老人ホームで暮らす元ヘアドレッサーのパット、紙ナプキンをきれいに畳んで収集することと、介護士に隠れてタバコを吸うことしか楽しみがない彼のもとに、ある日、弁護士が訪ねてくる。
その弁護士は町一番の富豪でかつての顧客だったリタが亡くなり、死化粧をパットに施してほしいという遺言が会ったことを告げに来た。リタがかつて別の美容師に乗り換えたことを根に持つパットは、弁護士を追い返してしまうが、思い直して翌日、町へ向かうことにする。
かつては町の有名人だったゲイの老人が、何年ぶりに町を訪れ彼のことを知っている人知らない人に会い、恋人が眠る墓やかつて馴染みだったゲイバーを訪れる物語。
かつてのゲイへの差別を取り上げながら、ゲイの老人の道行きを普遍的な人生の物語へと消化させたコメディドラマ。ウド・キアーがパットを好演。
LGBTQを超えた普遍のテーマ
主人公がゲイであることで、LGBTQがテーマになりながら、コメディタッチになるというのはよくある話。最初は字幕のオネエ言葉に違和感を覚えたが、物語が進むにつれて、パットのキャラクターとオネエ言葉はあっていることがわかってくる。典型的なゲイもののようでありながら、現代のポリティカル・コレクトネスに気を使い、丁度いい落とし所を見つけ出した映画ということができるだろう。
などという分析をしたが、そんなことはウド・キアーの好演と作品のテーマ性によってどうでも良くなる。この映画はゲイの老人の物語ではあるけれど、それ以上に人生とは何かを問う映画だ。
職人/アーティストとして生きたの一人の人生の物語。ゲイというのは彼が属しているコミュニティの属性に過ぎない。問われているのは人が仕事でどのように評価され、どのように生きたのかだ。
パットは確実な技術とぶれない価値観を持って仕事を全うし、それは人々の心に残っていた。それでいいじゃないか。外見や言動によって誤解されがちだけれど、彼という人間の性質は接した人たちには理解されていたし、それは素晴らしいことだ。という話だ。
もちろん、ゲイであるがゆえに仕事の上でもプライベートでも不当な扱いを受けたこともあった。それはその時代の社会の問題で、それは省みられるべきだ。しかし、この映画が主に問題にしているのはそのことではない。むしろ、そのことを矮小化することで、彼の人生の物語を普遍的なものにしようとしている。ゲイでなくても不当な扱いを受けている人は多い。というか、誰しも不当な扱いを受けたという経験はあるはずだ。
そこから普遍的な問いを投げかけることで、誰もが自分ごととして考えられる物語になるのだ。
求めていたのはPeople
この映画が価値をおいているのは、人との関係だ。さまざまな人と本質的な関係を重ねていくことによってしか人生は豊かにならないと言っているのではないか。ボロい老人ホームでひたすら紙ナプキンを織りながら、隠れてタバコを吸うしか楽しみがなかった老人が、改めて人々と接することでそのことに気づく物語。
パットがゲイバーのダンスフロアで「求めていたのは仲間たち(people)だ」というとき、彼は自分の中に積み重なっていた豊かさに気づき、それを取り戻す。
その「仲間」が指すのはゲイの仲間たちだけでなく、彼が関わったあらゆる人達だ。
そんな事を考えて映画を振り返ってみると、パットは自ら人々との間に壁を作り、自分を孤独に追いやっていたことに気づく。そこにはゲイとして差別してきた歴史もあるだろうが、より強いのは、周囲を自分より下のもととしてみている態度にあるのではないか。老人ホームの彼の行動からはそれが読み取れる。
そんなパットが町に出て若い人たちと接し、自分はもはや町の有名人でもなんでもなく、ただの貧乏で変わり者の老人に過ぎないのだと気づく。それでも彼と対等に接する人々を見てかつての仲間を思い出し、自分が求めていたのは「people」だと気づくのだ。
ここで見えるのは、幸せに暮らすためのコミュニティの捉え方ではないだろうか。パットはずっとゲイコミュニティに属し、その中で生きるのが幸せだと考えていた。しかし実は彼は町というコミュニティに生かされ、充実な人生を送ることができていたのだ。彼は改めてそれに気づいたことで豊かさを取り戻すことができた。そう考えることができるかもしれない。
人間はコミュニティの中で生きるしかないが、自分の属するコミュニティを小さく捉えるか大きく捉えるかで生き方も豊かさも変わってくる。そんな普遍的な問いかけをこの作品はしているのかもしれない。
『スワン・ソング』
Swan Song
2021年/アメリカ/105分
監督:トッド・スティーヴンス
脚本:トッド・スティーヴンス
撮影:ジャクソン・ワーナー・ルイス
音楽:クリス・スティーヴンス
出演:ウド・キアー、ジェニファー・クーリッジ、リンダ・エバンス
https://socine.info/2021/11/10/swansong/ishimuraMovieLGBTQ,東京国際映画祭2021©2021 Swan Song Film LLC
