(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

障害者と性の問題について訴え続ける脳性マヒの活動家・熊篠慶彦の体験をもとに、重度障害者と風俗嬢の恋愛を描いたラブストーリー。リリー・フランキーが熊篠さんを演じ、清野菜名が相手役を務めた。障害についての映画というよりは、ラブストーリーの主人公が障害者“たち”であるというだけで、だからこそ普遍性があると感じられる作品。

この映画を見るきっかけとなったのは、『37セカンズ』で障害者を演じるのが障害者自身なのか健常者なのかで何がどう変わるのかを考えてみたいと思ったからでした。

それの考察結果については、greenz.jpの『37セカンズ』のレビュー記事に書きました(2月6日掲載予定)ので、そちらを読んで頂くとして、ここでは、映画『パーフェクト・レボリューション』自体について書きたいと思います。

まず作品を見たい方はこちらで見られるVODを解説しています。

主人公はむしろミツ

映画はクマ(リリー・フランキー)が講演をしているところにミツ(清野菜名)がやってくるところから始まる。ミツは障害者と下(しも)の話ばかりするクマに対して「愛」について質問をぶつける。クマは気圧されるがミツはクマのことを「好きになった」といって猛烈にアタックを始める。最初は避けていたクマだったがミツの強引さに押し切られ関係が変化していくという話。

(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

この映画を見ながらまず思うのは、ミツも何らかの障害を抱えているのだろうということ。ミツの行動はエキセントリックで、周囲を気にせず、純粋で極端、幼児的で正論を吐く 。これを性格と捉えることもできるだろうけれど何らかの障害と名付けることもできるそんなキャラクターを持っている。

そして本当に障害の診断を受けていることは映画の中盤で明かされる。それは人格障害、いまはパーソナリティ障害ということが多いと思うが、それが原因で感情のコントロールや対人関係が難しくなるという障害。

つまり、この映画は質は違うけれどおなじ障害者どうしの恋愛を描いた物語ということになる。

そして、このラブストーリーの主人公はミツだ。もちろん物語はクマの視点で描かれクマの物語として進行するのだが、物語を動かしているのはミツなのだ。

障害者の自由を奪う“常識”

この物語が展開していくのは、ミツが常識をどんどん打ち破っていくからだ。最初の出会いのシーンからして、司会を無視して質問をぶつけ、クマの拒否にもめげずにアタックを続け、理不尽なことには怒り狂い暴力も振るう。

このミツの行動が“異常”に映るのは、ミツのような行動は通常は常識の壁に阻まれているからだ。常識に従う人々はミツのような行動はしない。それで世の中はうまく回っている。

しかし、クマは(ミツも)その常識によって不自由な行動を余儀なくされている。こう書いている私も読んでいるあなたも常識にとらわれているので書き方が難しいのだが、クマの生活が不自由なのは常識のせいなのだ。

(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

それが明らかになるのは例えばクラブのシーン。ミツは踊ろうと言ってクマを誘うが、クマは車椅子だから踊れないと言って拒否する。でもミツは強引にクマを連れてダンスフロワーへ通り車椅子のクマとダンスをする。周囲はそれに拍手を送る。車椅子では踊れないという常識は破られ、クマはできることが一つ増えた。

そしてそれは当事者の2人以外の周りにも波及する。車椅子で踊るクマとミツを見つめた人々の中で車椅子では踊れないという常識の壁は崩れ去る。もともと意識していなかったにしても存在していたであろう常識は霧散するのだ。

革命を阻む常識の根深さ

この映画のタイトルは『パーフェクト・レボリューション』、完璧な革命だ。それが何を指すのかは難しい疑問だが、このときクラブで小さな一つの革命が起きたことは間違いない。ミツは自分とクマと数十人の人々の間に革命を起こしたのだ。

この映画が描くのは、そういう小さな革命の積み重ね、ミツのエキセントリックな行動によって起きる騒動が人々の心の常識を破っていく過程だ。

だが、抵抗は大きい。

その典型は2つ出てくる。1つは2人に密着するというテレビ番組、その制作者は「障害者らしさ」を求め2人を常識の枠に押し込めようとする「視聴者が求めている」といって。本当にそうだろうか?

