18歳で片割れが記憶喪失になった双子に35年後にインタビューを行い作られたNetflixオリジナルドキュメンタリー作品。2人が語る過去も驚きだが、映画はその裏にあるさらなる驚きの事実を明らかにしていく。
あらすじ
交通事故で記憶喪失になったアレックスが目覚めた時に覚えていたのは双子の兄弟マーカスのことだけ。それ以外は、母親の顔も自分の家も、自転車の乗り方も、物の名前もすべて忘れていた。
マーカスがアレックスにすべてを教え直し、子どもの頃の思い出も改めて植え付けていくことで、アクレッスは再び人生を歩み始める。しかし、2人は家の離れに2人だけで過ごし、母屋の2階に上がることは禁じられるという奇妙な暮らしを送っていた。アレックスはマーカスのいうことに疑問を持たずそれを受け入れていたが、母親の死によって驚きの事実が明らかになっていく。
掛け値なしに面白いミステリー
序盤でだいたいの人は予想がつくと思うので書いてしまうが、この双子の物語の根底にあるのは親による虐待だ。
映画の構成はアレックスの話に始まり、次がマーカスの話、最後に二人の話という3章立てになっていて、最初のアレックスの話の時点でこの家の異常さの裏には虐待があるのではないかと多くの人は感づくはずだ。そしてそれをマーカスの話が裏付ける。
しかし、その虐待が一体どのようなものだったのかはなかなか明かされず、それがある種のミステリーとなって観客を引っ張っていくことになる。だから、ここではその種は明かさない。
そしてこの「どのようなものだったか明かされない」というのはミステリーとしてのみならず、この映画が描こうとしているテーマに置いても重要な鍵となる。
それは、この映画が本当に描こうとしているのは「マーカスのトラウマ」についてだからだ。
マーカスがアレックスに虐待のことを明かさないのは、せっかくそれを忘れたアレックスがその記憶に苦しめられる必要はないとの思いからだが、マーカスは同時に「自分を守るためでもあった」と語る。マーカスは、アレックスに虐待がない過去を語ることで自分もそれが真実だったと信じようとするのだ。
マーカスはそれによって記憶を抑圧し、過去を改ざんする。そして幸せに暮らす。しかし、それはトラウマとして心のなかにずっと残っている。虐待から数十年が経ってもだ。そのトラウマを克服するにはどうしたらいいのか、それがこの映画の本当のテーマなのだと思う。
そしてそのテーマが徐々に明らかになっていくところもこの映画の面白いところだ。
双子というメタファー
この映画を見ながら、これは実際の出来事でこの双子は実在しているのだけれど、物語としてはメタファーなのではないかと思った。
というのは、これが双子の片割れが記憶喪失という特殊な事情についての物語にとどまってしまっては、普遍性を獲得し得ないからだ。これを普遍的な物語として捉えるには、この双子を一人の人間の中の2つの人格のメタファーと捉える必要があると私は思う。
そして、マーカスを中心に物語を組み立ててみると、そう考えることができる。
マーカスは、アレックスを虐待を記憶していない自分に仕立て上げ、アレックスが虐待を記憶している自分を凌駕することでその記憶をなかったことにしようとした。これはまさに別の記憶によって嫌な記憶を押し殺そうとする心理現象(つまりトラウマ)と同じことだ。
この映画は心のなかで起きるために目では見えない心理現象を、現実に存在する双子の姿を借りて表現したとも言えるのだ。
そう考えると、真実を話すかどうかは自分のトラウマと対峙するかどうかの問題になり、この映画の真の姿が見えてくるのだ。
それは、真実が正義なのかということ。人間が生きる上で誰しも忘れたいことはある。それでも私たちは常に真実と向き合っていかなければいけないのだろうか。
『僕の家族のすべて』で主人公が言ったように、真実が絶対ではないのかもしれない。
家族に対しても、自分に対しても、どこかで折り合いをつけて真実から目を背けることも時には必要なのかもしれない。
真実を告げなかったことで出来上がったマーカスとアレックスの関係を見て、最初から真実を告げたとしたらどうなったかを想像してみればその事がわかる。そして、真実を明かすタイミングというのもどこかで来る。この映画が描いているのはそういうことなのだろう。
そして、それを個人に当てはめてみると、そのタイミングがトラウマを克服する機会であり、その準備にはマーカスのようにそれなりに長い時間が必要なのだ。
『本当の僕を教えて』
Tell Me Who I Am
2019年/アメリカ/85分
監督:エド・パーキンス
撮影:パトリック・スミス、エリック・ウィルソン
音楽:ダニー・ベンジー、ソーンダー・ジュリアーンス
出演:アレックス・ルイス、マーカス・ルイス
https://socine.info/2019/10/23/tellmewhoami/https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/whoiam2-1.jpg?fit=1024%2C683&ssl=1https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/whoiam2-1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVODNetflix,双子,虐待via Netflix
