現在「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2017」(以下SSFFA)が開催されています。が、どうせ映画を見るならショートフィルムより長編映画というのが一般的な考え方でしょう。映画ってやっぱり90分とか120分とかあって、それで物語が力を持つし、それによって何かが伝わってくるものだと私も思います。だからなのか、ショートフィルムというと、若手の監督が長編映画を撮る前のステップとして撮ったり、名の知れた監督でもテレビ向けやイベント向けに短いものを撮ったりという印象があることは否めません。

そんな中、今回のSSFFAでも上映される『そうして私たちはプールに金魚を、』という作品がVimeoに無料で上がっていたので観てみました。ちなみにサンダンス映画祭の短編部門グランプリを受賞したそうです。

この作品がなかなかに面白かったので、「映画の長さ」の意味について考えてみました。「ソーシャル」とも関係なさそうでちょっと関係あるかもしれません。

And so we put goldfish in the pool. /そうして私たちはプールに金魚を、   from Koto Production on Vimeo.

ファンタジーのような事実

この映画は2012年に狭山市で、女子中学生4人が学校のプールに400匹もの金魚を放ったという事件を題材にした27分間の作品。一応事件を再現しているわけですが、基本的には少女たちの日常が描かれていて、その最後に事件があるという感じ。映像は細かくチャプターに分かれ、音響や画面に大写しになる文字がリズムを生み、スタイリッシュというよりは「ファンキー」な印象。思春期の少女たちならではの「絶望」をリズムカルに描いています。

彼女たちは狭山というクソみたいな街で生まれ育ち、この街から出ないまま死んでいくんだろうなという予感とともに青春時代を送り、いわばその「絶望」が弾ける形で「事件」を起こす、私にはそう見えました。この青春の感覚というのは多くの人がどこか引っかかるほろ苦い味で、それがこの映画の普遍性なわけですが、同時に金魚をプールに放つというファンタジーのような事実は彼女たちの個性で、どうしてそんなことになったのかという興味がこの映画を引っ張っています。

ショートフィルムである必然

この事件は耳目を集める興味深い事件なわけですが、起こしたのはあくまで平凡な少女たちで、その動機は私たち誰もが経験してきた青春の退屈さであるということを考えると、この事件だけを扱う限り確かに映画の長さは30分くらいの時間になるのだろう、と観終わって思いました。

ただ、同時に27分だからこそこのような作品が作れたとも思いました。それは、この作品の映像的な面白さの部分です。この作品には妄想を描いたり、エキセントリックというかアートな表現というか、説明的ではない映像も多く出てきます。その割合はかなり多いのです。これを長編でやってしまうと、おそらくわけの分からない作品になってしまう。しかし、27分という短さだからこそそれぞれでは意味が理解しづらいそのシーンを上手くつなぎあわせて、観客が理解できる形にまとめることができた、そう思うのです。

「伝わる」映画の長さ

つまり、この作品にとって27分というのが伝わる長さだったのだと思うのです。映画の長さというのは作る前から決まっていることもあるし、決まっていないこともある。この作品がどうだったかはわかりませんが、決まっていなくて撮影をして編集の結果この長さになったのだとしたら才能がある監督なのだと思います。

映画の長さという話で言うと、短編とは対極にある超長編の作品もあります。その多くはドキュメンタリーで、私がよく引き合いに出すフレデリック・ワイズマンにも『臨死』という約6時間の作品があります。ワイズマンという監督は、現場でとにかくたくさん撮影を行い、その素材を自分自身で編集していって作品を仕上げます。映画の長さはその編集の過程で決まり、取材期間の長さや素材の量とは関係がありません。つまり彼にとって映画の長さは自分自身が伝えたいことから必然的に決まるものなのです。

商業用映画だとどうしても、映画館の回転の問題などもあり90分から長くて3時間という制約が課せられることがありますが、ソーシャルシネマではそれを気にせず作れることもあります。超長編映画の名作と言えば、『SHOAH』(570分)や『鉄西区』(545分)が有名で、どちらも社会的な問題を扱った作品です。これだけの長さになるのは、その扱っている題材について伝えるのにそれだけの長さが必要だからなのです。

そう考えると、映画の長さというのは題材とつくり手によって自由なのであり、ショートフィルムであってもその長さで十分に伝えることができるのであればそれはそれで優れた作品なのだということを改めて思いました。

しかし、映画の上映が基本的に2時間とかいう長さを基準に行われているので、ショートフィルムや逆に超長編映画が商業ベースの映画館にかかりにくい、というかほとんどかからないということも事実です。そんな中、そんな短編映画を上映するSSFFAの努力は素晴らしいものだし、この『そして私たちは』のネットで配信するというあり方も、可能性を感じさせるものでした。今回は無料ということで、おそらくこれは短編映画の配給の新しい形としてのネットの可能性を探るものでも有るのかもしれないとも思いました。

