TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.

2007年に製作されヒットしたミュージカル映画。映画の序盤はミュージカル映画らしいゆっくりとした滑り出し。1962年、ボルチモアの太めの高校生トレイシーが家から学校に行くまでの道のりで時代背景や自分の夢を歌に乗せて紹介する。

トレイシーの夢は夕方4時からの人気ローカル番組「コニー・コリンズ・ショー」に出演し、憧れのリンクと踊ること。ある日、番組のオーディションがあると聞いたトレイシーは両親に相談するが、母親のエドナは反対、それでも父親の応援でオーディションを受けることにする。

しかし、番組を牛耳る元ミスボルチモアのベルマは古臭い価値観の持ち主で「チビでデブ」のトレイシーを鼻にもかけない上、月に一度の「ブラック・デー」も廃止しようとしていた。

公民権運動が盛り上がりを見せる1960年代の高校生の姿を描いた青春ミュージカルで、原案はジョン・ウォーターズによる1988年の同名映画。この作品がブロードウェイミュージカルとなり、このミュージカルが映画化されたのがこの作品(なので、88年作品はミュージカルではない)。ちなみに、映画の冒頭、露出狂役でジョン・ウォーターズが登場する。

人の本質を見る

序盤はたしかに、ミュージカル映画特有のもたもたした感じがあるが、映画の焦点が多様性の部分に定まるとどんどん面白くなっていく。

映画の軸にあるのは古臭いステレオタイプと新しい価値観の対立だ。古い価値感を象徴するのが「コニー・コリンズ・ショー」を牛耳るベルマや、トレイシーの親友ペニーの母。彼女たちは今で言えば差別主義者だが、50年代までならごく当たり前の考え方の持ち主だった。

TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.

60年代に入り、価値観が変化を始め、特に若い世代は多様性を受け入れるようになる。なぜそうなったのか、この映画が描くのはそのことだ。

トレイシーは映画のはじめから柔軟な考えの持ち主だ。そんな彼女が大好きなダンスを通して、黒人たちと出会う。彼女は「コニー・コリンズ・ショー」が大好きで、その中で月に1回放送される「ブラック・デー」も大好きだったので、黒人たちにも偏見がないのだ。

彼女に引っ張られるように、周りの若者たちも偏見という色眼鏡を捨てて、相手の本質を見るようになる。本質を見れば、問題になるのは人種や性別や年齢や海藻ではなく、人間性だけだ。本質を掴んだ若者たちは、若者らしいひたむきさで新しい道を突き進み、時代に取り残された大人たちを唖然とさせる。これがひたすら痛快なのだ。

価値観が変わる時代にあって、変化を望む人のほうが魅力的であるのに、力を持っているのは変わることを望まない者たちである。その壁を突き破る若者たちを描いたこの映画は面白くないわけがないのだ。

TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.

音楽が黒人たちを解放した

映画の本筋はそんな青春と価値観の変化を描いたものだが、#BlackLivesMatter にからめてもう少し考えたことを書きたい。

この映画はミュージカル映画なので、音楽に注目すると、一番素晴らしいと感じたのはクイーン・ラティファだ。クイーン・ラティファといえば女性ヒップホップ歌手の先駆けの一人、グラミー賞も受賞している一流アーティスト。

そんな彼女だからもちろん歌の迫力は素晴らしいし、楽曲も踊りも本当に楽しい。今ではごく普通のポップミュージックと感じられる曲たちが当時は「黒人音楽」と呼ばれていたんだなという感慨もある。

TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.

黒人たちの長い長い差別との戦いにおいて、音楽は非常に重要な役割を果たしてきた。大げさに言えば、彼らより先に音楽が白人社会に受け入れられ、ブラックカルチャーを浸透させていったとも言えるかもしれない。

『それでも夜は明ける』で描かれたような奴隷制時代の黒人ミュージシャンに始まり、ジャズ、ブルース、R&B、ファンク、ソウル、ヒップホップと次々に大衆文化に取り入れられていった。

クイーン・ラティファの存在意義

この映画の舞台である1960年代に流行ったのはR&Bで、白人によるR&Bは「ブルー・アイド・ソウル」と呼ばれて大流行した(はず)。メインストリームの若者たちはマイノリティの文化を積極的に受け入れて自分たちの文化の一部にしていった。その中でその文化の担い手であるマイノリティたちも受け入れていったのだ。同じものを「いい」と思う共通の価値観の持ち主なのだから、共感し受け入れるのは容易いことなのだから。

クイーン・ラティファもその文脈の中にいる。クイーン・ラティファはヒップホップがポピュラーに受け入れた1990年前後の時代、女性ラッパーの第一人者だった。今やメインストリームにあるヒップホップの大衆化に一役買っていたわけだ。

だから、そんな彼女が、公民権運動時代の黒人ミュージシャンを演じるということに強いメッセージを感じる。彼女のようなミュージシャンたちが社会をいい法に変えてきたのだ。

黒人差別の歴史を見ると、公民権運動のような社会運動に目が行きがちだけれど、実際に人々の差別意識を変えていっているのは、音楽に代表されるカルチャーであり、社会運動はそれをかたちにするための動きなのかもしれない。