もう1つは、クマの家族。法事でミツとともに訪れた実家の親戚たちは常識を押し付けようとする。クソみたいな家族のように見えるが、家族だからこそあけすけに語っているだけで、実は多くの人の心のなかには障害者に対する偏見が詰まっている。自分自身すら気づかない偏見が。それが家族という関係性に安心したことで露呈しているだけのことなのではなかろうか。

ここでは革命を起こすのは難しかった。彼らにはそこまでの力はなかったのだ。

革命は自分の中から起こさなければならない

ここで注目したいのが革命の協力者になってくれそうなエリ(小池栄子)の存在だ。エリはクマの介護を長く続けていて、クマの活動にも理解があり協力的で障害者が社会に出ていくことにも理解がある。

クマを本当の家族のように扱い、ミツとの関係を最初は心配する。しかしクマのミツへの思いやミツの正直さに触れて二人の関係を受け入れる。それでもクマとミツの関係は浮き沈みが激しく、エリはクマを心配してミツと何度も衝突することになる。

(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会

そんな関係があって終盤にエリはミツに対して「あなたなら変われる」といい「私も変わりたい」という言葉を発する。

この言葉の真意ははっきりってよくわからなかった。でも映画を最後まで見て思ったのは、エリは自分とミツ両方の心のなかにある障害に気がついて、それを取り除くことが大事だし、それができるはずだと信じるようになったのだということだ。

エリ自身の障害とは常識と言われる偏見のことであり、ミツの障害はその心だ。

ミツの障害というのは自分の心がコントロールできないということだ。それが医学的な意味での障害であるなら自分自身だけで変わることはできないかもしれないが、それこそ医学的な支援を受けるなりして変わろうとすることはできる。ミツはその障害を克服しないとクマと関わり続けることができない。だから変わらなければいけないのだ。

エリはそれができると信じた。なぜなら自分の中にミツ(の障害)に対する偏見という障害があり、それを克服しなければいけないしできると思ったからだ。エリはこのとき、自分の中で小さな革命を起こしたのだ。

ミツは(無意識的であるにしろ)さまざまな人の心に革命の種を植え付けていった。そのひとつがエリの中で芽吹いたのだ。

完璧な革命はあり得るか

しかし、ミツの変化は簡単ではない。社会と関われるように自分の感情をコントロールすることと、常識に絡め取られることの間には明確な違いはなく、ミツは革命の心を失ってしまうかもしれない。

ミツがどうなっていくのか、それがこの映画の最後の物語だ。

そして、映画の終盤ミツはクマに「私たちおとなになったんだよ」という。私は「あー、革命は失敗してしまったんだ」と思った。結末はもう少し先なので革命が成功したか否かは見た人それぞれで判断してほしいのだが、この時点で私は彼らは常識に捉えられ革命を諦めてしまったのだと思ったのだ。

でも、そう思ったということは私の中で小さな一つの革命が起ころうとしていることにも気がついた。私は自分の中の常識の壁の存在に気づき、それを壊すべきだと考え始めた。それこそが革命への第一歩、エリが見つけたのと同じ革命の種ではないか。

この映画がなし得なかったパーフェクト・レボリューションは、現実の世界の観客に引き継がれていく。決して完遂されることはないにしても、それを目指す歩みは止めてはいけないのだ。

『パーフェクト・レボリューション』
2017年/日本/117分
監督・脚本:松本准平
原案:熊篠慶彦
撮影:長野泰隆
音楽:江藤直子
出演:リリー・フランキー、清野菜名、小池栄子、余貴美子、岡山天音

『パーフェクト・レボリューション』を見られるVODは

今はVODでいろいろ映画が見られる時代、『パーフェクト・レボリューション』が見られる動画配信サービスについてはこちらで解説しています。

あわせてみてほしい作品は

37セカンズ

2020年2月7日公開の映画『37セカンズ』は自身も障害者の佳山明が主人公を演じた圧倒的な作品です。ぜひ見てください。

さようならCP

鬼才原一男監督が1974年に、障害者の権利団体「全国青い芝の会」に密着し、脳性マヒの患者たちの生々しい声を集めたドキュメンタリー。45年前のリアルな状況が刺さります。