18歳で片割れが記憶喪失になった双子に35年後にインタビューを行い作られたNetflixオリジナルドキュメンタリー作品。2人が語る過去も驚きだが、映画はその裏にあるさらなる驚きの事実を明らかにしていく。
あらすじ
交通事故で記憶喪失になったアレックスが目覚めた時に覚えていたのは双子の兄弟マーカスのことだけ。それ以外は、母親の顔も自分の家も、自転車の乗り方も、物の名前もすべて忘れていた。
マーカスがアレックスにすべてを教え直し、子どもの頃の思い出も改めて植え付けていくことで、アクレッスは再び人生を歩み始める。しかし、2人は家の離れに2人だけで過ごし、母屋の2階に上がることは禁じられるという奇妙な暮らしを送っていた。アレックスはマーカスのいうことに疑問を持たずそれを受け入れていたが、母親の死によって驚きの事実が明らかになっていく。
掛け値なしに面白いミステリー
序盤でだいたいの人は予想がつくと思うので書いてしまうが、この双子の物語の根底にあるのは親による虐待だ。
映画の構成はアレックスの話に始まり、次がマーカスの話、最後に二人の話という3章立てになっていて、最初のアレックスの話の時点でこの家の異常さの裏には虐待があるのではないかと多くの人は感づくはずだ。そしてそれをマーカスの話が裏付ける。
しかし、その虐待が一体どのようなものだったのかはなかなか明かされず、それがある種のミステリーとなって観客を引っ張っていくことになる。だから、ここではその種は明かさない。
そしてこの「どのようなものだったか明かされない」というのはミステリーとしてのみならず、この映画が描こうとしているテーマに置いても重要な鍵となる。
それは、この映画が本当に描こうとしているのは「マーカスのトラウマ」についてだからだ。
マーカスがアレックスに虐待のことを明かさないのは、せっかくそれを忘れたアレックスがその記憶に苦しめられる必要はないとの思いからだが、マーカスは同時に「自分を守るためでもあった」と語る。マーカスは、アレックスに虐待がない過去を語ることで自分もそれが真実だったと信じようとするのだ。
マーカスはそれによって記憶を抑圧し、過去を改ざんする。そして幸せに暮らす。しかし、それはトラウマとして心のなかにずっと残っている。虐待から数十年が経ってもだ。そのトラウマを克服するにはどうしたらいいのか、それがこの映画の本当のテーマなのだと思う。
そしてそのテーマが徐々に明らかになっていくところもこの映画の面白いところだ。
https://youtu.be/OLjaRjaGjRc
双子というメタファー
この映画を見ながら、これは実際の出来事でこの双子は実在しているのだけれど、物語としてはメタファーなのではないかと思った。
というのは、これが双子の片割れが記憶喪失という特殊な事情についての物語にとどまってしまっては、普遍性を獲得し得ないからだ。これを普遍的な物語として捉えるには、この双子を一人の人間の中の2つの人格のメタファーと捉える必要があると私は思う。
そして、マーカスを中心に物語を組み立ててみると、そう考えることができる。
マーカスは、アレックスを虐待を記憶していない自分に仕立て上げ、アレックスが虐待を記憶している自分を凌駕することでその記憶をなかったことにしようとした。これはまさに別の記憶によって嫌な記憶を押し殺そうとする心理現象(つまりトラウマ)と同じことだ。
この映画は心のなかで起きるために目では見えない心理現象を、現実に存在する双子の姿を借りて表現したとも言えるのだ。
そう考えると、真実を話すかどうかは自分のトラウマと対峙するかどうかの問題になり、この映画の真の姿が見えてくるのだ。
それは、真実が正義なのかということ。人間が生きる上で誰しも忘れたいことはある。それでも私たちは常に真実と向き合っていかなければいけないのだろうか。
『僕の家族のすべて』で主人公が言ったように、真実が絶対ではないのかもしれない。
http://socine.info/2019/10/17/all-in-my-life/
家族に対しても、自分に対しても、どこかで折り合いをつけて真実から目を背けることも時には必要なのかもしれない。
真実を告げなかったことで出来上がったマーカスとアレックスの関係を見て、最初から真実を告げたとしたらどうなったかを想像してみればその事がわかる。そして、真実を明かすタイミングというのもどこかで来る。この映画が描いているのはそういうことなのだろう。
そして、それを個人に当てはめてみると、そのタイミングがトラウマを克服する機会であり、その準備にはマーカスのようにそれなりに長い時間が必要なのだ。
『本当の僕を教えて』Tell Me Who I Am2019年/アメリカ/85分監督:エド・パーキンス撮影:パトリック・スミス、エリック・ウィルソン音楽:ダニー・ベンジー、ソーンダー・ジュリアーンス出演:アレックス・ルイス、マーカス・ルイス
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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