探せばネットには、優れた短編映画がたくさん上げられています。私ももう少し注意深く探していって、紹介できればと思っています。

『そうして私たちはプールに金魚を、』
2016年/日本/27分
監督・脚本:長久允
撮影:武田浩明
出演:湯川ひな、松山莉奈、菊池玲那、西本まりん
http://socine.info/wp-content/uploads/2017/06/goldfish1.jpghttp://socine.info/wp-content/uploads/2017/06/goldfish1-300x300.jpgishimuraBlogShort Film映画祭,青春
現在「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2017」(以下SSFFA)が開催されています。が、どうせ映画を見るならショートフィルムより長編映画というのが一般的な考え方でしょう。映画ってやっぱり90分とか120分とかあって、それで物語が力を持つし、それによって何かが伝わってくるものだと私も思います。だからなのか、ショートフィルムというと、若手の監督が長編映画を撮る前のステップとして撮ったり、名の知れた監督でもテレビ向けやイベント向けに短いものを撮ったりという印象があることは否めません。 そんな中、今回のSSFFAでも上映される『そうして私たちはプールに金魚を、』という作品がVimeoに無料で上がっていたので観てみました。ちなみにサンダンス映画祭の短編部門グランプリを受賞したそうです。 この作品がなかなかに面白かったので、「映画の長さ」の意味について考えてみました。「ソーシャル」とも関係なさそうでちょっと関係あるかもしれません。 And so we put goldfish in the pool. /そうして私たちはプールに金魚を、   from Koto Production on Vimeo. ファンタジーのような事実 この映画は2012年に狭山市で、女子中学生4人が学校のプールに400匹もの金魚を放ったという事件を題材にした27分間の作品。一応事件を再現しているわけですが、基本的には少女たちの日常が描かれていて、その最後に事件があるという感じ。映像は細かくチャプターに分かれ、音響や画面に大写しになる文字がリズムを生み、スタイリッシュというよりは「ファンキー」な印象。思春期の少女たちならではの「絶望」をリズムカルに描いています。 彼女たちは狭山というクソみたいな街で生まれ育ち、この街から出ないまま死んでいくんだろうなという予感とともに青春時代を送り、いわばその「絶望」が弾ける形で「事件」を起こす、私にはそう見えました。この青春の感覚というのは多くの人がどこか引っかかるほろ苦い味で、それがこの映画の普遍性なわけですが、同時に金魚をプールに放つというファンタジーのような事実は彼女たちの個性で、どうしてそんなことになったのかという興味がこの映画を引っ張っています。 ショートフィルムである必然 この事件は耳目を集める興味深い事件なわけですが、起こしたのはあくまで平凡な少女たちで、その動機は私たち誰もが経験してきた青春の退屈さであるということを考えると、この事件だけを扱う限り確かに映画の長さは30分くらいの時間になるのだろう、と観終わって思いました。 ただ、同時に27分だからこそこのような作品が作れたとも思いました。それは、この作品の映像的な面白さの部分です。この作品には妄想を描いたり、エキセントリックというかアートな表現というか、説明的ではない映像も多く出てきます。その割合はかなり多いのです。これを長編でやってしまうと、おそらくわけの分からない作品になってしまう。しかし、27分という短さだからこそそれぞれでは意味が理解しづらいそのシーンを上手くつなぎあわせて、観客が理解できる形にまとめることができた、そう思うのです。 「伝わる」映画の長さ つまり、この作品にとって27分というのが伝わる長さだったのだと思うのです。映画の長さというのは作る前から決まっていることもあるし、決まっていないこともある。この作品がどうだったかはわかりませんが、決まっていなくて撮影をして編集の結果この長さになったのだとしたら才能がある監督なのだと思います。 映画の長さという話で言うと、短編とは対極にある超長編の作品もあります。その多くはドキュメンタリーで、私がよく引き合いに出すフレデリック・ワイズマンにも『臨死』という約6時間の作品があります。ワイズマンという監督は、現場でとにかくたくさん撮影を行い、その素材を自分自身で編集していって作品を仕上げます。映画の長さはその編集の過程で決まり、取材期間の長さや素材の量とは関係がありません。つまり彼にとって映画の長さは自分自身が伝えたいことから必然的に決まるものなのです。 商業用映画だとどうしても、映画館の回転の問題などもあり90分から長くて3時間という制約が課せられることがありますが、ソーシャルシネマではそれを気にせず作れることもあります。超長編映画の名作と言えば、『SHOAH』(570分)や『鉄西区』(545分)が有名で、どちらも社会的な問題を扱った作品です。これだけの長さになるのは、その扱っている題材について伝えるのにそれだけの長さが必要だからなのです。 そう考えると、映画の長さというのは題材とつくり手によって自由なのであり、ショートフィルムであってもその長さで十分に伝えることができるのであればそれはそれで優れた作品なのだということを改めて思いました。 しかし、映画の上映が基本的に2時間とかいう長さを基準に行われているので、ショートフィルムや逆に超長編映画が商業ベースの映画館にかかりにくい、というかほとんどかからないということも事実です。そんな中、そんな短編映画を上映するSSFFAの努力は素晴らしいものだし、この『そして私たちは』のネットで配信するというあり方も、可能性を感じさせるものでした。今回は無料ということで、おそらくこれは短編映画の配給の新しい形としてのネットの可能性を探るものでも有るのかもしれないとも思いました。 探せばネットには、優れた短編映画がたくさん上げられています。私ももう少し注意深く探していって、紹介できればと思っています。 『そうして私たちはプールに金魚を、』 2016年/日本/27分 監督・脚本:長久允 撮影:武田浩明 出演:湯川ひな、松山莉奈、菊池玲那、西本まりん