(C)Hrossabrestur2013

独身男のコルベインがめかしこんで馬に乗り、子持ちの未亡人ソルベーイグの元を訪れる。村人たちは双眼鏡で遠くからその様子を見つめる。二人は惹かれ合っているようで、和やかに会話をし、コルベインはソルベーイグの家をあとにするが、コルベインの乗った馬にソルベーイグの馬がのしかかり交尾を始めてしまう。家に帰ったコルベインは愛馬を安楽死させる。

場面は変わり、今度は一人の男が馬にまたがり大急ぎで沖合に停泊する船に向かう。男はその船でウォッカを買い求めまた馬にまたがり岸へと戻ってくる。アイスランドの田舎を舞台に、馬たちと人間の様々な関わりをドラマティックに描いた作品。なんとも奇妙な世界観だが、これがリアルなのだと感じさせる説得力がある。

人の獣性と馬の人性

この映画で描かれるのは題名どおり「馬々と人間たち」のエピソードだ。「人々と馬たち」ではなく、馬々と人間たちというのが面白いし、そのとおり馬が中心でその周りにいる人間たちが描かれるという印象がある。

そして、大きな自然の中では、人間も動物であるという「獣性」が描かれ、同時に家畜である馬については、自然と人間の中間的な性質も描かれる。

どういうことかわからないと思うので、例を出すと、メインのエピソードであるコルベインとソルベーイグの関係。二人は人間らしく節度を持った交際をしているのに、飼っている馬同士がいきなり交尾を初めて獣性をみせる。しかし、ネタバレになるが、映画の終盤で二人も欲望にかられて「交尾」をする。これは彼らの中にある獣性が、馬同士の交尾によって呼び覚まされたと見ることができる。

(C)Hrossabrestur2013

対して馬の方はというと、コルベインは涙ながらに愛馬を処分し、ソルベーイグも去勢する。これは、家畜である馬は人間がコントロールできる存在でなくてはならないので、そこから外れた馬には処分を行わなければならないという知恵による行為だろう。こうやって馬は自然よりも人間によった存在に置かれる。

むしろ馬のほうが…

もうひとつ、馬が自然と人間の中間的な存在として描かれている例を上げると、主要な人物の一人であるスペイン語を話す旅行者のエピソードがある。彼は乗馬体験に参加するが、ガイドたちとはぐれ一人道に迷ってしまう。迷っているうちに雪が降り出し、日が暮れて凍えた彼は、乗っていた馬を殺し、腹を割いて馬の体温で暖を取ろうとする。

もちろん馬が進んでそうしたわけではないが、この映画を見ていると馬にとってはその役割は当たり前のことというか、人間のために犠牲になることを良しとしているように見えてくる。馬も獣だから生存本能があるはずだが、映画の中で何度も映し出される馬の目を見ていると、運命に抗う意思がないように見えてくるのだ。そして、むしろ人間のようが獣性が強いのではないかとも思えてくる。

(C)Hrossabrestur2013

この馬が人のために尽くす行動は、この映画のあらゆる場面で登場する。馬は賢い生き物なので、自分の行動の意味を理解しているのではないか。この映画に出てくる馬たちを見ていると、「彼ら」は自分たち(馬々)と人間たちをある意味ではひとつの群れと見ているのではないかと思えてくる。人馬一体の群れとして自然と与していくための自分の役割は何かを理解しているのではないか、そんなふうに感じるのだ。もちろん考えすぎだし、人間の自己中心的なおごりだろうけれど。

人類の歴史は自然との戦いの歴史であり、その戦いにおいて家畜が果たした役割は非常に大きい。中でも馬は産業革命前まで人間にはできない様々なことをやってくれる存在だった。人間は馬を道具として使ってきたと思ってきたが、馬からすると実はそうではなく、人と一緒に文明を作り上げてきたと思っているのかもしれない。

