マレーシアの田舎の村で警察署長を務めるサリヒンは、ひとり親で奔放な娘アズラに手を焼いていた。ハッサン村長はイスラム教の戒律を重んじ、村独自の厳しいルールを定めていた。ある夜、村の空き家に人影を見つけたサリヒンが家を訪ねると、亡くなったその家の持ち主の孫ハニーがいた。都会育ちのハニーは、村にランジェリーショップを開くつもりだという。
厳格な村長はランジェリーショップに反対し、閉店に追い込もうとするが、ハニーは村の女性たちと少しずつ打ち解けていく。マレーシアを代表する女優の一人シャリファ・アマニが主演した社会派ヒューマン・コメディ。
間接的にコミュニティを変革する女性たち
物語は都会からやってきた進歩的な女性ハニーが、因習にがんじがらめになった村を解放していくというもの。世襲で村長を務めるハッサンはイスラム教の戒律を重んじるという名目で村独自のルールを定め、村民たちの行動を制限する。宗教指導者も言いなりになる若者を起用し、説教の内容まで村長が決めるくらいだ。
村人たちは多少の不満はいだきながらも、そういうものだと受け入れて日々を暮らしている。ただ、アズラだけは異議を唱え、村のルールを破りたびたび叱責を受ける。
そこに都会からハニーがやってくる。ハニーがランジェリーショップをやるのは女性たちのため。イスラム社会では女性の権利は制限され、夫や父親の所有物のように扱われる。ハニーは別にそれを変えたいわけではない。その状況の中でも女性が尊厳を持って生きられるようにしたいと考えているように見える。社会的には従属する存在であっても、夫婦関係、親子関係においては対等であるべきだと考えているのだ。
そのために村の女たちにセクシーなランジェリーを売り、自信をつけさせると同時に夫との関係で優位に立つ。ハニーのランジェリーで夫を誘惑することに成功した女性たちは「男はそのことしか考えていない」といい、セックスをさせる/させないことで夫をコントロールできることを学ぶ。
そして女性たちは間接的に村の理不尽な因習を打破していく。そこが非常に痛快だ。
自立する女性たち
この映画のいいところは、男性と女性の関係を「対立」として描いていないところだ。男性中心の社会の中で女性が団結し、自立していくことを描く。そのためには因習を打破することが必要なわけだが、それは男性優位を打ち倒すことではなく、男性に女性も自立した存在だと分からせるだけでいい。男性優位の社会の中で、個の関係においては男女は対等であると分からせること、それが重要なのだ。
その象徴的なエピソードとして夫からDVを受けている女性が登場する。夫は「体罰で女に分からせる」という村長の言葉を鵜呑みにして、しつけという形で妻に暴力を振るう。しかし、もちろんそれはしつけでもなんでもない。暴力で相手を支配しようという人権侵害に過ぎない。しかし、因習に染まってしまった女性もそのことをわからない。だからハニーはその女性を自分の店に匿い、夫から引き離す。
ハニーは開店当初から店を「男性立ち入り禁止」にする。それは店を女性たちが安心できる空間にするためのもので、それが女性を匿うときにも役に立つ。男性に支配された社会において、女性たちが安心して自由に振る舞える空間、それを作ることがハニーのもう一つの目的だったということが、ここでわかる。
男性優位の社会においては女性は助け合わなければならない。そうならざるを得ないのは社会が悪いに違いないのだが、イスラムに限らず世界中がそんな社会で有り続けている。この映画は密やかにそのことを告発する。
人と人
いろいろとドラマがあった末に権威主義の象徴であるハッサン村長を追い落とすことで痛快な結末を迎えるこの映画だが、そこはあくまで映画というか、一人に責任を追わせることでほか全員がハッピーエンドを迎えられるようにしている。それによって観客も気持ちよく終われるからそれでいいし、そこがこの映画のいいところとも言える。
この村はイスラム社会の縮図ともいえるが、国のような大きな社会を考えてみると、こうはうまく行かないだろうと思えてしまう。村レベルの人と人のつながりが濃い場所であればこの映画のようにうまくいくかもしれない。しかし人と人ではなく、男と女のようにグループとグループの関係になると解決は難しくなる。
国と国の関係であったり、宗教と別の宗教の関係であったりすればなおさらだ。でも、見方を変えてみれば人と人のレベルにまで分解していけば解決できない問題などないということなのかもしれない。宗教や民族や言語が違うとお互い理解し合えず対立が生まれてしまいがちだが、この映画に私たちも共感できるということは、人と人のレベルならばそんなことは関係なく理解し合えるということなのではないか。
もちろんそうではない人もいるでも、この映画はその可能性を見せてくれる。イスラム女性という世界の中でも抑圧された立場の人たちを描くことで、希望を見せてくれる、そんな映画なのではないだろうか。
『ラ・ルナ』
監督:M・ライハン・ハリム
出演:シャヘイジー・サム、シャリファ・アマニ、ワン・ハナフィ・スー
https://socine.info/2023/10/30/la_luna/https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2024/10/laluna1.jpg?fit=640%2C428&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2024/10/laluna1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieDV,イスラム,女性ALL RIGHTS RESERVED (C) 2023 CLOVER FILMS PTE LTD
