(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE

チリの田舎町トコピージャから首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家、思春期を迎えたアレハンドロは詩の魅力に引き付けられるが、父親には医者になるように言われる。母方の家族の集まりで不満を爆発させたアレハンドロはいとこの紹介でアーティストが集まるフラットに身を寄せる。

詩人を目指すことを決意したアレハンドロは、ニカノール・パラら同時代の詩人との出会いを通して自分の生き方を探っていく。

アレハンドロ・ホドロフスキーが自身の青年期をモデルに生きることとは何かを問うたヒューマンドラマ。

詩人の哲学と家族の衝突

前作『リアリティのダンス』は幻想的な寓話の連なりでしたが、こちらはある程度しっかりとストーリーがあるドラマになっています。それでももちろん普通の映画ではなく、フリークスも犬もたくさん出てくるし、幻想的と言うべき表現が盛り沢山です。

テーマも前作よりわかりやすく、青年が等しくぶつかる「生きることの意味」を問う映画だということができると思います。

ただ登場人物にしても舞台装置にしても、決してリアルではなく、前作同様アレハンドロの心象風景を映像化したものと考えられます。なので、一つ一つのエピソードが意味するところは捉えづらく、やはり深く考えていかなければなりません。

気になるところは人それぞれだと思いますが、私が最初に気になったのは、アレハンドロにとって最初のミューズとなったステラを演じているのが母親と同一人物であるということ。これはアレハンドロがマザコンというか、アレハンドロにとって母こそがミューズであることを示しているのだろうと思います。

(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE

それに対して父親は自分とは正反対の生き方をする存在、前作で変わったかと思ったのに、まったく変わっていませんでした。でもこの父の存在が重要であることが映画の最後に明かされます。

つまるところこの物語は両親との関係を描いた物語、家から出て芸術的・哲学的探索をしたものの、最終的には両親との関係に戻ってくる物語なのではないかという気がしました。

それを乗り越えて初めて人生の次のステップへと踏み出せる、その過程を描いたのがこの映画であり、その中で見つけた生きる意味が詩であり芸術なのでしょう。

ホドロフスキーのアートの原点は幻想か

というテーマであると思うのですが、前作同様、重要なのは物語やテーマだけではありません。奇妙とも言える映像が連なっているからにはその描写も重要なことは想像できます。

この映画の描写で印象的だったのは様々な芸術の形があることでしょうか。アレハンドロが初めて芸術家たちのフラットに行ったときから、立体作品やバレエ、アクションペインティングなどに出会い、相棒となるエンリケ・リン(実在する詩人)に出会ってからはアレハンドロ自身も「行動する詩人」としてパフォーミングアートのような行動を取ります。

(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE

ここで思ったのはアートというものが現実と幻想の間にあるものなのではないかということです。アレハンドロとエンリケが詩を披露した後に生卵や生肉を投げるパフォーマンスはアートであり、どこか幻想のようでもあります。アートであるという前提がなければ現実とは思えないものなのです。そもそも詩というものもイメージを言葉で表現するもので、聞いた人、読んだ人の頭の中に幻想を作り出すものとも言えます。

ホドロフスキーは詩を出発点にそんな現実と幻想の間にあるアートを実現することを目指してきた、その結果がこの映像作品であるんだとなんだか妙に納得できました。

アートというのは一般人には見えないもの/聞こえないもの、あるいは見えていても意識に上らないものを見せてくれるもの。そう考えるならホドロフスキーは間違いなくアーティストであり、彼の映画はアート作品に違いないのです。

