファジリ、ザフラ・ファジリ、ファティマ・フサイニ、ハッサン・ファジリ

https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/09/midnight_traveler_main.jpg?fit=1024%2C576&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/09/midnight_traveler_main.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraFeaturedMovieTheaterドキュメンタリー
(c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC. アフガニスタンの映像作家ハッサン・ファジリは制作したドキュメンタリーが原因でタリバンから死刑宣告を受ける。妻と二人の娘と隣国タジキスタンに逃れ、庇護を申請したハッサンだったが、申請は却下されアフガニスタンに戻ることになる。 アフガニスタンで友人の家に身を寄せたハッサン一家だったが、危険はなくならず、ヨーロッパへと逃れることを決意する。しかし、ヨーロッパへの道のりは陸路でイラン、トルコを経由して5000キロを超える旅になる。3台のスマートフォンでそれを記録するハッサンたちは果たしてヨーロッパにたどり着くのか。 ただ救われることを祈る こんなに緊迫感のあるロードムービーはない。タジキスタンからアフガニスタン、イラン、トルコそしてヨーロッパの入り口ブルガリア、このあたりは、襲われないか、捕まらないか、騙されないかという恐れに覆われ、非常な緊迫感がある。 だからただただ「無事たどり着いてくれ」と祈るばかりで何かを考えるには至らない。部分部分で、理不尽さへの怒りは生まれるし、そんな理不尽な世界を生きなければならない人々が多くいることにはなんとかならないかと思うけれど、まずは目の前の彼らが救われることがその問題の解決にも重要になるはずだとばかり思う。 (c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC. 映せなかったものの意味 この映画を考える上でポイントになるのは、重要な場面が欠けていることだ。これは逃亡者であるハッサン一家自身がカメラを回しているから仕方がないことではある。ときにはスマホを取り上げられ、あるときはカメラなど回している状況ではない場合もある。カメラを向けられない人と出会うこともある。だからどうしても映像には不足部分が生まれるのだ。 この事によって映画が伝えられるメッセージは減じてしまう。しかし、彼らの旅路自体の意味やそこから伝わることは決して減らない。むしろ、彼ら自身がカメラを回さなければならなかったことは、安穏と椅子に座ってこの映画を見るわたしたちが反省しなければならないことだ。 こんなに重要なことが起きてるのに、わたしたちは彼らに注目してこなかったのだから。 映画の中に印象的なシーンがある。ハッサンの上の娘がスマートフォンでマイケル・ジャクソンの「They Don't Care About Us」を聞き、踊るシーンだ。この曲のタイトルとサビの歌詞は 「彼らはわたしたちのことなんでどうでもいいんだ」 という言葉。まさにわたしたちの彼らへの態度を端的に表している。 ただ、この映像が撮れたのは、父親であるハッサンがスマートフォンで撮影したからこそで、その意味ではこの映画が私的なドキュメンタリーであることでわたしたちに濃いメッセージを伝えられるようになった面もあるといえるだろう。 (c)2019 OLD CHILLY PICTURES LLC. わたしたちの“罪” 結局何が言いたいかというと、ハッサンは自分で映像を撮らなければならなかったし、自力でヨーロッパまでたどり着かなければならなかったのだ。そうしなければ、人々にアフガニスタンのことを思い出させ、世界を仲間に引き入れることはできなかったのだ。 20年前イランの映画監督モフセン・マフマルバフは『アフガニスタンの仏像は壊されたのではない恥辱のあまり崩れ去ったのだ』という本を書いた。アフガニスタンの仏像はタリバンによって壊されたのだが、モフセン・マフマルバフによれば、仏はアフガニスタンの人々を救えない自分の無力さに恥じ入り、自らを破壊することで世界の人々の目をアフガニスタンに向けようとしたのだと。 もちろんこれは事実ではない。しかし、巨大な仏像が壊されたことで世界の注目がアフガニスタンに集まったことは確かだった。それまでわたしたちはアフガニスタンに注目していなかった。 20年がたち、わたしたちはまたアフガニスタンのことを忘れ、タリバンが全土を掌握し、米軍が撤退し、日本は救出作戦に失敗したことで思い出した。 この映画でハッサンたち家族は20年前のモフセン・マフマルバフのように私たちにアフガニスタンのことを伝えようとした。今回の出来事で明らかになったタリバンと世界の理不尽さを自らの体験を通して表現し直しているのだ。 モフセン・マフマルバフは20年前、逆にアフガニスタンに向かうロードムービーで同じことを表現しようとした。 https://socine.info/2021/08/16/ghandehar/ しかし、モフセン・マフマルバフの警句は間に合わず、9.11が起きてしまった。わたしたちは20年前のことを思い出し、ハッサンたちが命がけで発した警句を深刻に受け止め、私たちに何ができるのか考えなければいけない。もちろん私たちにできることはほとんどない。でも、アフガニスタンに注目し続け、タリバンのやることを注視しつづけ、おかしいことはおかしいということは無駄ではない。 そして、この問題の根っこについて知り、考え続けることも必要だ。それは私達自身の未来に直接つながっていることだから。 『ミッドナイト・トラベラー』Midnight Traveler2019年/アメリカ・カタール・カナダ・イギリス/87分監督:ハッサン・ファジリ脚本:エムリー・マフダヴィアン撮影:ナルギス・ファジリ、ザフラ・ファジリ、ファティマ・フサイニ、ハッサン・ファジリ音楽:グレッチェン・ジュード出演:ナルギス・ファジリ、ザフラ・ファジリ、ファティマ・フサイニ、ハッサン・ファジリ https://youtu.be/iNLSbK6tjw0
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