アメリカのアル・ゴア副大統領が出演し地球温暖化の危機を訴えた『不都合な真実』から10年、20代でそのアル・ゴアと対談し、地球温暖化問題について目覚めたというレオナルド・ディカプリオ製作・主演のドキュメンタリー『地球が壊れる前に』が2016年10月30日に公開された。

この作品は国連平和大使に就任したディカプリオが地球の環境について知るために2年間に渡り世界中を旅した記録であり、ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送、インターネットでも公開された。

『不都合な真実』から10年の間、さまざまな環境についての映画が公開されてきた。それ以前ももちろん公開されてきたが、それ以降は大幅に数を増やした印象がある。このドキュメンタリーは基本的にそれらの作品をなぞり、現在の地球温暖化の危機について初歩的なことを「教える」作品になっている。つまり、どこかで見たような内容の作品なわけだが、大きく違うのは、「セレブ」であるレオナルド・ディカプリオが主演し、潘基文事務総長やオバマ大統領やイーロン・マスクやローマ法王フランシスコといった世界の重要人物と直接話しをしてるという点だ。

『不都合な真実』で語られたアメリカのグローバル企業による「陰謀」は繰り返し語られ、この作品でももちろん語られている。実際、石油会社を始めとしたエネルギー関連企業のロビー活動が自然エネルギーの普及を妨げ、地球温暖化を加速していることは確かなのだろう。そして、それを変えるために私たちは自分自身の生活を見直し、どのようなネルギーを選び、何を買い、何を食べ、何を使うのかについて慎重に考えることが必要だということもわかっている。「そうすればまだ間に合う」と繰り返し言われてきたのだから。

そのような希望が存在し、実際にそれによって気候変動が抑制された未来を選択することは可能だということを認めた上であえて言うが、この作品を見るとディカプリオ自身はそのような未来が来ることをあまり信じていないように見える。現状ではという但し書きが入るが、このままではそのような未来は訪れないと彼はどこか悲観的に見ている気がするのだ。

それを感じたのは、ディカプリオがオイルサンドの掘削現場を空から視察している場面や、パームヤシ栽培のために森が伐採されているというこちらも空撮のシーンだ。このシーンでは、これだけ他の生物種を破壊してきた生物というのは地球の歴史上いなかっただろうということが映像で明らかになる。そして同時に、化石燃料という過去の生き物の遺産をも人類は食いつぶしていっているのだ。どのような生物も最後には絶滅する運命にあるのだろうが、この映像を見ていると人類という種が絶滅する運命にあるということを実感として感じた。それはもちろん私たちが死んだ後のことだろうけれど、数千年後か数百万年後の間には人類は滅亡するのだろう。最初と最後に登場する、ディカプリオが子供の頃から心惹かれていたというヒエロニムス・ボスの絵画「快楽の園」が表現しているのも、人類の誕生と繁栄と滅亡だ。

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ヒエロニムス・ボス (1450年頃–1516) – Galería online, Museo del Prado.

そのような「いつか人類は滅亡する」という前提を受け入れた上で、ディカプリオが今時分が何が出来るのかを問うたのがこの作品であると私は思う。遅かれ早かれ人類は滅亡するけれど、その人類の一員として自分に何が出来るのかを自分自身に問うのだ。そして彼は世界中の重要人物にもそのことを遠回しに聞いているようにも思う。自分の利益のために生きるのか、少しでも人類の寿命を伸ばすために何かをするのか。

インドを訪れたシーンでは、インドの人々が環境対策よりも自分たちの快適な生活を選択することの正当性が訴えられる。この作品はそれを否定せず、自分勝手に振る舞うアメリカがまず態度を改めることが必要だという問題を投げかける。このシーンはアメリカ人の罪悪感に訴えかけているわけだが、ここで私が思ったのは、必ずしも態度を改めなくてもいいということだ。人類の滅亡が早まることを良しとするならば。

