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1979年、コロラド州コロラド・スプリングス、警察官募集(マイノリティ歓迎)の横断幕を見て警察官に応募した黒人のロン・ストールワースは、唯一の黒人警察官として見事に採用されるも退屈な仕事しか任されず、署長に潜入捜査をさせてもらえるよう直訴する。そんな折り、コロラド・スプリングスで元ブラックパンサーの講演会が開かれることになり、ロンはその潜入を命じられる。

その任務を見事にこなしたロンは刑事に昇格、勢いで白人のふりをしてKKKの募集広告の電話番号に電話をし支部長に気に入られてしまう。ロンは白人の同僚フリップを巻き込みKKKへの潜入捜査を提案するのだが…

スパイク・リーが1970年代に実際に起った事件を映画化した社会派コメディ。カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー脚色賞などを受賞した。

ベースは楽しいサスペンス・コメディ

この映画の4分の3は普通に面白いサスペンス・コメディで、70年代に黒人がKKKに潜入するという無理な設定(なのに実際にあったというのは驚きだが)から巻き起こるドタバタが面白い。

そして、主人公のロン側の同僚たちのほとんどは人種差別主義者ではなくむしろマイノリティに理解があり、ロンをなるべく平等に扱おうとしているという設定が物語を見やすくしている。

さらに、対するKKKのほうは頭の弱い貧乏白人ばかりという感じに描かれていて、潜入捜査がどこに向かうのかがわからない中で、でも結局はロンたちの側がKKKを打ちのめすのだろうという予想が立つので安心してみることができる。

そしてその安心感は物語の最後まで裏切られることはなく、人種差別主義者たちはその報いを受け、コロラド・スプリングスはすべての人にとって少しだけ住みよい街になるという心地よいドラマだ。

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黒人の側にもある問題

しかし、もちろんそれですべてではなく残りの4分の1は人種の問題を私たちに投げかけるのに割かれる。しかも、それは79年という時点の人種差別を単純に批判するものではない。奴隷解放から現在に至るまでの人種対立の文脈の中でこの時期がどのような時期だったかを私たちに示してくれる。

まずは、ロンが唯一の黒人警察官だという事実。ここに当時がどのような時代だったのかが如実に現れる。それは、仕組みとしてはマイノリティはどこででも受け入れられるが、実質的には必ずしもそうではないということ。警察はマイノリティがまだまだ入り込めていない職種だったということ。

そしてその反射として、マイノリティの警察に対する反感を生む。ロンが恋をする大学の黒人自治会の委員長パトリスは、警察官を“ピッグ”と呼び批判する。ロンはそれに対して自分の身分を隠しながら「差別主義者じゃないやつもいる」というが、パトリスは「一人いれば十分でしょ?」と言ってあくまで警察全体を糾弾する。

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これは白人の黒人に対する態度の裏返しで、レッテル貼りによって社会の分断を招く考え方に見える。パトリスは実際、違法な捜査や嫌がらせを受けているから仕方がない部分もあるのだが、全員がそうではないことを知っているロンはそれをパトリスにわかってもらいたいと考える。

これが、この時代のアメリカの人種対立の状況なのだろう。基本的には対立と分断の世界で、ここから対話と融和の段階へと移行していかなければいけないという段階にあるということだ。スパイク・リーは黒人が正義で白人が悪と画一的に描かないことで、融和に向かっていこうとしない黒人側の問題も描こうとしているのではないか。

ブラックスプロイテーションと『國民の創生』

そのことは物語の途中にいわゆるブラックスプロイテーション作品への言及が盛んになされることからも伺える。

ブラックスプロイテーション映画は70年代前半に盛んに作られたB級ブラックムービーで、黒人も白人もステレオタイプ化された純然たる娯楽映画なので社会的な主張などはなかった。しかし、ファッション、音楽などブラックカルチャーの魅力が詰め込まれていて当時のアフリカ系アメリカ人たちには魅力的だっただろうし、今私達が見てもヒップな魅力を感じられる。この映画でも言及されているが『黒いジャガー』『コフィー』『スーパーフライ』などが代表的だ。