そのような彼の表現への格闘の第一歩がここにある、これはそんな映画なのでしょう。

『エンドレス・ポエトリー』
2016年/フランス=チリ/128分
監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
撮影:クリストファー・ドイル
音楽:アダン・ホドルフスキー
出演:アダン・ホドルフスキー、パメラ・フローレス、ブロンティス・ホドロフスキー、レアンドロ・タープ

https://socine.info/wp-content/uploads/2020/04/endless_poetry_sub04-1024x576.jpghttps://socine.info/wp-content/uploads/2020/04/endless_poetry_sub04-300x300.jpgishimuraMovieVODアート,アレハンドロ・ホドロフスキー
(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE チリの田舎町トコピージャから首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家、思春期を迎えたアレハンドロは詩の魅力に引き付けられるが、父親には医者になるように言われる。母方の家族の集まりで不満を爆発させたアレハンドロはいとこの紹介でアーティストが集まるフラットに身を寄せる。 詩人を目指すことを決意したアレハンドロは、ニカノール・パラら同時代の詩人との出会いを通して自分の生き方を探っていく。 アレハンドロ・ホドロフスキーが自身の青年期をモデルに生きることとは何かを問うたヒューマンドラマ。 詩人の哲学と家族の衝突 前作『リアリティのダンス』は幻想的な寓話の連なりでしたが、こちらはある程度しっかりとストーリーがあるドラマになっています。それでももちろん普通の映画ではなく、フリークスも犬もたくさん出てくるし、幻想的と言うべき表現が盛り沢山です。 テーマも前作よりわかりやすく、青年が等しくぶつかる「生きることの意味」を問う映画だということができると思います。 ただ登場人物にしても舞台装置にしても、決してリアルではなく、前作同様アレハンドロの心象風景を映像化したものと考えられます。なので、一つ一つのエピソードが意味するところは捉えづらく、やはり深く考えていかなければなりません。 気になるところは人それぞれだと思いますが、私が最初に気になったのは、アレハンドロにとって最初のミューズとなったステラを演じているのが母親と同一人物であるということ。これはアレハンドロがマザコンというか、アレハンドロにとって母こそがミューズであることを示しているのだろうと思います。 (C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE それに対して父親は自分とは正反対の生き方をする存在、前作で変わったかと思ったのに、まったく変わっていませんでした。でもこの父の存在が重要であることが映画の最後に明かされます。 つまるところこの物語は両親との関係を描いた物語、家から出て芸術的・哲学的探索をしたものの、最終的には両親との関係に戻ってくる物語なのではないかという気がしました。 それを乗り越えて初めて人生の次のステップへと踏み出せる、その過程を描いたのがこの映画であり、その中で見つけた生きる意味が詩であり芸術なのでしょう。 ホドロフスキーのアートの原点は幻想か というテーマであると思うのですが、前作同様、重要なのは物語やテーマだけではありません。奇妙とも言える映像が連なっているからにはその描写も重要なことは想像できます。 この映画の描写で印象的だったのは様々な芸術の形があることでしょうか。アレハンドロが初めて芸術家たちのフラットに行ったときから、立体作品やバレエ、アクションペインティングなどに出会い、相棒となるエンリケ・リン(実在する詩人)に出会ってからはアレハンドロ自身も「行動する詩人」としてパフォーミングアートのような行動を取ります。 (C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE ここで思ったのはアートというものが現実と幻想の間にあるものなのではないかということです。アレハンドロとエンリケが詩を披露した後に生卵や生肉を投げるパフォーマンスはアートであり、どこか幻想のようでもあります。アートであるという前提がなければ現実とは思えないものなのです。そもそも詩というものもイメージを言葉で表現するもので、聞いた人、読んだ人の頭の中に幻想を作り出すものとも言えます。 ホドロフスキーは詩を出発点にそんな現実と幻想の間にあるアートを実現することを目指してきた、その結果がこの映像作品であるんだとなんだか妙に納得できました。 アートというのは一般人には見えないもの/聞こえないもの、あるいは見えていても意識に上らないものを見せてくれるもの。そう考えるならホドロフスキーは間違いなくアーティストであり、彼の映画はアート作品に違いないのです。 そのような彼の表現への格闘の第一歩がここにある、これはそんな映画なのでしょう。 https://youtu.be/BmzF3SR-ic0 『エンドレス・ポエトリー』2016年/フランス=チリ/128分監督・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー撮影:クリストファー・ドイル音楽:アダン・ホドルフスキー出演:アダン・ホドルフスキー、パメラ・フローレス、ブロンティス・ホドロフスキー、レアンドロ・タープ https://eigablog.com/vod/movie/endless-poetry/
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