via Netflix

NY在住のゲイの中国人と家族の関係を描いたNetflix制作の40分の中編ドキュメンタリー。

ハオ・ウーは20年前に中国を出てアメリカに移り住み、今はパートナーのエリックと代理母出産で子どもを迎える準備をしている。ハオは両親と妹(とおばの一人)にはカミングアウトし、ゲイであることはなんとか受け入れられているが、祖父や他の親戚にはそのことを明かしていなかった。

そんなハオが祖父の90歳の誕生日祝いで、久しぶりに生まれ故郷の成都を訪れるところから物語は始まり、主に両親へのインタビューで展開していく。両親や親戚はゲイのハオが子どもを持つことをどう捉えるのか、そのあたりがこの映画の主題だ。

この作品の面白いところは、ハオと家族の関係の変化が生々しく描かれているところ。ハオは親戚を含めた自分の家族について、「怒鳴らない家族、若い世代に干渉しない家族が欲しかった」と語る。たしかに、祖父の誕生日の集まりでも親戚たちは怒鳴り合い、人に干渉しまくるので、嫌気が差すのはわかる。

しかも、中国は欧米諸国に比べて同性愛に理解がないから、息苦しさは相当なものだっただろうし、そこから20年アメリカで自由を謳歌してしまったら、中国の家族のもとに戻ることは非常に難しくなるだろう。

それでも、ハオはパートナーのエリックと2人の子どもを連れて家族に会いに行く。そして、親戚のほとんどに自分がゲイであることを告げるが、祖父には話そうとしない。

そして、インタビューの中で、母親がハオがゲイだと聞いて2,3年は受け入れられなかったと語るのを聞いてショックを受け、最後には「真実が全てじゃないことに気づいた」というようなことを言う。

家族は互いに当たり前のように真実を求めるが、実際に真実を告げられると傷ついてしまうこともある。そこを折り合いをつけることを学んだというのだ。

映画の中で親は子どもを心配しているからコントロールしようとするという話が出てくる。だから子どもは親に心配をかけるような真実は告げず、コントロールから逃れて自立していくのだ。でも親はいつまでも子ども扱いして支配しようとする。この親と子の戦いと折り合いがこの映画の核なのではないだろうか。

そして、なぜこのようなことが描かれたのかと考えてみると、ゲイであるハオが中国よりアメリカで生きやすい要因も実はここにあると思ったからではないかと私には思えた。

個人を尊重する欧米の文化では、子どもに早い自立を促す傾向があるような気がする。親子であっても互いに個人として尊重する。だから同性愛者であるなら、その個性を尊重するという選択を(内心はわからないが)積極的にするのではないか。

それに対して、アジアでは拒否されたり受け入れに時間がかかったりする。それでなおさらカミングアウトしづらくなり、存在が見えにくくなっていく。同性愛に対する考え方と、家族のあり方にはなにか関係があるのかもしれないということだ。

結局何がいいたいかというと、この映画はハオが家族との距離のとり方を学ぶ物語だったということだ。それが当たり前にできている人にとってはよくわからない話かもしれないが、家族との価値観の違いみたいなものを感じている人なら「あーわかる」と深くうなずいてしまうような物語だったということだ。特にアジア系の話だったのでなおさら。

なので、「家族が煩わしい!」とか思っている人はぜひ一度見てみてください。

私は、アジアと欧米の家族観の違いはどこから来るのかなど追求していきたいポイントが出てきてしまったので、もう少し深く考えてみたいと思います。

『僕の家族のすべて』
All in My Family
2019年/アメリカ/40分
監督・脚本:ハオ・ウー

https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/bokufami2.jpg?fit=1024%2C576&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/bokufami2.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVODLGBT,Netflix,ドキュメンタリー
via Netflix NY在住のゲイの中国人と家族の関係を描いたNetflix制作の40分の中編ドキュメンタリー。 ハオ・ウーは20年前に中国を出てアメリカに移り住み、今はパートナーのエリックと代理母出産で子どもを迎える準備をしている。ハオは両親と妹(とおばの一人)にはカミングアウトし、ゲイであることはなんとか受け入れられているが、祖父や他の親戚にはそのことを明かしていなかった。 そんなハオが祖父の90歳の誕生日祝いで、久しぶりに生まれ故郷の成都を訪れるところから物語は始まり、主に両親へのインタビューで展開していく。両親や親戚はゲイのハオが子どもを持つことをどう捉えるのか、そのあたりがこの映画の主題だ。 この作品の面白いところは、ハオと家族の関係の変化が生々しく描かれているところ。ハオは親戚を含めた自分の家族について、「怒鳴らない家族、若い世代に干渉しない家族が欲しかった」と語る。たしかに、祖父の誕生日の集まりでも親戚たちは怒鳴り合い、人に干渉しまくるので、嫌気が差すのはわかる。 しかも、中国は欧米諸国に比べて同性愛に理解がないから、息苦しさは相当なものだっただろうし、そこから20年アメリカで自由を謳歌してしまったら、中国の家族のもとに戻ることは非常に難しくなるだろう。 それでも、ハオはパートナーのエリックと2人の子どもを連れて家族に会いに行く。そして、親戚のほとんどに自分がゲイであることを告げるが、祖父には話そうとしない。 そして、インタビューの中で、母親がハオがゲイだと聞いて2,3年は受け入れられなかったと語るのを聞いてショックを受け、最後には「真実が全てじゃないことに気づいた」というようなことを言う。 家族は互いに当たり前のように真実を求めるが、実際に真実を告げられると傷ついてしまうこともある。そこを折り合いをつけることを学んだというのだ。 https://youtu.be/lXiSr8I39fM 映画の中で親は子どもを心配しているからコントロールしようとするという話が出てくる。だから子どもは親に心配をかけるような真実は告げず、コントロールから逃れて自立していくのだ。でも親はいつまでも子ども扱いして支配しようとする。この親と子の戦いと折り合いがこの映画の核なのではないだろうか。 そして、なぜこのようなことが描かれたのかと考えてみると、ゲイであるハオが中国よりアメリカで生きやすい要因も実はここにあると思ったからではないかと私には思えた。 個人を尊重する欧米の文化では、子どもに早い自立を促す傾向があるような気がする。親子であっても互いに個人として尊重する。だから同性愛者であるなら、その個性を尊重するという選択を(内心はわからないが)積極的にするのではないか。 それに対して、アジアでは拒否されたり受け入れに時間がかかったりする。それでなおさらカミングアウトしづらくなり、存在が見えにくくなっていく。同性愛に対する考え方と、家族のあり方にはなにか関係があるのかもしれないということだ。 結局何がいいたいかというと、この映画はハオが家族との距離のとり方を学ぶ物語だったということだ。それが当たり前にできている人にとってはよくわからない話かもしれないが、家族との価値観の違いみたいなものを感じている人なら「あーわかる」と深くうなずいてしまうような物語だったということだ。特にアジア系の話だったのでなおさら。 なので、「家族が煩わしい!」とか思っている人はぜひ一度見てみてください。 私は、アジアと欧米の家族観の違いはどこから来るのかなど追求していきたいポイントが出てきてしまったので、もう少し深く考えてみたいと思います。 『僕の家族のすべて』 All in My Family2019年/アメリカ/40分監督・脚本:ハオ・ウー (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
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