このブラックスプロイテーションをスパイク・リーがわざわざ取り上げたのはブラックカルチャーへのリスペクトもあるだろうが、同時に黒人たち自身が自分たちを麻薬や犯罪といった白人から見たステレオタイプに自分たちを押し込めていた時代だったことが如実に表れる作品群だったからではないだろうか。

そして同時に映画が人々にステレオタイプや人種的偏見を植え付ける役目を果たしてきたことも顧みているのだと思う。

そのことは映画の終盤に『國民の創生』が登場することでよりわかりやすくなる。『國民の創生』は1915年のアメリカ映画で映画史上に残る傑作だが、同時に黒人への差別的な視点が問題視される作品でもある。

この作品は公開当時から人種差別的であると批判されたとも言われるが、当時の人々の偏見を反映していたと考えられるし、同時にステレオタイプを強化したとも考えられる。だから、スパイク・リーがわざわざこの作品に言及したのは映画と人種差別との関係を観客に考えさせるためなのではないかと思ってしまう。

『國民の創生』は、今見れば偏見から生まれたものでしかないと多くの人が考えると思うが、それでもその白人至上主義的な考えに同意する人は今もゼロではないだろう。そして、70年代にはその割合は今より多かっただろう。

そう考えるとスパイク・リーがやりたかったのは1910年代を起点に70年代と現在を比べた上で、その変化と変わるべきなのに残念ながら変わっていないことを浮かび上がらせることだったのかも知れない。

この映画の最後には2017年のニュース映像が盛り込まれる。これを1915年の『國民の創生』の映像と比べてみて思うことはどんなことだろうか。

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BlacKkKlausman
2018年/アメリカ/135分
監督:スパイク・リー
脚本:チャーリー・ワクテル、デビッド・ラビノウィッツ、ケビン・ウィルモット、スパイク・リー
撮影:チェイス・アービン
音楽:テレンス・ブランチャード
出演:ジョン・デビッド・ワシントン、アダム・ドライバー、ローラ・ハリアー、トファー・グレース

