Netflixを試して見つけた「じゃがいも本位制」の社会からローカリゼーションを考えるー『物ブツ交換』
Netflixにはいろいろいいドキュメンタリーがあると聞いていたので、ブログを書く動機づけの一つにもなるかなと思ってお試しに契約してみた。
本当に色々といいドキュメンタリーがラインナップされるので、それは追々紹介するとして、契約した目的は良質な作品が揃っているというオリジナル作品なので、色々あさってみた。
たくさんあるのはいいのだけれど、いきなり長編を観る気力もないので、とりあえず23分という短い作品を観てみた。
物ブツ交換
それは、『物ブツ交換』という作品で、ジョージアでトラックで行商をしているおじさんの話。おじさんは街のよろずやのようなところで商品を仕入れ、それを田舎の村に運んでいく。村の人達にはお金ではなくじゃがいもと交換というかたちで商品を売る。女性たちも子どもたちもあれが欲しいこれが欲しいと寄ってきて、5キロじゃ高いとかなんだか言って買ったり買わなかったりする。
まあこれを物々交換というかというと微妙なところで、作品の中で田舎の爺さんの一人が言っていたように、この地域ではじゃがいもがある種の通貨になっているということなのだろう。交換経済というよりは「じゃがいも本位制」の原始的な貨幣経済、それが今もここに残っている。
そんな作品の原題の”The Trader”に対して、どうして邦題が物々交換でしかも「ブツ」とカタカナなのかもわからないし、作品の説明で「貧困にあえぐ土地で野心や夢を追う余裕などない」などと書いているのかもわからない。
なぜなら、この作品が示しているのは経済のあり方の一つであり、彼らがわれわれの言うところの貨幣を使っていないからといってそれが貧困を意味するわけではないと思うからだ。たしかに彼らの生活は豊かとはいえないかもしれない。でも子どもたちは笑顔だし、人々も不満はあるだろうけれど一応生活をしているのだ。そんな彼らの生活をわれわれが外からとやかく言うことは出来ない。
そんなことよりも、この作品が示している、「様々な経済の仕組みを持つ社会が併存していて、その間を”trader”が行き来して『貿易』を行っている」という世界観のほうが興味深い。
かつて世界中がそうだったのだと思うが、いまは世界中が「お金」に媒介される一つの経済圏になってしまっている(様々な種類のお金があるが、それ自体が交換可能なので実質的には同じ「お金」だと思う)。それがグローバリゼーションというもので、その問題についてはいろいろ書いているし思うところもあるので他に譲るとして、その世界の一角にグローバル経済とおじさんのトラックという細い一本の糸でしかつながっていない社会があることが面白い。
行き過ぎたグローバル経済に対抗するために必要なのはローカリゼーションだと言った時、重要なのはそのローカル経済の独立性であり、だから地域通貨なんてものがもてはやされる。そして同時にローカル同士がつながりあわなければグローバリゼーションに対抗することは出来ないと考えると、そのローカル経済同士をつなぐものの可能性もこの作品は示してくれている。
まあ考えすぎかもしれないけれど、映画の最後おじさんは集めたじゃがいもを街に売りに行く。おそらくその売上でまた商品を仕入れ、じゃがいもと交換しに行くのだろう。もしくは別の村に玉ねぎと交換に。
The Trader
2018年/ジョージア/23分
監督:タムタ・ギャブリシズ
撮影:バノ・アンディアシビリ
音楽:ギギ・チパシビリ
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