スペインの山奥の村に暮らすフランス人のアントワーヌとオルガの夫婦、数年前に移住し、有機農業で野菜を作りマルシェで売って暮らしている。しかし、村に持ち上がった風力発電計画に反対したことから、隣人のシャンとローレンの兄弟と折り合いが悪くなり、ことあるごとに嫌がらせを受けていた。アントワーヌは兄弟の悪事の証拠を確保しようとビデオで隠し撮りを始めるが、それが事態をさらに悪化させていく…
ロドリゴ・ソロゴイェン監督の第6作。全編が静かな恐怖に覆われた心理スリラー。2022年の東京国際映画祭で東京グランプリ/東京都知事賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3賞を受賞。
村人とよそ者
映画は、舞台となる地域で野生の馬を保護するため馬に印をつけるという説明の後、生身で馬を組み止める男たちの映像が流れる。この映像は物語とは関係ないが、ここからずっと暴力的で不穏な空気が映画に流れ続ける。
フランスから来た男アントワーヌは、夫婦仲睦まじく有機農業に勤しみながら、村のために崩れそうな家を無償で補修しているという「いい奴」だが、見た目はいかつい。隣人のシャン兄弟は母親と3人で牛飼いをして暮らすいわゆる「田舎者」だ。教育は受けていないが、肉体労働を続けてきた者らしい屈強さと頑固さを持つ。
このシャン兄弟は10世帯ほどの村で生まれ育ち、この村のヒエラルキーの頂点に立ってきた。名言はされないが、村人たちは彼らに逆らうことができない。そこにアントワーヌがやってきて、最初は彼らも受けれていたようだが、風力発電の話を機に対立するようになる。
シャン兄弟としては風力発電を誘致して金をもらいたい。アントワーヌは豊かな自然環境を壊したくないし、村で農業を続けたい。村人の一部はアントワーヌに同調して反対する。彼らは以前からシャン兄弟に不満を持っていたが言い出せなかった人たちだろう。
彼らはアントワーヌと仲良くするが、味方になるわけではない。シャン兄弟とも付き合っていかないと村では生きていけないから、適度な距離感でつきあっていく。
シャン兄弟とアントワーヌの対立が深まっていく中でどうなっていくのかスリリングなスリラーが展開されていく。
衝突する価値観と理
この映画は様々なことを複層的に語る。基本的にはシャン兄弟とアントワーヌの対比だ。教育のない田舎者と、高い教育を受けてきた都会人。地元民と移住者。独り者と妻帯者。
最初はアントワーヌに理があると感じられる。移住者であっても風力発電に反対する権利はあるし、それを嫌がらせというか違法行為で覆そうとするシャン兄弟はどう考えても悪人だ。
しかしアントワーヌが彼らの行動の隠し撮りを始めるとどっちもどっちという感じがしてくる。もちろん程度の差はある。しかし正当とはいえない手段に訴えている点では同じ穴のムジナと言わざるをえない。
そもそもシャン兄弟はどうしてそんなにアントワーヌを敵視するのか。彼らの考えは中盤に言葉にされるが「俺たちは金を貰う権利があるのにあいつが邪魔をしている」というものだ。何十年も住んでいる自分たちが、2,3年しか住んでいないやつに邪魔されるのが我慢できないという主張だ。
「そうはいっても」と思うが、これも一つの理ではある。アントワーヌには社会の制度や常識という理があるが、シャン兄弟にも彼らなりに歴史の中で培ってきた価値観という理がある。
つまりここで生じているのは断りの衝突、価値観の衝突、権利の衝突なのだ。
譲れない価値観や権利を攻撃されたとき、人はそれに反撃するために獣性をあらわにする。そして獣同士の衝突が起きる。
人間の内なる獣性と向き合う
これがなんの映画か説明するのは難しい。無理やり説明するなら、人間とはなにかについての映画だろう。最初はアントワーヌとシャン兄弟の間だけで生じていた獣性の衝突は、アントワーヌの妻のオルガ、シャン兄弟の母親、さらに周りの人たちにも波及していく。
人間は様々な約束や制度によって社会を整備してきたが、それには人の中の獣性が表れてこないようにするためという一面もあったということをこの映画を見ると思う。
戦いが起きたとき、人の中の獣が目を覚ます。しかし、それを抑え込み、人間関係を使い、味方を増やしていくことで戦いを有利に運ぶという人間的な戦い方もある。そして、その戦い方のほうが多くの場合で優勢に立てる。それが人間社会だからだ。
でも、時にそれが通用しない獣の世界に入り込んでしまうことがある。それはある種の極限状態で、めったにあるわけではない。しかし、人間の根源的ななにかに触れるのか、物語としては繰り返し描かれてきた。それは、私たちの誰もが人間として己の獣性と向き合わなけれならない時があることを知っているからかもしれない。
獣性とどう向き合うかなんて考えることはほとんどないけれど、それをしなければならないときがもしかしたら来るかもしれない。そこに人間とは何かという問いの答えの一端があるのかもしれない。
『ザ・ビースト』
As Bestas
2022年/スペイン、フランス/138分
監督・脚本:ロドリゴ・ソロゴイェン
脚本:イサベル・ペーニャ
撮影:アレハンドロ・デ・パブロ
音楽:オリヴィエ・アルソン
出演:ドゥニ・メノーシュ、マリーナ・フォイス、ルイス・サエラ、ディアゴ・アニド
東京国際映画祭『ザ・ビースト』
https://socine.info/2022/11/09/the-beast/https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/11/The_Beasts_main.jpg?fit=1024%2C575&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/11/The_Beasts_main.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovie格差社会,移住© Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E, Le pacte S.A.S.