アイスランドという原初の自然に近い場所では、いまもそんな馬々と人間たちの関係が続いているのではないか。

(C)Hrossabrestur2013

『馬々と人間たち』
Of Horses and Men
2013年/アイスランド/81分
監督:ベネディクト・エルリングソン
脚本:ベネディクト・エルリングソン
撮影:ベルグステイン・ビョルゴルフソン
出演:イングバール・E・シーグルズソン、シャーロッテ・ボービング、ステイン・アルマン・マグノソン、ヘルギ・ビョルンソン

https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/04/umauma_2.jpg?fit=640%2C283&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/04/umauma_2.jpg?resize=150%2C142&ssl=1ishimuraMovieアイスランド
(C)Hrossabrestur2013 独身男のコルベインがめかしこんで馬に乗り、子持ちの未亡人ソルベーイグの元を訪れる。村人たちは双眼鏡で遠くからその様子を見つめる。二人は惹かれ合っているようで、和やかに会話をし、コルベインはソルベーイグの家をあとにするが、コルベインの乗った馬にソルベーイグの馬がのしかかり交尾を始めてしまう。家に帰ったコルベインは愛馬を安楽死させる。 場面は変わり、今度は一人の男が馬にまたがり大急ぎで沖合に停泊する船に向かう。男はその船でウォッカを買い求めまた馬にまたがり岸へと戻ってくる。アイスランドの田舎を舞台に、馬たちと人間の様々な関わりをドラマティックに描いた作品。なんとも奇妙な世界観だが、これがリアルなのだと感じさせる説得力がある。 人の獣性と馬の人性 この映画で描かれるのは題名どおり「馬々と人間たち」のエピソードだ。「人々と馬たち」ではなく、馬々と人間たちというのが面白いし、そのとおり馬が中心でその周りにいる人間たちが描かれるという印象がある。 そして、大きな自然の中では、人間も動物であるという「獣性」が描かれ、同時に家畜である馬については、自然と人間の中間的な性質も描かれる。 どういうことかわからないと思うので、例を出すと、メインのエピソードであるコルベインとソルベーイグの関係。二人は人間らしく節度を持った交際をしているのに、飼っている馬同士がいきなり交尾を初めて獣性をみせる。しかし、ネタバレになるが、映画の終盤で二人も欲望にかられて「交尾」をする。これは彼らの中にある獣性が、馬同士の交尾によって呼び覚まされたと見ることができる。 (C)Hrossabrestur2013 対して馬の方はというと、コルベインは涙ながらに愛馬を処分し、ソルベーイグも去勢する。これは、家畜である馬は人間がコントロールできる存在でなくてはならないので、そこから外れた馬には処分を行わなければならないという知恵による行為だろう。こうやって馬は自然よりも人間によった存在に置かれる。 むしろ馬のほうが… もうひとつ、馬が自然と人間の中間的な存在として描かれている例を上げると、主要な人物の一人であるスペイン語を話す旅行者のエピソードがある。彼は乗馬体験に参加するが、ガイドたちとはぐれ一人道に迷ってしまう。迷っているうちに雪が降り出し、日が暮れて凍えた彼は、乗っていた馬を殺し、腹を割いて馬の体温で暖を取ろうとする。 もちろん馬が進んでそうしたわけではないが、この映画を見ていると馬にとってはその役割は当たり前のことというか、人間のために犠牲になることを良しとしているように見えてくる。馬も獣だから生存本能があるはずだが、映画の中で何度も映し出される馬の目を見ていると、運命に抗う意思がないように見えてくるのだ。そして、むしろ人間のようが獣性が強いのではないかとも思えてくる。 (C)Hrossabrestur2013 この馬が人のために尽くす行動は、この映画のあらゆる場面で登場する。馬は賢い生き物なので、自分の行動の意味を理解しているのではないか。この映画に出てくる馬たちを見ていると、「彼ら」は自分たち(馬々)と人間たちをある意味ではひとつの群れと見ているのではないかと思えてくる。人馬一体の群れとして自然と与していくための自分の役割は何かを理解しているのではないか、そんなふうに感じるのだ。もちろん考えすぎだし、人間の自己中心的なおごりだろうけれど。 人類の歴史は自然との戦いの歴史であり、その戦いにおいて家畜が果たした役割は非常に大きい。中でも馬は産業革命前まで人間にはできない様々なことをやってくれる存在だった。人間は馬を道具として使ってきたと思ってきたが、馬からすると実はそうではなく、人と一緒に文明を作り上げてきたと思っているのかもしれない。 アイスランドという原初の自然に近い場所では、いまもそんな馬々と人間たちの関係が続いているのではないか。 (C)Hrossabrestur2013 『馬々と人間たち』Of Horses and Men2013年/アイスランド/81分監督:ベネディクト・エルリングソン脚本:ベネディクト・エルリングソン撮影:ベルグステイン・ビョルゴルフソン出演:イングバール・E・シーグルズソン、シャーロッテ・ボービング、ステイン・アルマン・マグノソン、ヘルギ・ビョルンソン
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