つまり、どうするかは我々自身の選択だということだ。ただ、このまま化石燃料を燃やし続けたら地球温暖化が進み極地の氷は解け、低地破壊中に沈み、サンゴは死滅し、他の様々な生き物も死滅し、最後には人類が滅亡するという前提を受け入れた上で、その選択を行ってくれと言っているのだ。もちろん映画の意図は、今すぐ温暖化を阻止する行動を起こして欲しいということだろうが、そうではない選択をすることも否定はしていないのだ。

この「選択肢がある」ということは非常に重要な事だと私は思う。電力小売り自由化が実現したのが本の最近のことであることからも明らかなように、私達はこれまで多くの事柄について選択肢を与えられていなかった。ただ、選択肢が与えられ、選択をすることには責任も伴う、自分の行動の結果について知った上で選択をしなければいけないからだ。だから、選択肢が与えられていないほうが楽で、人間は楽な方が好きなので、それで満足してきた。しかしこれからは選択しなければいけない。そうしなければ私たちは誰かの考えを押し付けられ、「自分らしく」生きることが出来ないからだ。

この作品に登場するディカプリオの行動にもいくつも疑問を呈したいところも出てくるが、それが彼の行動であり、彼はそれを世界に向けて発信することで自分でその責任を取ろうとしている。彼の行動を云々する酔もその責任を取ろうという姿勢を私は賞賛したいし、そのように責任を取ろうと努力することでしか「自分らしく」生きることは出来ないのだろうと彼を見て思った。

