©Praxis Films, ©Laura Poitras

テロ等準備罪に加計学園、忘れられつつある森友学園といろいろ、なんとも嫌になる政治ニュースばかりで、半ばあきらめ気分の今日このごろですが、そんなことではいけないと思って、「共謀罪」について考える材料になるかと、前から気になっていた『シチズンフォー』を観ました。まあ憂さは晴れませんが、映画としてはとても面白かったのでよかったかなと。

サスペンス映画の傑作

エドワード・スノーデンと言えば、誰もが知っている。CIAやNSAに務めた経験があり、アメリカ政府が世界中の人々の通信を傍受していることを暴露した人物だ。この映画は、そのスノーデンが告発に及んだその時を記録したドキュメンタリーだ。というのも、この作品の監督ローラ・ポイトラスこそが、スノーデンが情報をリークするために接触した人物で、ローラと英ガーディアン紙の記者グレン・グリーンウォルドがスノーデンの最初の告白に立ち会った人物なのだ。

映画はローラがシチズンフォーと名乗る人物から暗号化されたメールを受け取るところから始まる。このシチズンフォーこそがエドワード・スノーデンなわけだが、ローラ自身もイラクについての映画をとって以来、監視リストに入っていたことから(だからこそスノーデンは信用したわけだが)、警戒を怠らず、グレン・グリーンウォルドとともに会いに来るように頼む。

3人が会ったのは香港のホテル、スノーデンがやろうとしていることは機密情報の漏洩なので、いつCIAなりNSAなりに見つかって捕まるかわからず、かなりの緊張感の中インタビューは始まる。その緊張感は、グリーンウォルドが最初の記事を発表するとさらに高まる。スノーデンが恋人と暮らす家にNSAから連絡が来たり、家の前で突然工事が始まったりという知らせを受け、情報元はすでに特定されているだろうと予想する。

8日間に渡ってインタビューは続けられ、(スノーデンがロシアに亡命したことはニュースとして知られているのでスノーデンが香港で捕まらないことはわかっているのだが)彼らはいつ捕まるかわからない緊張の中で行動していて、そのリアリティがものすごい。何か劇的なことがあるわけではないのだが、その辺のサスペンスドラマには及びもつかないサスペンスがそこにある。

というわけで、単純に映画として傑作と言っていいくらい面白い。スノーデンがどうとか、アメリカ政府がどうとかいうことを置いても面白い。

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「監視社会」への道

さて、その緊張感の中で暴露される事実もかなり衝撃的で、アメリカ政府がほぼすべての通信を内容まで傍受していたという内容だ。まあ、そのあたりは当時の報道で知っている人も多いだろう。ただ、その当時は、その報道の意味がいまいち私にはわからなかった。通信を傍受されたらそりゃ嫌だけど、どうでもいい内容の通信に政府が興味を持つわけはないし、ただデータとして保存されているだけで実害はないし、そもそもオンラインデータはどんなものでもどこかに保存されているものなのだから。

しかし、この映画を観て色々とわかった。重要なのは傍受することではなく、管理することだということだ。スノーデンは「国民と政府の力関係が変化し、支配するものとされるものになった」と語る。そもそも政治家というのは国民が選ぶものであったのに、いまやその関係は変わってしまったというのだ。これは実は実感としては皆が持っていることではないだろうか。実際に選挙に行って自分たちが選んでいるつもりになっているけれど、実際は誰を選ぼうとその政治家は国民をコントロールする支配者になるのだ。

今もアメリカでこのような情報収集が行われているのか、日本で同じようなことが行われているのかはわからない。しかしそれは問題ではない。問題は政府はそれをできるということだ。そして私たちはそれを受け入れるか、抵抗するかを選ぶしかない。

ちょうど、日本では「共謀罪」が成立しようとしている。「テロ等準備罪」と名を変えた「共謀罪」には色々問題があるわけだが、この映画と関連して問題になるのは、準備行為を操作するためには広範な情報を集める必要があるということで、そしてそれができる方法はすでにあるということだ。

「共謀罪」の論点の一つに「普通の人たち」が捜査の対象になるのかならないのかという事があった。政府は「ならない」と強弁しているわけで、実際にならないのかもしれない。しかし、「普通の人たち」とは誰で、捜査の対象とはどういうことなのか。

