(C)2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation
2022年のロシアによるウクライナ侵攻で初期の激戦地となったマリウポリ、海外メディアが早々と対比する中、唯一残ったAP通信のウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフは映像を記録し続けた。彼が記録した20日間の生々しい現実をドキュメンタリー映画にした。2024年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞した。
生々しすぎる現実
まだロシアが本格的に侵攻を始める前のDay1、チェルノフは市民に「一般人は攻撃されないから家の地下室にいれば大丈夫」と話す。しかし、そんな楽観的な予想は即座に覆されて、民家が爆撃され、次々と死傷者が出る。
次にチェルノフが密着するのは病院だ。そこにはけが人が次々と運ばれ、手当も虚しく死んでいく。医師はチェルノフに「これを撮影して世界に知らせろ」と言う。チェルノフはこのときはまだあった細い電波を頼りにその映像を通信社に送り、その映像は世界へと送られる。
その映像は生々しすぎ、目を背けたくなる。でも目を背けてはいけない。目を背けてしまってはその現実がなかったことになってしまうからだ。ここに映っているのはそんな事が現実に起こっているとは信じがたいことばかりだ。だからこそこの映像には価値があるし、しっかりと見なければいけない。
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ロシアはこの映像がフェイクだというプロパガンダを流し、それ以上映像が送信されないよう映像を遮断する。
しかしチェルノフは撮り続ける。市民も警察も軍隊もそれを望み、チェルノフの映像に希望を託す。この映像を見れば世界がウクライナに、マリウポリに目を向けてくれ、ロシアを止めてくれるはずだと。そこまでは言っていないがそういうことだ。
そしてそれは届いた。私たちが当時のニュースで見た映像も彼が送った映像だったが、改めてまとめてみると本当に壮絶だ。これがフェイクなどということはありえないとすぐに分かる。ロシアを止めなくてはいけない、そのために何ができるかはまったくわからないにしても。
悲惨さを際立たせる映像の美しさ
本当に全世界の人にこの映像を見て、これを記憶にとどめてほしいと思うばかりだが、映画として良かったところをもう一つ上げるとすると、映像の美しさだ。
戦場でこんなに鮮明な映像を撮れたことが今まであっただろうか。そして、そこに映されているものもまた美しい。町は瓦礫と化しているけれど、それでも雪に覆われた瓦礫の山に美しさを感じる。瓦礫になってしまう前の町はもっと何倍も美しかったのだろう。
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そして人々も。映し出されているのは決していわゆる美しい景色ではない。しかしそれでも必死に生きる人々の姿は美しい。それを美しいと感じてしまうのは罪悪感があるが、美しいからこそ悲惨さが際立つ。
なぜ美しいのかと考えてみると、そこには破壊と生命、それぞれの美しさがあるのかもしれない。その2つの美しさがせめぎ合うものそれが戦争なのだ。戦争は悲惨だ。そのことはこの映画のすべての瞬間から伝わってくる。
ウクライナの市民たちはみな「何も悪いことをしてないのにどうしてこんなことに」と言う。本当にそうだ。どうしてこんな事になってしまうのか。戦争は決して起こしてはいけない。
あまりの悲惨さに私は動揺し混乱している。悲惨であり、美しくもあるこの映画をどう考えればいいのか。嘆き悲しむ無力な市民のために何ができるのか。この映画がロシアで上映されることはないだろう。でも、何らかの形で見る機会を得る人はいるはずだ。そのような人たちが内側からロシアを止めてくれることを期待するしかないのか。
とにかく戦争にいいことなど一つもない。なぜそんなことをするのだろうか。絶望的な疑問が頭に響き続ける。
https://youtu.be/QJCpbg45iV8
『マリウポリの20日間』監督・脚本・撮影:ミスティスラフ・チェルノフ音楽:ジョーダン・ダイクストラスチール撮影:エフゲニー・マフレトカ
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