ディカプリオのように行動することは出来ないけれど、日常の小さな選択もきちんと考えてやらなければいけない、そういうことに気づかせてくれる作品だった。

『地球が壊れる前に』
2016年/アメリカ/96分
製作総指揮:レオナルド・ディカプリオ、マーティン・スコセッシ、マーク・モンロー、ザラ・ダフィー、アダム・バーダック
監督:フィッシャー・スティーヴンス
脚本:マーク・モンロー
出演:レオナルド・ディカプリオ、バラク・オバマ、ジョン・ケリー、イーロン・マスク
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アメリカのアル・ゴア副大統領が出演し地球温暖化の危機を訴えた『不都合な真実』から10年、20代でそのアル・ゴアと対談し、地球温暖化問題について目覚めたというレオナルド・ディカプリオ製作・主演のドキュメンタリー『地球が壊れる前に』が2016年10月30日に公開された。 この作品は国連平和大使に就任したディカプリオが地球の環境について知るために2年間に渡り世界中を旅した記録であり、ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送、インターネットでも公開された。 『不都合な真実』から10年の間、さまざまな環境についての映画が公開されてきた。それ以前ももちろん公開されてきたが、それ以降は大幅に数を増やした印象がある。このドキュメンタリーは基本的にそれらの作品をなぞり、現在の地球温暖化の危機について初歩的なことを「教える」作品になっている。つまり、どこかで見たような内容の作品なわけだが、大きく違うのは、「セレブ」であるレオナルド・ディカプリオが主演し、潘基文事務総長やオバマ大統領やイーロン・マスクやローマ法王フランシスコといった世界の重要人物と直接話しをしてるという点だ。 『不都合な真実』で語られたアメリカのグローバル企業による「陰謀」は繰り返し語られ、この作品でももちろん語られている。実際、石油会社を始めとしたエネルギー関連企業のロビー活動が自然エネルギーの普及を妨げ、地球温暖化を加速していることは確かなのだろう。そして、それを変えるために私たちは自分自身の生活を見直し、どのようなネルギーを選び、何を買い、何を食べ、何を使うのかについて慎重に考えることが必要だということもわかっている。「そうすればまだ間に合う」と繰り返し言われてきたのだから。 そのような希望が存在し、実際にそれによって気候変動が抑制された未来を選択することは可能だということを認めた上であえて言うが、この作品を見るとディカプリオ自身はそのような未来が来ることをあまり信じていないように見える。現状ではという但し書きが入るが、このままではそのような未来は訪れないと彼はどこか悲観的に見ている気がするのだ。 それを感じたのは、ディカプリオがオイルサンドの掘削現場を空から視察している場面や、パームヤシ栽培のために森が伐採されているというこちらも空撮のシーンだ。このシーンでは、これだけ他の生物種を破壊してきた生物というのは地球の歴史上いなかっただろうということが映像で明らかになる。そして同時に、化石燃料という過去の生き物の遺産をも人類は食いつぶしていっているのだ。どのような生物も最後には絶滅する運命にあるのだろうが、この映像を見ていると人類という種が絶滅する運命にあるということを実感として感じた。それはもちろん私たちが死んだ後のことだろうけれど、数千年後か数百万年後の間には人類は滅亡するのだろう。最初と最後に登場する、ディカプリオが子供の頃から心惹かれていたというヒエロニムス・ボスの絵画「快楽の園」が表現しているのも、人類の誕生と繁栄と滅亡だ。 ヒエロニムス・ボス (1450年頃–1516) - Galería online, Museo del Prado. そのような「いつか人類は滅亡する」という前提を受け入れた上で、ディカプリオが今時分が何が出来るのかを問うたのがこの作品であると私は思う。遅かれ早かれ人類は滅亡するけれど、その人類の一員として自分に何が出来るのかを自分自身に問うのだ。そして彼は世界中の重要人物にもそのことを遠回しに聞いているようにも思う。自分の利益のために生きるのか、少しでも人類の寿命を伸ばすために何かをするのか。 インドを訪れたシーンでは、インドの人々が環境対策よりも自分たちの快適な生活を選択することの正当性が訴えられる。この作品はそれを否定せず、自分勝手に振る舞うアメリカがまず態度を改めることが必要だという問題を投げかける。このシーンはアメリカ人の罪悪感に訴えかけているわけだが、ここで私が思ったのは、必ずしも態度を改めなくてもいいということだ。人類の滅亡が早まることを良しとするならば。 つまり、どうするかは我々自身の選択だということだ。ただ、このまま化石燃料を燃やし続けたら地球温暖化が進み極地の氷は解け、低地破壊中に沈み、サンゴは死滅し、他の様々な生き物も死滅し、最後には人類が滅亡するという前提を受け入れた上で、その選択を行ってくれと言っているのだ。もちろん映画の意図は、今すぐ温暖化を阻止する行動を起こして欲しいということだろうが、そうではない選択をすることも否定はしていないのだ。 この「選択肢がある」ということは非常に重要な事だと私は思う。電力小売り自由化が実現したのが本の最近のことであることからも明らかなように、私達はこれまで多くの事柄について選択肢を与えられていなかった。ただ、選択肢が与えられ、選択をすることには責任も伴う、自分の行動の結果について知った上で選択をしなければいけないからだ。だから、選択肢が与えられていないほうが楽で、人間は楽な方が好きなので、それで満足してきた。しかしこれからは選択しなければいけない。そうしなければ私たちは誰かの考えを押し付けられ、「自分らしく」生きることが出来ないからだ。 この作品に登場するディカプリオの行動にもいくつも疑問を呈したいところも出てくるが、それが彼の行動であり、彼はそれを世界に向けて発信することで自分でその責任を取ろうとしている。彼の行動を云々する酔もその責任を取ろうという姿勢を私は賞賛したいし、そのように責任を取ろうと努力することでしか「自分らしく」生きることは出来ないのだろうと彼を見て思った。 ディカプリオのように行動することは出来ないけれど、日常の小さな選択もきちんと考えてやらなければいけない、そういうことに気づかせてくれる作品だった。 『地球が壊れる前に』 2016年/アメリカ/96分 製作総指揮:レオナルド・ディカプリオ、マーティン・スコセッシ、マーク・モンロー、ザラ・ダフィー、アダム・バーダック 監督:フィッシャー・スティーヴンス 脚本:マーク・モンロー 出演:レオナルド・ディカプリオ、バラク・オバマ、ジョン・ケリー、イーロン・マスク