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(C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED. 1979年、コロラド州コロラド・スプリングス、警察官募集(マイノリティ歓迎)の横断幕を見て警察官に応募した黒人のロン・ストールワースは、唯一の黒人警察官として見事に採用されるも退屈な仕事しか任されず、署長に潜入捜査をさせてもらえるよう直訴する。そんな折り、コロラド・スプリングスで元ブラックパンサーの講演会が開かれることになり、ロンはその潜入を命じられる。 その任務を見事にこなしたロンは刑事に昇格、勢いで白人のふりをしてKKKの募集広告の電話番号に電話をし支部長に気に入られてしまう。ロンは白人の同僚フリップを巻き込みKKKへの潜入捜査を提案するのだが… スパイク・リーが1970年代に実際に起った事件を映画化した社会派コメディ。カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー脚色賞などを受賞した。 ベースは楽しいサスペンス・コメディ この映画の4分の3は普通に面白いサスペンス・コメディで、70年代に黒人がKKKに潜入するという無理な設定(なのに実際にあったというのは驚きだが)から巻き起こるドタバタが面白い。 そして、主人公のロン側の同僚たちのほとんどは人種差別主義者ではなくむしろマイノリティに理解があり、ロンをなるべく平等に扱おうとしているという設定が物語を見やすくしている。 さらに、対するKKKのほうは頭の弱い貧乏白人ばかりという感じに描かれていて、潜入捜査がどこに向かうのかがわからない中で、でも結局はロンたちの側がKKKを打ちのめすのだろうという予想が立つので安心してみることができる。 そしてその安心感は物語の最後まで裏切られることはなく、人種差別主義者たちはその報いを受け、コロラド・スプリングスはすべての人にとって少しだけ住みよい街になるという心地よいドラマだ。 (C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED. 黒人の側にもある問題 しかし、もちろんそれですべてではなく残りの4分の1は人種の問題を私たちに投げかけるのに割かれる。しかも、それは79年という時点の人種差別を単純に批判するものではない。奴隷解放から現在に至るまでの人種対立の文脈の中でこの時期がどのような時期だったかを私たちに示してくれる。 まずは、ロンが唯一の黒人警察官だという事実。ここに当時がどのような時代だったのかが如実に現れる。それは、仕組みとしてはマイノリティはどこででも受け入れられるが、実質的には必ずしもそうではないということ。警察はマイノリティがまだまだ入り込めていない職種だったということ。 そしてその反射として、マイノリティの警察に対する反感を生む。ロンが恋をする大学の黒人自治会の委員長パトリスは、警察官を“ピッグ”と呼び批判する。ロンはそれに対して自分の身分を隠しながら「差別主義者じゃないやつもいる」というが、パトリスは「一人いれば十分でしょ?」と言ってあくまで警察全体を糾弾する。 (C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED. これは白人の黒人に対する態度の裏返しで、レッテル貼りによって社会の分断を招く考え方に見える。パトリスは実際、違法な捜査や嫌がらせを受けているから仕方がない部分もあるのだが、全員がそうではないことを知っているロンはそれをパトリスにわかってもらいたいと考える。 これが、この時代のアメリカの人種対立の状況なのだろう。基本的には対立と分断の世界で、ここから対話と融和の段階へと移行していかなければいけないという段階にあるということだ。スパイク・リーは黒人が正義で白人が悪と画一的に描かないことで、融和に向かっていこうとしない黒人側の問題も描こうとしているのではないか。 ブラックスプロイテーションと『國民の創生』 そのことは物語の途中にいわゆるブラックスプロイテーション作品への言及が盛んになされることからも伺える。 ブラックスプロイテーション映画は70年代前半に盛んに作られたB級ブラックムービーで、黒人も白人もステレオタイプ化された純然たる娯楽映画なので社会的な主張などはなかった。しかし、ファッション、音楽などブラックカルチャーの魅力が詰め込まれていて当時のアフリカ系アメリカ人たちには魅力的だっただろうし、今私達が見てもヒップな魅力を感じられる。この映画でも言及されているが『黒いジャガー』『コフィー』『スーパーフライ』などが代表的だ。 このブラックスプロイテーションをスパイク・リーがわざわざ取り上げたのはブラックカルチャーへのリスペクトもあるだろうが、同時に黒人たち自身が自分たちを麻薬や犯罪といった白人から見たステレオタイプに自分たちを押し込めていた時代だったことが如実に表れる作品群だったからではないだろうか。 そして同時に映画が人々にステレオタイプや人種的偏見を植え付ける役目を果たしてきたことも顧みているのだと思う。 そのことは映画の終盤に『國民の創生』が登場することでよりわかりやすくなる。『國民の創生』は1915年のアメリカ映画で映画史上に残る傑作だが、同時に黒人への差別的な視点が問題視される作品でもある。 https://eigablog.com/movie-review/birth-of-nation/ この作品は公開当時から人種差別的であると批判されたとも言われるが、当時の人々の偏見を反映していたと考えられるし、同時にステレオタイプを強化したとも考えられる。だから、スパイク・リーがわざわざこの作品に言及したのは映画と人種差別との関係を観客に考えさせるためなのではないかと思ってしまう。 『國民の創生』は、今見れば偏見から生まれたものでしかないと多くの人が考えると思うが、それでもその白人至上主義的な考えに同意する人は今もゼロではないだろう。そして、70年代にはその割合は今より多かっただろう。 そう考えるとスパイク・リーがやりたかったのは1910年代を起点に70年代と現在を比べた上で、その変化と変わるべきなのに残念ながら変わっていないことを浮かび上がらせることだったのかも知れない。 この映画の最後には2017年のニュース映像が盛り込まれる。これを1915年の『國民の創生』の映像と比べてみて思うことはどんなことだろうか。 (C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED. BlacKkKlausman2018年/アメリカ/135分監督:スパイク・リー脚本:チャーリー・ワクテル、デビッド・ラビノウィッツ、ケビン・ウィルモット、スパイク・リー撮影:チェイス・アービン音楽:テレンス・ブランチャード出演:ジョン・デビッド・ワシントン、アダム・ドライバー、ローラ・ハリアー、トファー・グレース https://eigablog.com/vod/movie/black-klansman/ https://socine.info/2020/06/15/blacklivesmatter/
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