(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

小学6年生のガキ大将の石田将也のクラスに耳の不自由な少女・西宮硝子が転校してくる。どんなときでも遠慮して下手に出る硝子はいじめられるようになり、ある時、将也の行き過ぎた行為によっていじめが露呈、将也は仲間にいじめられるようになってしまう。それから5年、心を閉ざし学生生活を送ってきた将也は自殺を決意するが、直前で心変わりし硝子に会おうと考える。

「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などで高い評価を受けた大今良時の漫画「聲の形」を、京都アニメーションと山田尚子監督によりアニメーション映画化した作品。

ディスコミュニケーションと負のスパイラル

この映画の主人公の将也の視点で物語が進んでいく。将也は悪質ないじめをしているつもりはなかったが、周囲と一緒になってやっているうちにエスカレートしていき、決定的な出来事を将也が起こしてしまうことで、主犯として糾弾される。そこで繰り返し硝子の補聴器が壊されていたことがわかり、将也の家族(姉)がその費用を弁償することになる。

その後、将也はいじめられる側になり、心を閉ざして孤独な学生生活を送る。その中でバイトをしてお金を稼ぎ、弁償にかかった費用を姉に返したら自殺しようと決意している。しかしいざ自殺する段になって花火を見て翻意する(これが最初のシーン)。

そこから将也は手話を学び、硝子とコミュニケーションを取ろうとするようになる。

いったいこの映画は何を言おうとしているのか。全体的に見えるのはうまくいかないコミュニケーション。学校という狭いコミュニティでコミュニケーションのすれ違いから人間関係がうまくいかなくなる。小学生の段階ではそれが無垢な残酷さに繋がり、高校生になるとそれは自己嫌悪を増させることになる。どちらにしてもそこに負のスパイラルが生じる様が描かれている。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

そこから抜け出そうと真摯に取り組もうとしているのが将也で、でもやっぱりうまくいかずに周りとの摩擦が生じる。でもその段階では悪いのは周りの方で、みんながそれに気づけばうまくコミュニケーションが取れるようになりハッピーエンドになるがどうかというところ。実際はそんなにうまくいかないだろうとは思う。

その中で、硝子はやはりさらにこじらせている。小学生のころの硝子は同情を買うことで自分の存在を保っているようにみえる。自分を卑下して、かまってくれる人はだれでも受け入れ、それがいじめであっても拒絶しようとはしない。

それが進んで高校生になるとどうか。妹も含めて自分は世話されるばかりで取るに足らない存在、何もできないお荷物だと考えているのではないか。小学生の頃の出来事も自分が悪かったと考えているのかもしれない。だから将也が理解してくれようとしても、また迷惑をかけてしまうかもしれないと考える。硝子はそれだけ自己嫌悪をこじらせているのだろう。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

社会にある障害と子どもたち

ここには社会的な問題もあるかもしれない。硝子は障がい者として守られて生きてきた。年下の妹を守るべきなのにむしろ守られているし、自分は迷惑をかけるばかりでなんの役にも立たないと考えてしまってもおかしくはない。もちろんそんなはずはないのだが、そうやって障がい者から自己肯定感を失わさせてしまっているのは社会であり、それが硝子に表れているとも言えるのかもしれない。

将也は障害を抜きに硝子のことを見ることができるようになった。そんな将也が硝子を救えれば美しい物語になるのだが、こじらせている硝子は素直には受け入れられない。それは障害者の自己肯定感という社会の問題の現れと言える。

硝子の障害はこの物語の主題ではないけれど、障害者にまつわる社会の問題が彼らの関係にも影を落とす。障害者だからただ守ればいいというわけではなく、社会の一員としてコミュニケーションを取ることこそが重要だとこの物語は全体として言っているのではないだろうか。この物語のテーマがコミュニケーションであるのも示唆的だ。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

学生生活というのは均質なコミュニティを前提としている。だからそこから外れるものを排除しがちで、それが最初は硝子であり、その後は将也であったわけだが、実際の社会は多様で異質な人たちともコミュニケーションを取らなければならない。そのことに早くから直面した子どもたちの成長を描いているとも言える。

話が大きくなってしまうが、この映画からは今の学校教育のあり方がいいのかという問題も見えてくる。特別支援学校や特別支援学級という形で障害のある子どもたちは排除するやり方は、障害者、健常者、両方の子どもたちにとってもマイナスなのではないか。そんなことまで考えたが、基本的にはいい青春映画だと言えるだろう。