U-NEXTの見放題で視聴可

オアシス

刑務所から出たばかりの青年と脳性マヒの女性との愛を描いた韓国映画。脳性マヒの女性を演じたムン・ソリの演技がリアルだと評判になりました。

Amazonプライムビデオで視聴可(レンタル) https://socine.info/wp-content/uploads/2020/02/perfect_rev_1-1024x681.jpghttps://socine.info/wp-content/uploads/2020/02/perfect_rev_1-300x300.jpgishimuraFeaturedMovieVODダイバーシティ,日本映画,障害者
(C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会 障害者と性の問題について訴え続ける脳性マヒの活動家・熊篠慶彦の体験をもとに、重度障害者と風俗嬢の恋愛を描いたラブストーリー。リリー・フランキーが熊篠さんを演じ、清野菜名が相手役を務めた。障害についての映画というよりは、ラブストーリーの主人公が障害者“たち”であるというだけで、だからこそ普遍性があると感じられる作品。 この映画を見るきっかけとなったのは、『37セカンズ』で障害者を演じるのが障害者自身なのか健常者なのかで何がどう変わるのかを考えてみたいと思ったからでした。 https://socine.info/2019/11/05/37seconds/ それの考察結果については、greenz.jpの『37セカンズ』のレビュー記事に書きました(2月6日掲載予定)ので、そちらを読んで頂くとして、ここでは、映画『パーフェクト・レボリューション』自体について書きたいと思います。 まず作品を見たい方はこちらで見られるVODを解説しています。 主人公はむしろミツ 映画はクマ(リリー・フランキー)が講演をしているところにミツ(清野菜名)がやってくるところから始まる。ミツは障害者と下(しも)の話ばかりするクマに対して「愛」について質問をぶつける。クマは気圧されるがミツはクマのことを「好きになった」といって猛烈にアタックを始める。最初は避けていたクマだったがミツの強引さに押し切られ関係が変化していくという話。 (C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会 この映画を見ながらまず思うのは、ミツも何らかの障害を抱えているのだろうということ。ミツの行動はエキセントリックで、周囲を気にせず、純粋で極端、幼児的で正論を吐く 。これを性格と捉えることもできるだろうけれど何らかの障害と名付けることもできるそんなキャラクターを持っている。 そして本当に障害の診断を受けていることは映画の中盤で明かされる。それは人格障害、いまはパーソナリティ障害ということが多いと思うが、それが原因で感情のコントロールや対人関係が難しくなるという障害。 つまり、この映画は質は違うけれどおなじ障害者どうしの恋愛を描いた物語ということになる。 そして、このラブストーリーの主人公はミツだ。もちろん物語はクマの視点で描かれクマの物語として進行するのだが、物語を動かしているのはミツなのだ。 障害者の自由を奪う“常識” この物語が展開していくのは、ミツが常識をどんどん打ち破っていくからだ。最初の出会いのシーンからして、司会を無視して質問をぶつけ、クマの拒否にもめげずにアタックを続け、理不尽なことには怒り狂い暴力も振るう。 このミツの行動が“異常”に映るのは、ミツのような行動は通常は常識の壁に阻まれているからだ。常識に従う人々はミツのような行動はしない。それで世の中はうまく回っている。 しかし、クマは(ミツも)その常識によって不自由な行動を余儀なくされている。こう書いている私も読んでいるあなたも常識にとらわれているので書き方が難しいのだが、クマの生活が不自由なのは常識のせいなのだ。 (C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会 それが明らかになるのは例えばクラブのシーン。ミツは踊ろうと言ってクマを誘うが、クマは車椅子だから踊れないと言って拒否する。でもミツは強引にクマを連れてダンスフロワーへ通り車椅子のクマとダンスをする。周囲はそれに拍手を送る。車椅子では踊れないという常識は破られ、クマはできることが一つ増えた。 そしてそれは当事者の2人以外の周りにも波及する。車椅子で踊るクマとミツを見つめた人々の中で車椅子では踊れないという常識の壁は崩れ去る。もともと意識していなかったにしても存在していたであろう常識は霧散するのだ。 革命を阻む常識の根深さ この映画のタイトルは『パーフェクト・レボリューション』、完璧な革命だ。それが何を指すのかは難しい疑問だが、このときクラブで小さな一つの革命が起きたことは間違いない。ミツは自分とクマと数十人の人々の間に革命を起こしたのだ。 この映画が描くのは、そういう小さな革命の積み重ね、ミツのエキセントリックな行動によって起きる騒動が人々の心の常識を破っていく過程だ。 だが、抵抗は大きい。 