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映画の終盤でグリーンウォルドがスノーデンに、160万人だかが監視対象という事実を話し、スノーデンでさえ「信じられない」というシーンがある。どこの話だかは判然としないのだが、これがアメリカの話だとしたら、アメリカの人口は2億人だから人口の1%弱だ。この数字を観ると、監視対象となっているのはごくわずかで、「普通の人たち」は監視の対象になっていないようにも思える。しかし、これを日本に当てはめてみるとどうか、人口の1%弱、100万人が「普通の人たち」ではないと言われたらそれにうなずけるだろうか。さらに言えば、対象となった人たちの通信相手も結果的に監視されることになる。つまり、100万人の何倍かの人たちに監視の手は延びるのだ。

まああくまで仮定の話だが、こんなことを考えていたら、『ヤクザと憲法』のことを思い出した。この映画に、暴力団排除条例によって、暴力団員の子どもだからという理由で保育園に入れないなど、暴力団員の関係者に対する人権侵害が起きているという問題が提起される。暴力団は「組織的犯罪集団」だろうから、暴力団員は「共謀罪」の捜査の対象になるだろう。だとしたら、暴力団員や元暴力団員と(そうと知らなかったとしても)通信を行ったら、その通信は監視の対象になるおそれがあるわけだ。

さらにこの「組織的犯罪集団」に、法相の答弁どおり「環境保護や人権保護を標榜している集団」も含まれるのだとしたら、私たちに監視の目が届くのを防ぐ方法はほぼないと言っていいのではないか。

つまり、「共謀罪」が成立すれば、日本は、スノーデンが暴いたようなほぼすべての通信内容が記録される監視社会に簡単になるということだ。

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プライバシーを奪われることは自由を奪われること

それでテロが防げるなら仕方がないという考え方もある。自分や「国」の安全を守るためなら、自分のプライバシーを多少犠牲にしてもかまわないという考え方だ。のぞかれたって別にやましいことはないし。しかし、映画の中に「プライバシーを奪われることは自由を奪われること」という主旨の発言が出てきたときに、それだと思った。基本的にはやましいことはないとしても、本当にプライベートな部分をのぞかれて、それを評価されたらどうなのか。のぞかれているのだと思ったら、自分をセーブしてしまうことになるのではないか。それは犯罪かどうかということではなく、自分がどう評価されるかという意味でだ。プライバシーが保たれていれば、プライベートな部分では他者の評価を気にせず自由に生きていける。出会い系バーに行ったっていいし、SMクラブに行ったっていい。でもそれがバレているとしたら行くのを躊躇するのではないか。それが自由を奪われるということだ。

今の民主主義社会というのは自由な個人がそれぞれの考えを表明し、その総意によって社会を運営していくという形を取っている。その前提となっている自由が奪われてしまったら、社会はどんどん歪んでいく。もちろん今でも自由は法律やさまざまなルールによって制限されている。しかしそれも、私たちの総意によって決められたということになっているから、それに従うことは自由の代償として受け入れるしかない。しかし、すでに書いたように「国民と政府の力関係の変化し、支配するものとされるもの」になってしまったのだ。権力は私たちの自由を奪うようなルールを次々押し付けてくる。「共謀罪」もその一つだ。にも関わらず、政府は私たち自身が決めたかのような体裁を整える。反対しているのはごく僅かな人たちだと言って。

そして「共謀罪」が施行されれば、その傾向はエスカレートしていくだろう。自由を奪われた私たちはどんどん選択肢を与えられなくなるからだ。だから私たちは何が何でもプライバシーと自由を守らなければいけない。エドワード・スノーデンは私たちにそう警告するためにプライバシーと自由を投げ打って告発をした。私にはそんな力はないけれど、スノーデンがやってくれたことを無駄にはしたくないから、自分の自由はできるだけ守りたい。

ほんの数年でスノーデンの名前がニュースになることはほとんどなくなった。しかし事件は続いている。スノーデンも、グリーンウォルドも、ローラも自由のために闘っているのだ。私もせめて自分と社会が陥っている危機について知って考えることぐらいはしたい。

『シチズンフォー スノーデンの暴露』
2014年/アメリカ=ドイツ/114分
監督・脚本・撮影・出演:ローラ・ポイトラス
撮影:カースティン・ジョンソン、ケイティ・スコッギン、トレバー・パグレン
出演:エドワード・スノーデン、グレン・グリーンウォルド、
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©Praxis Films, ©Laura Poitras テロ等準備罪に加計学園、忘れられつつある森友学園といろいろ、なんとも嫌になる政治ニュースばかりで、半ばあきらめ気分の今日このごろですが、そんなことではいけないと思って、「共謀罪」について考える材料になるかと、前から気になっていた『シチズンフォー』を観ました。まあ憂さは晴れませんが、映画としてはとても面白かったのでよかったかなと。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
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