自転車のアマチュアレースに参加するブライアンは、自転車競技の英雄ルイス・アームストロングのドーピングに衝撃を受け、自分もレースでドーピングをしてもばれないかどうか実験してみることにする。
3ヶ月に渡り実験を行い、レースに参加するが、思ったような結果を得ることはできなかった。しかし、そんな時、その実験のアドバイザーとして依頼したロシアのアンチ・ドーピングラボの所長グレゴリー・ロドチェンコフが、大規模な国家ドーピング疑惑の中心人物とされてしまう。
アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞したNetflixオリジナル作品。世界的なニュースになったロシアのドーピング疑惑の「裏」に迫るスリリングな作品。
この作品はドキュメンタリーだなんだということを置いても、純粋にサスペンスとして面白い。
国家的なドーピング(隠し)の実行者であるロドチェンコフは命の危険を感じ、ブライアンは彼を守ろうとする。ロドチェンコフは国の関与を証明しようとし、ロシアはそれをもみ消そうとする。IOCやWADA(世界アンチ・ドーピング機構)はどちらの側につくのか、FBIの捜査はどうなるのか、世界レベルで思惑が行き交い、個人を翻弄していく。
主人公で監督でもあるブライアンが関係者でもなく傍観者でもないという絶妙な立ち位置にいることがこの映画が面白くなった最大の理由だと思う。ロドチェンコフもこの問題に利害関係を持たないブライアンだから匿ってくれるよう頼むことができたわけだし、だからブライアンには本当のことを言っていると観る側も信じることができる。
これに対してブライアンはロドチェンコフのために弁護士を用意したり、NYタイムズの記者を紹介したりしてその信用に報い、ロドチェンコフ(たち)だけが罪を着せられないように奔走し、それが映画として結実する。
時々出てくるドキュメンタリー映画の傑作の多くはこの作品のように当初予定していた筋書きから離れていくことで生まれる。
例えば、この作品とはまったく毛色は違うが、『365日のシンプルライフ』という作品は、すべての持ち物を貸倉庫に集めた主人公が1日1つずつ物を取り出すことにしたらどうなるかという実験を描いた映画なのだが、中盤以降ほとんどものを取りに行かなくなり、当初の筋書きから外れていく。
でもだからこそ映画は面白くなるし、ドキュメンタリー映画の本当の魅力はそこにあると私は思う。
ドキュメンタリーというのは実際に起ったことを編集して物語にするのだが、もちろん事前にどういう事が起きるかを予想して、筋立てを考えて撮影に望む。多くの場合は予想通りの出来事が起き、制作者は思い通りに編集して映画が出来上がる。それでもそこには発見があり、制作者と被写体の間で相互作用が起き、互いに成長するようなことがあれば映画としては面白くなる。
でも、もっと面白いのは、制作者の側が予想もしていないようなことが起き、その経験を物語に昇華することができたときだ。なぜなら、そのような場合、制作者は準備がないところから得た経験を物語として提供することになるので、観客も制作者と同じ視点で物語を眺めることができるようになるからだ。それだけ物語に没入でき、体験として強烈なものになるのだ。
この『イカロス』もそんな映画で、過去に起きた出来事としてニュースなどを通じて知っていることを、実際にリアルタイムで体験した人の視点で追体験するというのが、すごくスリリングで夢中になれる。
そういえば、エドワード・スノーデンを追った『シチズンフォー スノーデンの暴露』もそんな映画だった。
こちらは、当初の筋書きから外れるわけではないが、当局の手がどこまで迫っているのかというようなスリルがあって、楽しめる。
ソーシャル・シネマという文脈を考えると、国家というものの意味について考えたりしなきゃいけないような気もするけれど、そんなことは忘れてしまうくらいの作品だった。
『イカロス』
Icarus
2019年/アメリカ/121分
監督・脚本:ブライアン・フォーゲル
脚本:マーク・モンロー、ジョン・バーティン、ティモシー・ロード
音楽:アダム・ピータース
https://socine.info/2019/10/21/icarus/https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/ikaros3.jpg?fit=640%2C360&ssl=1https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/10/ikaros3.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraFeaturedMovieVODNetflix,スポーツ,陰謀論Netflixオリジナルドキュメンタリー映画「イカロス」独占配信中
