アメリカが広島でやったこと、その真実を暴く『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝』
肥田舜太郎医師は広島に原爆が落とされた時、陸軍の軍医として広島の部隊に配属されていた。直接的に原爆の爆風は浴びなかったものの、原爆投下直後には爆心地近くに入り、その後も爆心地から数キロの小学校で医療活動にあたった。
肥田医師は終戦直後から被爆者の症状に疑問を持ち、内部被曝について研究を続けながら、埼玉県に被爆者のための病院を設立、治療にあたってきた。
原爆の影響を調査するのは、アメリカが終戦直後に広島に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)。そこでは治療は行われず、調査内容もずっと公開されなかった。肥田医師は内部被曝の恐ろしさ訴え、核兵器だけでなく原発にも反対する運動を続ける。
アメリカが隠した被曝被害の真実
冒頭の肥田医師の被爆直後の描写にまず衝撃を受ける。そして、そのような状況であるにも関わらず、 原爆傷害調査委員会(ABCC) は被爆者の治療は行わずに調査をするだけ、そしてその調査結果はアメリカ本国に送り、日本の医師たちには提供されなかったという事実に怒りを覚えてしまう。
肥田医師は、その歴史的事実の数少ない(もしかしたら唯一の)証言者として隠された事実を語る。現場で必死にあたった医師たちが遭遇した未知の症状、止められない死。しかし国内での研究発表は禁止され、ABCCは情報を隠す。肥田医師は原爆投下はアメリカによる放射線の人への影響を調べる人体実験であったという結論を下す。
肥田医師が事実を知ったのは約30年後、アメリカの研究者スタングラス博士が低線量被曝について書いた本によってだった。映画ではそのスタングラス博士にインタビューを行う。スタングラス医師もABCCの嘘や隠蔽を糾弾し、それが現在の原発による健康被害につながっていると主張する。原発が稼働している間、周辺地域ではがん患者が急増するというのだ。
慣れ親しんだ嘘の怖さ
この映画が作られたのは2006年だが、ここで語られる事実が今も衝撃的であることに私は危機感を覚えた。
映画の中に、修学旅行生がABCCの跡を訪れるのを眺めながら肥田医師が「ここで正義が行われたと教わる」と語るシーンがある。私たちはいまだにABCCがやったことを知らされておらず、むしろ嘘を教えられているのだ。その嘘を信じて私たちは真実から目を背ける。
だから私たちは原発の危険性も信じないし、福島の原発事故も健康に直ちに影響はないと信じるし、すぐに原発を全部なくそうという意見に眉をひそめる。
もちろんそうでない人もいるし、その割合は増えているだろう。でも、何十年もかけて固められた嘘は強固でかんたんにマジョリティをひっくり返すことはできない。
そして私たちは忘れてしまう。明かされた真実を忘れて慣れ親しんだ嘘に戻ってしまう。だから、この映画で語られる事実に繰り返し衝撃を受けるのだ。
肥田医師は100年の生涯をかけて、内部被曝の恐ろしさ、核兵器の廃絶の必要、原発の健康への危険を訴えかけてきた。この映画はその訴えを記録し、私たちに投げかける。私たちも繰り返しその声に耳を傾け、何が嘘で何が本当かを何度も何度も自分に問いかけなければいけない。
『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝』
2006年/フランス/53分
監督・脚本・撮影:マーク・プティジャン
日本版ナレーション:染谷将太
2011年の福島第一原発事故を受けてこの作品を保管する『311以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』が作られた。
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