ポツンと島が浮かぶ湖を見下ろす高台に1人暮らす老婆。彼女が暮らした村は湖へと沈み、老婆は「あの子」がそこにいるから私はここを離れないと話す。度々役所におもむき、何某かの要求をする老婆。役人は協力的だが、上の許可を待つしかないというばかりだ。老婆は牛の世話をし、2人分の食事を用意し、ごみ集積場で鏡を拾い、落ちているペットボトルを拾い集める。

じっくりと映される老婆の日常はとても静かだが、悔しさと悪夢と願望が挟み込まれる。実話をもとに、モハッマドレザ・ワタンデュースト監督が、原案、脚本、編集、セット・衣装デザインも手がけた。

美しい風景と歪む時間

全編がイランの田舎の美しい風景で彩られた作品で、徹底した長回しで景色と老婆を淡々と捉え続ける。本当にじっくりとただ美しい風景を見るだけの時間があり、眠気を誘いもするが、ゆっくりとした時間の流れが心地よい。

しかし、ただゆったりとしただけの映画ではない。長回しの1カットで突然老婆が移動していたりして、時間の経過に歪みが生じることがたびたびある。この意味は何かと考えると、とにかく長い時間待ち続けている老婆の焦燥感の現れなのではないかと思う。

老婆は息子が眠る島に渡りたいと願い続けるが、それがなかなか叶えられない。目と鼻の先にあるのに、そこに行くことができない。この映画が表現するのはその焦燥感だ。足も悪く、歩くのも厄介な老婆が、不便な辺鄙な場所で一人暮らしをし、決して楽ではないはずなのに2人分の食事を用意し、悪い足を引きずって歩き回る。

老婆にとって時間などもう問題ではないのかもしれない。息子に会いたいという思い以外、彼女には何の意味もないのだ。

母の無限の愛情

この映画が母の愛情を描いた映画であることは、所々に挟まれる歌からもわかるし、極めつけは牛の親子のシーンだ。老婆は生まれたばかりの子牛を撫で、キスをし、歌で励ます。母親には餌をやり、子牛が立つのを助ける。ここに老婆の子への深い愛情が現れる。

親が子に愛情を抱くのなんて当たり前だと思うけれど、その愛は容易に裏切られる。それも社会によって。特に、この映画でもテーマになっている戦争によって。戦争で息子を失った母親の物語は映画でも小説でも繰り返し描かれてきた。戦争に行かせたくない母親と、戦争に行かせたい国家の対立はいつの時代にも存在する。

この映画を見ながら、今まさにそれが起きているロシアを思う。ロシアがアフガニスタンから撤退した理由の一つは兵士の母親たちによる反対運動だったと言われている。それが今また起ころうとしている。この映画の老婆のように嘆き悲しみながら余生を送らなければならない母親がいなくなるように、早く戦争は終わって欲しい。

『蝶の命は一日限り』
Butterflies Lives Only One Day
2022年/イラン/77分
監督・原案・脚本:モハッマドレザ・ワタンデュースト
脚本:ナヒード・ギガ
撮影:アリ・タレビ
出演:マンザル・ラシュガリ、マルヤム・ロスタミ、ネダ・ハビビ

東京国際映画祭2022『蝶の命は一日限り』

ishimuraMovieイラン
ポツンと島が浮かぶ湖を見下ろす高台に1人暮らす老婆。彼女が暮らした村は湖へと沈み、老婆は「あの子」がそこにいるから私はここを離れないと話す。度々役所におもむき、何某かの要求をする老婆。役人は協力的だが、上の許可を待つしかないというばかりだ。老婆は牛の世話をし、2人分の食事を用意し、ごみ集積場で鏡を拾い、落ちているペットボトルを拾い集める。 じっくりと映される老婆の日常はとても静かだが、悔しさと悪夢と願望が挟み込まれる。実話をもとに、モハッマドレザ・ワタンデュースト監督が、原案、脚本、編集、セット・衣装デザインも手がけた。 美しい風景と歪む時間 全編がイランの田舎の美しい風景で彩られた作品で、徹底した長回しで景色と老婆を淡々と捉え続ける。本当にじっくりとただ美しい風景を見るだけの時間があり、眠気を誘いもするが、ゆっくりとした時間の流れが心地よい。 しかし、ただゆったりとしただけの映画ではない。長回しの1カットで突然老婆が移動していたりして、時間の経過に歪みが生じることがたびたびある。この意味は何かと考えると、とにかく長い時間待ち続けている老婆の焦燥感の現れなのではないかと思う。 老婆は息子が眠る島に渡りたいと願い続けるが、それがなかなか叶えられない。目と鼻の先にあるのに、そこに行くことができない。この映画が表現するのはその焦燥感だ。足も悪く、歩くのも厄介な老婆が、不便な辺鄙な場所で一人暮らしをし、決して楽ではないはずなのに2人分の食事を用意し、悪い足を引きずって歩き回る。 老婆にとって時間などもう問題ではないのかもしれない。息子に会いたいという思い以外、彼女には何の意味もないのだ。 母の無限の愛情 この映画が母の愛情を描いた映画であることは、所々に挟まれる歌からもわかるし、極めつけは牛の親子のシーンだ。老婆は生まれたばかりの子牛を撫で、キスをし、歌で励ます。母親には餌をやり、子牛が立つのを助ける。ここに老婆の子への深い愛情が現れる。 親が子に愛情を抱くのなんて当たり前だと思うけれど、その愛は容易に裏切られる。それも社会によって。特に、この映画でもテーマになっている戦争によって。戦争で息子を失った母親の物語は映画でも小説でも繰り返し描かれてきた。戦争に行かせたくない母親と、戦争に行かせたい国家の対立はいつの時代にも存在する。 この映画を見ながら、今まさにそれが起きているロシアを思う。ロシアがアフガニスタンから撤退した理由の一つは兵士の母親たちによる反対運動だったと言われている。それが今また起ころうとしている。この映画の老婆のように嘆き悲しみながら余生を送らなければならない母親がいなくなるように、早く戦争は終わって欲しい。 『蝶の命は一日限り』Butterflies Lives Only One Day2022年/イラン/77分監督・原案・脚本:モハッマドレザ・ワタンデュースト脚本:ナヒード・ギガ撮影:アリ・タレビ出演:マンザル・ラシュガリ、マルヤム・ロスタミ、ネダ・ハビビ 東京国際映画祭2022『蝶の命は一日限り』
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