老人ホームで暮らす元ヘアドレッサーのパット、紙ナプキンをきれいに畳んで収集することと、介護士に隠れてタバコを吸うことしか楽しみがない彼のもとに、ある日、弁護士が訪ねてくる。
その弁護士は町一番の富豪でかつての顧客だったリタが亡くなり、死化粧をパットに施してほしいという遺言が会ったことを告げに来た。リタがかつて別の美容師に乗り換えたことを根に持つパットは、弁護士を追い返してしまうが、思い直して翌日、町へ向かうことにする。
かつては町の有名人だったゲイの老人が、何年ぶりに町を訪れ彼のことを知っている人知らない人に会い、恋人が眠る墓やかつて馴染みだったゲイバーを訪れる物語。
かつてのゲイへの差別を取り上げながら、ゲイの老人の道行きを普遍的な人生の物語へと消化させたコメディドラマ。ウド・キアーがパットを好演。
LGBTQを超えた普遍のテーマ
主人公がゲイであることで、LGBTQがテーマになりながら、コメディタッチになるというのはよくある話。最初は字幕のオネエ言葉に違和感を覚えたが、物語が進むにつれて、パットのキャラクターとオネエ言葉はあっていることがわかってくる。典型的なゲイもののようでありながら、現代のポリティカル・コレクトネスに気を使い、丁度いい落とし所を見つけ出した映画ということができるだろう。
などという分析をしたが、そんなことはウド・キアーの好演と作品のテーマ性によってどうでも良くなる。この映画はゲイの老人の物語ではあるけれど、それ以上に人生とは何かを問う映画だ。
©2021 Swan Song Film LLC
職人/アーティストとして生きたの一人の人生の物語。ゲイというのは彼が属しているコミュニティの属性に過ぎない。問われているのは人が仕事でどのように評価され、どのように生きたのかだ。
パットは確実な技術とぶれない価値観を持って仕事を全うし、それは人々の心に残っていた。それでいいじゃないか。外見や言動によって誤解されがちだけれど、彼という人間の性質は接した人たちには理解されていたし、それは素晴らしいことだ。という話だ。
もちろん、ゲイであるがゆえに仕事の上でもプライベートでも不当な扱いを受けたこともあった。それはその時代の社会の問題で、それは省みられるべきだ。しかし、この映画が主に問題にしているのはそのことではない。むしろ、そのことを矮小化することで、彼の人生の物語を普遍的なものにしようとしている。ゲイでなくても不当な扱いを受けている人は多い。というか、誰しも不当な扱いを受けたという経験はあるはずだ。
そこから普遍的な問いを投げかけることで、誰もが自分ごととして考えられる物語になるのだ。
求めていたのはPeople
この映画が価値をおいているのは、人との関係だ。さまざまな人と本質的な関係を重ねていくことによってしか人生は豊かにならないと言っているのではないか。ボロい老人ホームでひたすら紙ナプキンを織りながら、隠れてタバコを吸うしか楽しみがなかった老人が、改めて人々と接することでそのことに気づく物語。
パットがゲイバーのダンスフロアで「求めていたのは仲間たち(people)だ」というとき、彼は自分の中に積み重なっていた豊かさに気づき、それを取り戻す。
©2021 Swan Song Film LLC
その「仲間」が指すのはゲイの仲間たちだけでなく、彼が関わったあらゆる人達だ。
そんな事を考えて映画を振り返ってみると、パットは自ら人々との間に壁を作り、自分を孤独に追いやっていたことに気づく。そこにはゲイとして差別してきた歴史もあるだろうが、より強いのは、周囲を自分より下のもととしてみている態度にあるのではないか。老人ホームの彼の行動からはそれが読み取れる。
そんなパットが町に出て若い人たちと接し、自分はもはや町の有名人でもなんでもなく、ただの貧乏で変わり者の老人に過ぎないのだと気づく。それでも彼と対等に接する人々を見てかつての仲間を思い出し、自分が求めていたのは「people」だと気づくのだ。
ここで見えるのは、幸せに暮らすためのコミュニティの捉え方ではないだろうか。パットはずっとゲイコミュニティに属し、その中で生きるのが幸せだと考えていた。しかし実は彼は町というコミュニティに生かされ、充実な人生を送ることができていたのだ。彼は改めてそれに気づいたことで豊かさを取り戻すことができた。そう考えることができるかもしれない。
人間はコミュニティの中で生きるしかないが、自分の属するコミュニティを小さく捉えるか大きく捉えるかで生き方も豊かさも変わってくる。そんな普遍的な問いかけをこの作品はしているのかもしれない。
https://youtu.be/YOUsSIzlRVQ
『スワン・ソング』Swan Song2021年/アメリカ/105分監督:トッド・スティーヴンス脚本:トッド・スティーヴンス撮影:ジャクソン・ワーナー・ルイス音楽:クリス・スティーヴンス出演:ウド・キアー、ジェニファー・クーリッジ、リンダ・エバンス
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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