その典型は2つ出てくる。1つは2人に密着するというテレビ番組、その制作者は「障害者らしさ」を求め2人を常識の枠に押し込めようとする「視聴者が求めている」といって。本当にそうだろうか? もう1つは、クマの家族。法事でミツとともに訪れた実家の親戚たちは常識を押し付けようとする。クソみたいな家族のように見えるが、家族だからこそあけすけに語っているだけで、実は多くの人の心のなかには障害者に対する偏見が詰まっている。自分自身すら気づかない偏見が。それが家族という関係性に安心したことで露呈しているだけのことなのではなかろうか。 ここでは革命を起こすのは難しかった。彼らにはそこまでの力はなかったのだ。 革命は自分の中から起こさなければならない ここで注目したいのが革命の協力者になってくれそうなエリ(小池栄子)の存在だ。エリはクマの介護を長く続けていて、クマの活動にも理解があり協力的で障害者が社会に出ていくことにも理解がある。 クマを本当の家族のように扱い、ミツとの関係を最初は心配する。しかしクマのミツへの思いやミツの正直さに触れて二人の関係を受け入れる。それでもクマとミツの関係は浮き沈みが激しく、エリはクマを心配してミツと何度も衝突することになる。 (C)2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会 そんな関係があって終盤にエリはミツに対して「あなたなら変われる」といい「私も変わりたい」という言葉を発する。 この言葉の真意ははっきりってよくわからなかった。でも映画を最後まで見て思ったのは、エリは自分とミツ両方の心のなかにある障害に気がついて、それを取り除くことが大事だし、それができるはずだと信じるようになったのだということだ。 エリ自身の障害とは常識と言われる偏見のことであり、ミツの障害はその心だ。 ミツの障害というのは自分の心がコントロールできないということだ。それが医学的な意味での障害であるなら自分自身だけで変わることはできないかもしれないが、それこそ医学的な支援を受けるなりして変わろうとすることはできる。ミツはその障害を克服しないとクマと関わり続けることができない。だから変わらなければいけないのだ。 エリはそれができると信じた。なぜなら自分の中にミツ(の障害)に対する偏見という障害があり、それを克服しなければいけないしできると思ったからだ。エリはこのとき、自分の中で小さな革命を起こしたのだ。 ミツは(無意識的であるにしろ)さまざまな人の心に革命の種を植え付けていった。そのひとつがエリの中で芽吹いたのだ。 完璧な革命はあり得るか しかし、ミツの変化は簡単ではない。社会と関われるように自分の感情をコントロールすることと、常識に絡め取られることの間には明確な違いはなく、ミツは革命の心を失ってしまうかもしれない。 ミツがどうなっていくのか、それがこの映画の最後の物語だ。 そして、映画の終盤ミツはクマに「私たちおとなになったんだよ」という。私は「あー、革命は失敗してしまったんだ」と思った。結末はもう少し先なので革命が成功したか否かは見た人それぞれで判断してほしいのだが、この時点で私は彼らは常識に捉えられ革命を諦めてしまったのだと思ったのだ。 でも、そう思ったということは私の中で小さな一つの革命が起ころうとしていることにも気がついた。私は自分の中の常識の壁の存在に気づき、それを壊すべきだと考え始めた。それこそが革命への第一歩、エリが見つけたのと同じ革命の種ではないか。 この映画がなし得なかったパーフェクト・レボリューションは、現実の世界の観客に引き継がれていく。決して完遂されることはないにしても、それを目指す歩みは止めてはいけないのだ。 『パーフェクト・レボリューション』2017年/日本/117分監督・脚本:松本准平原案:熊篠慶彦撮影:長野泰隆音楽:江藤直子出演:リリー・フランキー、清野菜名、小池栄子、余貴美子、岡山天音 『パーフェクト・レボリューション』を見られるVODは 今はVODでいろいろ映画が見られる時代、『パーフェクト・レボリューション』が見られる動画配信サービスについてはこちらで解説しています。 https://eigablog.com/vod/movie/perfect-revolution/ あわせてみてほしい作品は 37セカンズ 2020年2月7日公開の映画『37セカンズ』は自身も障害者の佳山明が主人公を演じた圧倒的な作品です。ぜひ見てください。 https://socine.info/2019/11/05/37seconds/ さようならCP 鬼才原一男監督が1974年に、障害者の権利団体「全国青い芝の会」に密着し、脳性マヒの患者たちの生々しい声を集めたドキュメンタリー。45年前のリアルな状況が刺さります。 U-NEXTの見放題で視聴可 オアシス 刑務所から出たばかりの青年と脳性マヒの女性との愛を描いた韓国映画。脳性マヒの女性を演じたムン・ソリの演技がリアルだと評判になりました。 Amazonプライムビデオで視聴可(レンタル)
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