スペインの山奥の村に暮らすフランス人のアントワーヌとオルガの夫婦、数年前に移住し、有機農業で野菜を作りマルシェで売って暮らしている。しかし、村に持ち上がった風力発電計画に反対したことから、隣人のシャンとローレンの兄弟と折り合いが悪くなり、ことあるごとに嫌がらせを受けていた。アントワーヌは兄弟の悪事の証拠を確保しようとビデオで隠し撮りを始めるが、それが事態をさらに悪化させていく…
ロドリゴ・ソロゴイェン監督の第6作。全編が静かな恐怖に覆われた心理スリラー。2022年の東京国際映画祭で東京グランプリ/東京都知事賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3賞を受賞。
村人とよそ者
映画は、舞台となる地域で野生の馬を保護するため馬に印をつけるという説明の後、生身で馬を組み止める男たちの映像が流れる。この映像は物語とは関係ないが、ここからずっと暴力的で不穏な空気が映画に流れ続ける。
フランスから来た男アントワーヌは、夫婦仲睦まじく有機農業に勤しみながら、村のために崩れそうな家を無償で補修しているという「いい奴」だが、見た目はいかつい。隣人のシャン兄弟は母親と3人で牛飼いをして暮らすいわゆる「田舎者」だ。教育は受けていないが、肉体労働を続けてきた者らしい屈強さと頑固さを持つ。
このシャン兄弟は10世帯ほどの村で生まれ育ち、この村のヒエラルキーの頂点に立ってきた。名言はされないが、村人たちは彼らに逆らうことができない。そこにアントワーヌがやってきて、最初は彼らも受けれていたようだが、風力発電の話を機に対立するようになる。
シャン兄弟としては風力発電を誘致して金をもらいたい。アントワーヌは豊かな自然環境を壊したくないし、村で農業を続けたい。村人の一部はアントワーヌに同調して反対する。彼らは以前からシャン兄弟に不満を持っていたが言い出せなかった人たちだろう。
彼らはアントワーヌと仲良くするが、味方になるわけではない。シャン兄弟とも付き合っていかないと村では生きていけないから、適度な距離感でつきあっていく。
シャン兄弟とアントワーヌの対立が深まっていく中でどうなっていくのかスリリングなスリラーが展開されていく。
© Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E, Le pacte S.A.S.
衝突する価値観と理
この映画は様々なことを複層的に語る。基本的にはシャン兄弟とアントワーヌの対比だ。教育のない田舎者と、高い教育を受けてきた都会人。地元民と移住者。独り者と妻帯者。
最初はアントワーヌに理があると感じられる。移住者であっても風力発電に反対する権利はあるし、それを嫌がらせというか違法行為で覆そうとするシャン兄弟はどう考えても悪人だ。
しかしアントワーヌが彼らの行動の隠し撮りを始めるとどっちもどっちという感じがしてくる。もちろん程度の差はある。しかし正当とはいえない手段に訴えている点では同じ穴のムジナと言わざるをえない。
そもそもシャン兄弟はどうしてそんなにアントワーヌを敵視するのか。彼らの考えは中盤に言葉にされるが「俺たちは金を貰う権利があるのにあいつが邪魔をしている」というものだ。何十年も住んでいる自分たちが、2,3年しか住んでいないやつに邪魔されるのが我慢できないという主張だ。
「そうはいっても」と思うが、これも一つの理ではある。アントワーヌには社会の制度や常識という理があるが、シャン兄弟にも彼らなりに歴史の中で培ってきた価値観という理がある。
つまりここで生じているのは断りの衝突、価値観の衝突、権利の衝突なのだ。
譲れない価値観や権利を攻撃されたとき、人はそれに反撃するために獣性をあらわにする。そして獣同士の衝突が起きる。
© Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E, Le pacte S.A.S.
人間の内なる獣性と向き合う
これがなんの映画か説明するのは難しい。無理やり説明するなら、人間とはなにかについての映画だろう。最初はアントワーヌとシャン兄弟の間だけで生じていた獣性の衝突は、アントワーヌの妻のオルガ、シャン兄弟の母親、さらに周りの人たちにも波及していく。
人間は様々な約束や制度によって社会を整備してきたが、それには人の中の獣性が表れてこないようにするためという一面もあったということをこの映画を見ると思う。
戦いが起きたとき、人の中の獣が目を覚ます。しかし、それを抑え込み、人間関係を使い、味方を増やしていくことで戦いを有利に運ぶという人間的な戦い方もある。そして、その戦い方のほうが多くの場合で優勢に立てる。それが人間社会だからだ。
でも、時にそれが通用しない獣の世界に入り込んでしまうことがある。それはある種の極限状態で、めったにあるわけではない。しかし、人間の根源的ななにかに触れるのか、物語としては繰り返し描かれてきた。それは、私たちの誰もが人間として己の獣性と向き合わなけれならない時があることを知っているからかもしれない。
獣性とどう向き合うかなんて考えることはほとんどないけれど、それをしなければならないときがもしかしたら来るかもしれない。そこに人間とは何かという問いの答えの一端があるのかもしれない。
『ザ・ビースト』As Bestas2022年/スペイン、フランス/138分監督・脚本:ロドリゴ・ソロゴイェン脚本:イサベル・ペーニャ撮影:アレハンドロ・デ・パブロ音楽:オリヴィエ・アルソン出演:ドゥニ・メノーシュ、マリーナ・フォイス、ルイス・サエラ、ディアゴ・アニド
東京国際映画祭『ザ・ビースト』
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
コメントを残す