マレーシアの田舎の村で警察署長を務めるサリヒンは、ひとり親で奔放な娘アズラに手を焼いていた。ハッサン村長はイスラム教の戒律を重んじ、村独自の厳しいルールを定めていた。ある夜、村の空き家に人影を見つけたサリヒンが家を訪ねると、亡くなったその家の持ち主の孫ハニーがいた。都会育ちのハニーは、村にランジェリーショップを開くつもりだという。
厳格な村長はランジェリーショップに反対し、閉店に追い込もうとするが、ハニーは村の女性たちと少しずつ打ち解けていく。マレーシアを代表する女優の一人シャリファ・アマニが主演した社会派ヒューマン・コメディ。
間接的にコミュニティを変革する女性たち
物語は都会からやってきた進歩的な女性ハニーが、因習にがんじがらめになった村を解放していくというもの。世襲で村長を務めるハッサンはイスラム教の戒律を重んじるという名目で村独自のルールを定め、村民たちの行動を制限する。宗教指導者も言いなりになる若者を起用し、説教の内容まで村長が決めるくらいだ。
村人たちは多少の不満はいだきながらも、そういうものだと受け入れて日々を暮らしている。ただ、アズラだけは異議を唱え、村のルールを破りたびたび叱責を受ける。
そこに都会からハニーがやってくる。ハニーがランジェリーショップをやるのは女性たちのため。イスラム社会では女性の権利は制限され、夫や父親の所有物のように扱われる。ハニーは別にそれを変えたいわけではない。その状況の中でも女性が尊厳を持って生きられるようにしたいと考えているように見える。社会的には従属する存在であっても、夫婦関係、親子関係においては対等であるべきだと考えているのだ。
そのために村の女たちにセクシーなランジェリーを売り、自信をつけさせると同時に夫との関係で優位に立つ。ハニーのランジェリーで夫を誘惑することに成功した女性たちは「男はそのことしか考えていない」といい、セックスをさせる/させないことで夫をコントロールできることを学ぶ。
そして女性たちは間接的に村の理不尽な因習を打破していく。そこが非常に痛快だ。
ALL RIGHTS RESERVED (C) 2023 CLOVER FILMS PTE LTD
自立する女性たち
この映画のいいところは、男性と女性の関係を「対立」として描いていないところだ。男性中心の社会の中で女性が団結し、自立していくことを描く。そのためには因習を打破することが必要なわけだが、それは男性優位を打ち倒すことではなく、男性に女性も自立した存在だと分からせるだけでいい。男性優位の社会の中で、個の関係においては男女は対等であると分からせること、それが重要なのだ。
その象徴的なエピソードとして夫からDVを受けている女性が登場する。夫は「体罰で女に分からせる」という村長の言葉を鵜呑みにして、しつけという形で妻に暴力を振るう。しかし、もちろんそれはしつけでもなんでもない。暴力で相手を支配しようという人権侵害に過ぎない。しかし、因習に染まってしまった女性もそのことをわからない。だからハニーはその女性を自分の店に匿い、夫から引き離す。
ハニーは開店当初から店を「男性立ち入り禁止」にする。それは店を女性たちが安心できる空間にするためのもので、それが女性を匿うときにも役に立つ。男性に支配された社会において、女性たちが安心して自由に振る舞える空間、それを作ることがハニーのもう一つの目的だったということが、ここでわかる。
男性優位の社会においては女性は助け合わなければならない。そうならざるを得ないのは社会が悪いに違いないのだが、イスラムに限らず世界中がそんな社会で有り続けている。この映画は密やかにそのことを告発する。
ALL RIGHTS RESERVED (C) 2023 CLOVER FILMS PTE LTD
人と人
いろいろとドラマがあった末に権威主義の象徴であるハッサン村長を追い落とすことで痛快な結末を迎えるこの映画だが、そこはあくまで映画というか、一人に責任を追わせることでほか全員がハッピーエンドを迎えられるようにしている。それによって観客も気持ちよく終われるからそれでいいし、そこがこの映画のいいところとも言える。
この村はイスラム社会の縮図ともいえるが、国のような大きな社会を考えてみると、こうはうまく行かないだろうと思えてしまう。村レベルの人と人のつながりが濃い場所であればこの映画のようにうまくいくかもしれない。しかし人と人ではなく、男と女のようにグループとグループの関係になると解決は難しくなる。
国と国の関係であったり、宗教と別の宗教の関係であったりすればなおさらだ。でも、見方を変えてみれば人と人のレベルにまで分解していけば解決できない問題などないということなのかもしれない。宗教や民族や言語が違うとお互い理解し合えず対立が生まれてしまいがちだが、この映画に私たちも共感できるということは、人と人のレベルならばそんなことは関係なく理解し合えるということなのではないか。
もちろんそうではない人もいるでも、この映画はその可能性を見せてくれる。イスラム女性という世界の中でも抑圧された立場の人たちを描くことで、希望を見せてくれる、そんな映画なのではないだろうか。
https://youtu.be/l54kKUPKEp0
『ラ・ルナ』監督:M・ライハン・ハリム出演:シャヘイジー・サム、シャリファ・アマニ、ワン・ハナフィ・スー
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
コメントを残す