(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

『聲の形』
2016年/日本/126分
監督:山田尚子
原作:大今良時
脚本:吉田玲子
総作画監督:西尾太志
音楽:牛尾憲輔
声の出演:入野自由、早見沙織、悠木碧、小野賢章、松岡茉優

https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/04/koekata_0.jpg?fit=455%2C640&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2023/04/koekata_0.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieアニメ,聴覚障害,青春
(C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 小学6年生のガキ大将の石田将也のクラスに耳の不自由な少女・西宮硝子が転校してくる。どんなときでも遠慮して下手に出る硝子はいじめられるようになり、ある時、将也の行き過ぎた行為によっていじめが露呈、将也は仲間にいじめられるようになってしまう。それから5年、心を閉ざし学生生活を送ってきた将也は自殺を決意するが、直前で心変わりし硝子に会おうと考える。 「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などで高い評価を受けた大今良時の漫画「聲の形」を、京都アニメーションと山田尚子監督によりアニメーション映画化した作品。 ディスコミュニケーションと負のスパイラル この映画の主人公の将也の視点で物語が進んでいく。将也は悪質ないじめをしているつもりはなかったが、周囲と一緒になってやっているうちにエスカレートしていき、決定的な出来事を将也が起こしてしまうことで、主犯として糾弾される。そこで繰り返し硝子の補聴器が壊されていたことがわかり、将也の家族(姉)がその費用を弁償することになる。 その後、将也はいじめられる側になり、心を閉ざして孤独な学生生活を送る。その中でバイトをしてお金を稼ぎ、弁償にかかった費用を姉に返したら自殺しようと決意している。しかしいざ自殺する段になって花火を見て翻意する(これが最初のシーン)。 そこから将也は手話を学び、硝子とコミュニケーションを取ろうとするようになる。 いったいこの映画は何を言おうとしているのか。全体的に見えるのはうまくいかないコミュニケーション。学校という狭いコミュニティでコミュニケーションのすれ違いから人間関係がうまくいかなくなる。小学生の段階ではそれが無垢な残酷さに繋がり、高校生になるとそれは自己嫌悪を増させることになる。どちらにしてもそこに負のスパイラルが生じる様が描かれている。 (C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 そこから抜け出そうと真摯に取り組もうとしているのが将也で、でもやっぱりうまくいかずに周りとの摩擦が生じる。でもその段階では悪いのは周りの方で、みんながそれに気づけばうまくコミュニケーションが取れるようになりハッピーエンドになるがどうかというところ。実際はそんなにうまくいかないだろうとは思う。 その中で、硝子はやはりさらにこじらせている。小学生のころの硝子は同情を買うことで自分の存在を保っているようにみえる。自分を卑下して、かまってくれる人はだれでも受け入れ、それがいじめであっても拒絶しようとはしない。 それが進んで高校生になるとどうか。妹も含めて自分は世話されるばかりで取るに足らない存在、何もできないお荷物だと考えているのではないか。小学生の頃の出来事も自分が悪かったと考えているのかもしれない。だから将也が理解してくれようとしても、また迷惑をかけてしまうかもしれないと考える。硝子はそれだけ自己嫌悪をこじらせているのだろう。 (C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 社会にある障害と子どもたち ここには社会的な問題もあるかもしれない。硝子は障がい者として守られて生きてきた。年下の妹を守るべきなのにむしろ守られているし、自分は迷惑をかけるばかりでなんの役にも立たないと考えてしまってもおかしくはない。もちろんそんなはずはないのだが、そうやって障がい者から自己肯定感を失わさせてしまっているのは社会であり、それが硝子に表れているとも言えるのかもしれない。 将也は障害を抜きに硝子のことを見ることができるようになった。そんな将也が硝子を救えれば美しい物語になるのだが、こじらせている硝子は素直には受け入れられない。それは障害者の自己肯定感という社会の問題の現れと言える。 硝子の障害はこの物語の主題ではないけれど、障害者にまつわる社会の問題が彼らの関係にも影を落とす。障害者だからただ守ればいいというわけではなく、社会の一員としてコミュニケーションを取ることこそが重要だとこの物語は全体として言っているのではないだろうか。この物語のテーマがコミュニケーションであるのも示唆的だ。 (C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 学生生活というのは均質なコミュニティを前提としている。だからそこから外れるものを排除しがちで、それが最初は硝子であり、その後は将也であったわけだが、実際の社会は多様で異質な人たちともコミュニケーションを取らなければならない。そのことに早くから直面した子どもたちの成長を描いているとも言える。 話が大きくなってしまうが、この映画からは今の学校教育のあり方がいいのかという問題も見えてくる。特別支援学校や特別支援学級という形で障害のある子どもたちは排除するやり方は、障害者、健常者、両方の子どもたちにとってもマイナスなのではないか。そんなことまで考えたが、基本的にはいい青春映画だと言えるだろう。 (C)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会 『聲の形』2016年/日本/126分監督:山田尚子原作:大今良時脚本:吉田玲子総作画監督:西尾太志音楽:牛尾憲輔声の出演:入野自由、早見沙織、悠木碧、小野賢章、松岡茉優
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