自転車のアマチュアレースに参加するブライアンは、自転車競技の英雄ルイス・アームストロングのドーピングに衝撃を受け、自分もレースでドーピングをしてもばれないかどうか実験してみることにする。
3ヶ月に渡り実験を行い、レースに参加するが、思ったような結果を得ることはできなかった。しかし、そんな時、その実験のアドバイザーとして依頼したロシアのアンチ・ドーピングラボの所長グレゴリー・ロドチェンコフが、大規模な国家ドーピング疑惑の中心人物とされてしまう。
アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞したNetflixオリジナル作品。世界的なニュースになったロシアのドーピング疑惑の「裏」に迫るスリリングな作品。
この作品はドキュメンタリーだなんだということを置いても、純粋にサスペンスとして面白い。
国家的なドーピング(隠し)の実行者であるロドチェンコフは命の危険を感じ、ブライアンは彼を守ろうとする。ロドチェンコフは国の関与を証明しようとし、ロシアはそれをもみ消そうとする。IOCやWADA(世界アンチ・ドーピング機構)はどちらの側につくのか、FBIの捜査はどうなるのか、世界レベルで思惑が行き交い、個人を翻弄していく。
主人公で監督でもあるブライアンが関係者でもなく傍観者でもないという絶妙な立ち位置にいることがこの映画が面白くなった最大の理由だと思う。ロドチェンコフもこの問題に利害関係を持たないブライアンだから匿ってくれるよう頼むことができたわけだし、だからブライアンには本当のことを言っていると観る側も信じることができる。
これに対してブライアンはロドチェンコフのために弁護士を用意したり、NYタイムズの記者を紹介したりしてその信用に報い、ロドチェンコフ(たち)だけが罪を着せられないように奔走し、それが映画として結実する。
via Netflix
時々出てくるドキュメンタリー映画の傑作の多くはこの作品のように当初予定していた筋書きから離れていくことで生まれる。
例えば、この作品とはまったく毛色は違うが、『365日のシンプルライフ』という作品は、すべての持ち物を貸倉庫に集めた主人公が1日1つずつ物を取り出すことにしたらどうなるかという実験を描いた映画なのだが、中盤以降ほとんどものを取りに行かなくなり、当初の筋書きから外れていく。
http://socine.info/2016/11/22/whats_minimalist/
でもだからこそ映画は面白くなるし、ドキュメンタリー映画の本当の魅力はそこにあると私は思う。
ドキュメンタリーというのは実際に起ったことを編集して物語にするのだが、もちろん事前にどういう事が起きるかを予想して、筋立てを考えて撮影に望む。多くの場合は予想通りの出来事が起き、制作者は思い通りに編集して映画が出来上がる。それでもそこには発見があり、制作者と被写体の間で相互作用が起き、互いに成長するようなことがあれば映画としては面白くなる。
でも、もっと面白いのは、制作者の側が予想もしていないようなことが起き、その経験を物語に昇華することができたときだ。なぜなら、そのような場合、制作者は準備がないところから得た経験を物語として提供することになるので、観客も制作者と同じ視点で物語を眺めることができるようになるからだ。それだけ物語に没入でき、体験として強烈なものになるのだ。
この『イカロス』もそんな映画で、過去に起きた出来事としてニュースなどを通じて知っていることを、実際にリアルタイムで体験した人の視点で追体験するというのが、すごくスリリングで夢中になれる。
そういえば、エドワード・スノーデンを追った『シチズンフォー スノーデンの暴露』もそんな映画だった。
http://socine.info/2017/06/02/citizenfour/
こちらは、当初の筋書きから外れるわけではないが、当局の手がどこまで迫っているのかというようなスリルがあって、楽しめる。
ソーシャル・シネマという文脈を考えると、国家というものの意味について考えたりしなきゃいけないような気もするけれど、そんなことは忘れてしまうくらいの作品だった。
『イカロス』 Icarus2019年/アメリカ/121分監督・脚本:ブライアン・フォーゲル脚本:マーク・モンロー、ジョン・バーティン、ティモシー・ロード音楽:アダム・ピータース
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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