パトリシオ・グスマン監督は1975年から78年にかけて『チリの戦い』という3部構成の政治ドキュメンタリーを手掛けた映画監督です。こちらの『光のノスタルジア』は歴史もモチーフにしながら、監督が興味を持つ宇宙をテーマに「過去」という題材を描いた作品。
映像の美しさに浸りながら遠くへ思いを馳せるとなにか見えてくるものがあるかもしれません。
UPLINK Cloudの動画はこちら。
2つの美しい過去
チリのアタカマ砂漠には天体観測所があり、世界中から天文学者が集まってきます。また、先コロンブス期の岩絵などの考古資料を求めて考古学者もやってきます。
ナレーションは天文学を過去についての学問だと話す。なぜなら、今我々が見ている星の光は何万年、下手すると何億年も前に発せられたものだからです。それは、天文学も考古学も同じ過去を扱う学問なのだということ。
だからといってここで何かが明らかになるわけではありません。天文学者や考古学者に、天文学とは、考古学とはという話を聞くだけ。でも、映像は美しいです。何よりも美しいのは天体望遠鏡で観察した銀河の映像ですが、アタカマ砂漠の風景も美しいし、岩絵もまた美しい。終盤に登場する昔の人達が集めてきたという石もまた美しいのです。
でも小さい画面で見ていると眠くなってきます。美しい映像は大きなスクリーンで見ると全体が迫ってくる感じがあって受け入れるだけで済むんだけれど、小さな画面で見ると注意深く画面を見て鑑賞しなければいけなくなってしまう。だから疲れるし眠くなります。
残虐なもう1つの過去
でもこれは美しいだけの映画ではありません。途中から歴史の要素が加えられます。それがもう一つの過去、ピノチェト政権による虐殺です。
このアタカマ砂漠には、ピノチェト政権によって政治犯として捉えられ虐殺された人々の遺体が埋められていて、今も行方不明になった肉親の遺骨を探している人達がいるのです。そのほとんどは女性で、彼女たちは当てもなく砂漠を掘り返して遺骨を探します。見つかるあてもないのに。
天文学者と考古学者と遺族たちに共通するのは過去の謎を解こうとしているということ。その意味はぜんぜん違うけれど、過去を解くことが今の自分にとって重要だという点では同じなのです。
交わらないように思える、天文学と虐殺の話ですが、最後にこれがつながります。天文学者の一人が幼い頃に両親が行方不明になっていたのです。彼女は祖父母に育てられ天文学者になりました。そこには両親に起きたことが少なからず影響しています。
このことから感じるのは過去の大事さ。みんな過去を思い出として忘れないようにしているということです。遺骨を探す家族も過去を忘れないために、大切な家族を存在し続けさせるために遺骨を探しているのではないか、そう感じられてくるのです。「思い出さなければ過去はなくなってしまう」というような言葉もあった気がします。
でも、光としてずっと存在し続ける星々の時間のことを考えると、思い出さなければ過去は失われてしまうというのは疑問に思えます。私たちのところに到達した星の光は過去のものだけれど、それは発されてからここに届くまでずっと存在し続けたわけだしこれからも存在し続けるのです。それなら私たちの過去もずっと存在し続けるのではないでしょうか。
映画の主題から離れてしまいましたが、時間と存在の関係というのは不思議なもので、われわれは現在しか認識できないために過去を失われたものと考えるけれど、認識できないだけで過去は存在し続けているのではないか、今存在しているかわからない遠い銀河の美しい映像を見ながらそんな事を考えました。
結びまでとらえどころがなくてすみませんが、これはそんな映画なのです。
『光のノスタルジア』
2010年/フランス=ドイツ=チリ/90分
監督・脚本:パトリシオ・グスマン
撮影:カテル・ジアン
天文写真:スタファン・ガイザード
https://socine.info/2020/04/16/nostalgia-dela-lus/https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/04/nostalgia_main.jpg?fit=1024%2C576&ssl=1https://i0.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/04/nostalgia_main.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVODチリ,ドキュメンタリー映画(c) Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010
パトリシオ・グスマン監督は1975年から78年にかけて『チリの戦い』という3部構成の政治ドキュメンタリーを手掛けた映画監督です。こちらの『光のノスタルジア』は歴史もモチーフにしながら、監督が興味を持つ宇宙をテーマに「過去」という題材を描いた作品。
映像の美しさに浸りながら遠くへ思いを馳せるとなにか見えてくるものがあるかもしれません。
UPLINK Cloudの動画はこちら。
2つの美しい過去
チリのアタカマ砂漠には天体観測所があり、世界中から天文学者が集まってきます。また、先コロンブス期の岩絵などの考古資料を求めて考古学者もやってきます。
ナレーションは天文学を過去についての学問だと話す。なぜなら、今我々が見ている星の光は何万年、下手すると何億年も前に発せられたものだからです。それは、天文学も考古学も同じ過去を扱う学問なのだということ。
だからといってここで何かが明らかになるわけではありません。天文学者や考古学者に、天文学とは、考古学とはという話を聞くだけ。でも、映像は美しいです。何よりも美しいのは天体望遠鏡で観察した銀河の映像ですが、アタカマ砂漠の風景も美しいし、岩絵もまた美しい。終盤に登場する昔の人達が集めてきたという石もまた美しいのです。
でも小さい画面で見ていると眠くなってきます。美しい映像は大きなスクリーンで見ると全体が迫ってくる感じがあって受け入れるだけで済むんだけれど、小さな画面で見ると注意深く画面を見て鑑賞しなければいけなくなってしまう。だから疲れるし眠くなります。
(c) Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010
残虐なもう1つの過去
でもこれは美しいだけの映画ではありません。途中から歴史の要素が加えられます。それがもう一つの過去、ピノチェト政権による虐殺です。
このアタカマ砂漠には、ピノチェト政権によって政治犯として捉えられ虐殺された人々の遺体が埋められていて、今も行方不明になった肉親の遺骨を探している人達がいるのです。そのほとんどは女性で、彼女たちは当てもなく砂漠を掘り返して遺骨を探します。見つかるあてもないのに。
(c) Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania), Cronomedia (Chile) 2010
天文学者と考古学者と遺族たちに共通するのは過去の謎を解こうとしているということ。その意味はぜんぜん違うけれど、過去を解くことが今の自分にとって重要だという点では同じなのです。
交わらないように思える、天文学と虐殺の話ですが、最後にこれがつながります。天文学者の一人が幼い頃に両親が行方不明になっていたのです。彼女は祖父母に育てられ天文学者になりました。そこには両親に起きたことが少なからず影響しています。
このことから感じるのは過去の大事さ。みんな過去を思い出として忘れないようにしているということです。遺骨を探す家族も過去を忘れないために、大切な家族を存在し続けさせるために遺骨を探しているのではないか、そう感じられてくるのです。「思い出さなければ過去はなくなってしまう」というような言葉もあった気がします。
でも、光としてずっと存在し続ける星々の時間のことを考えると、思い出さなければ過去は失われてしまうというのは疑問に思えます。私たちのところに到達した星の光は過去のものだけれど、それは発されてからここに届くまでずっと存在し続けたわけだしこれからも存在し続けるのです。それなら私たちの過去もずっと存在し続けるのではないでしょうか。
映画の主題から離れてしまいましたが、時間と存在の関係というのは不思議なもので、われわれは現在しか認識できないために過去を失われたものと考えるけれど、認識できないだけで過去は存在し続けているのではないか、今存在しているかわからない遠い銀河の美しい映像を見ながらそんな事を考えました。
結びまでとらえどころがなくてすみませんが、これはそんな映画なのです。
(c) Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion...
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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