そんな事をミュージカル映画を見ながら考えた。

『ヘアスプレー』
監督:アダム・シャンクマン
脚本:レスリー・ディクソン
撮影:ボジャン・バゼリ
音楽:マーク・シャイマン
出演:ニッキー・ブロンスキー、ジョン・トラボルタ、アマンダ・パインズ、クリストファー・ウォーケン、ザック・エフロン、クイーン・ラティファ

https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/01/harispray_01_large.jpg?fit=500%2C333&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/01/harispray_01_large.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraFeaturedMovieBlackLivesMatter,ミュージカル
TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved. 2007年に製作されヒットしたミュージカル映画。映画の序盤はミュージカル映画らしいゆっくりとした滑り出し。1962年、ボルチモアの太めの高校生トレイシーが家から学校に行くまでの道のりで時代背景や自分の夢を歌に乗せて紹介する。 トレイシーの夢は夕方4時からの人気ローカル番組「コニー・コリンズ・ショー」に出演し、憧れのリンクと踊ること。ある日、番組のオーディションがあると聞いたトレイシーは両親に相談するが、母親のエドナは反対、それでも父親の応援でオーディションを受けることにする。 しかし、番組を牛耳る元ミスボルチモアのベルマは古臭い価値観の持ち主で「チビでデブ」のトレイシーを鼻にもかけない上、月に一度の「ブラック・デー」も廃止しようとしていた。 公民権運動が盛り上がりを見せる1960年代の高校生の姿を描いた青春ミュージカルで、原案はジョン・ウォーターズによる1988年の同名映画。この作品がブロードウェイミュージカルとなり、このミュージカルが映画化されたのがこの作品(なので、88年作品はミュージカルではない)。ちなみに、映画の冒頭、露出狂役でジョン・ウォーターズが登場する。 人の本質を見る 序盤はたしかに、ミュージカル映画特有のもたもたした感じがあるが、映画の焦点が多様性の部分に定まるとどんどん面白くなっていく。 映画の軸にあるのは古臭いステレオタイプと新しい価値観の対立だ。古い価値感を象徴するのが「コニー・コリンズ・ショー」を牛耳るベルマや、トレイシーの親友ペニーの母。彼女たちは今で言えば差別主義者だが、50年代までならごく当たり前の考え方の持ち主だった。 TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved. 60年代に入り、価値観が変化を始め、特に若い世代は多様性を受け入れるようになる。なぜそうなったのか、この映画が描くのはそのことだ。 トレイシーは映画のはじめから柔軟な考えの持ち主だ。そんな彼女が大好きなダンスを通して、黒人たちと出会う。彼女は「コニー・コリンズ・ショー」が大好きで、その中で月に1回放送される「ブラック・デー」も大好きだったので、黒人たちにも偏見がないのだ。 彼女に引っ張られるように、周りの若者たちも偏見という色眼鏡を捨てて、相手の本質を見るようになる。本質を見れば、問題になるのは人種や性別や年齢や海藻ではなく、人間性だけだ。本質を掴んだ若者たちは、若者らしいひたむきさで新しい道を突き進み、時代に取り残された大人たちを唖然とさせる。これがひたすら痛快なのだ。 価値観が変わる時代にあって、変化を望む人のほうが魅力的であるのに、力を持っているのは変わることを望まない者たちである。その壁を突き破る若者たちを描いたこの映画は面白くないわけがないのだ。 TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved. 音楽が黒人たちを解放した 映画の本筋はそんな青春と価値観の変化を描いたものだが、#BlackLivesMatter にからめてもう少し考えたことを書きたい。 この映画はミュージカル映画なので、音楽に注目すると、一番素晴らしいと感じたのはクイーン・ラティファだ。クイーン・ラティファといえば女性ヒップホップ歌手の先駆けの一人、グラミー賞も受賞している一流アーティスト。 そんな彼女だからもちろん歌の迫力は素晴らしいし、楽曲も踊りも本当に楽しい。今ではごく普通のポップミュージックと感じられる曲たちが当時は「黒人音楽」と呼ばれていたんだなという感慨もある。 TM & (C) MMVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved. 黒人たちの長い長い差別との戦いにおいて、音楽は非常に重要な役割を果たしてきた。大げさに言えば、彼らより先に音楽が白人社会に受け入れられ、ブラックカルチャーを浸透させていったとも言えるかもしれない。 『それでも夜は明ける』で描かれたような奴隷制時代の黒人ミュージシャンに始まり、ジャズ、ブルース、R&B、ファンク、ソウル、ヒップホップと次々に大衆文化に取り入れられていった。 クイーン・ラティファの存在意義 この映画の舞台である1960年代に流行ったのはR&Bで、白人によるR&Bは「ブルー・アイド・ソウル」と呼ばれて大流行した(はず)。メインストリームの若者たちはマイノリティの文化を積極的に受け入れて自分たちの文化の一部にしていった。その中でその文化の担い手であるマイノリティたちも受け入れていったのだ。同じものを「いい」と思う共通の価値観の持ち主なのだから、共感し受け入れるのは容易いことなのだから。 クイーン・ラティファもその文脈の中にいる。クイーン・ラティファはヒップホップがポピュラーに受け入れた1990年前後の時代、女性ラッパーの第一人者だった。今やメインストリームにあるヒップホップの大衆化に一役買っていたわけだ。 だから、そんな彼女が、公民権運動時代の黒人ミュージシャンを演じるということに強いメッセージを感じる。彼女のようなミュージシャンたちが社会をいい法に変えてきたのだ。 黒人差別の歴史を見ると、公民権運動のような社会運動に目が行きがちだけれど、実際に人々の差別意識を変えていっているのは、音楽に代表されるカルチャーであり、社会運動はそれをかたちにするための動きなのかもしれない。 そんな事をミュージカル映画を見ながら考えた。 https://youtu.be/YkGY5EzA-h4 『ヘアスプレー』監督:アダム・シャンクマン脚本:レスリー・ディクソン撮影:ボジャン・バゼリ音楽:マーク・シャイマン出演:ニッキー・ブロンスキー、ジョン・トラボルタ、アマンダ・パインズ、クリストファー・ウォーケン、ザック・エフロン、クイーン・ラティファ https://socine.info/2020/06/15/blacklivesmatter/ https://eigablog.com/vod/movie/hairspray/
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