トランスジェンダーのライラは深夜に知らない男の訪問を受け恐怖を感じる、一緒に暮らすローシュニと不動産屋に文句をつけるが、逆に部屋を追い出されてしまう。留守にしている友人の家に暮らしながら部屋を探すふたりだが、なかなか見つからない。ライラはカウンセラー、ローシュニは金持ちの家で料理人として真っ当に働くが、人々の目には偏見が残っているのだ。

多様な人々が集まった創作集団エクタラ・コレクティブの第2作。性的マイノリティーへの差別という世界的な問題に、インドならではの伝統や階級差別の問題を絡めてインドの現在を描いた。

ただ普通に女性として生きたい

ライラとローシュニは、いきなり夜男が訪ねてくるだけでなく、不動産屋に根掘り葉掘り質問をされたり、ことあるごとにトランスジェンダーであることを思い知らされる生き方をせざるをえないが、彼女たちを見ていると、本当はただ普通に女性として生きたいだけだということがわかってくる。

インドでトランスジェンダーといえば、二人が参加したシンポジウムで質問が投げかけられるように、子供が生まれたときなどに歌や踊りで祝福する「ヒジュラ」が昔からいる。ヒジュラは厳密には両性具有をさすが、女装した男性も含む概念で、トランスジェンダーが含まれることも多い。特に都市では、売春を生業にしているヒジュラが多く、トランスジェンダー=売春婦/男娼とみられることもあるという。

そんなインドならではのトランスジェンダーに対する偏見が、彼女たちの生きづらさを助長する。二人は伝統的な意味でのヒジュラではなく、現代的な意味でのトランスジェンダーで、男性の体に生まれた女性だと思われる。本来はそんな区別は意味がないのだが、インドではそれが意味を持たざるをえない。

それは二人が参加する現代的な意味での多様性を考えるシンポジウムで、ヒジュラを念頭に置いた質問が出てくることからもわかるし、偏見がいかに根強いものかということがここで強調されていると言える。不動産屋の質問もヒジュラを念頭に置いてものだろう。

彼女たちはそんな偏見を振り払い続けなければならない。それは想像を絶するほと大変なことだろう。

新たな仲間と新しい社会

そんな二人だが、この映画は希望の映画だ。偏見に満ちた社会の中でも二人の周りには少しずつ仲間が集まってくる。最初はライラがトイレでポーチを拾ったプリティ、彼女は実はライラの昔からの知り合いだと後に明らかになる。彼女は結婚が嫌で村を飛び出し都会に出てきた「問題児」だった。そのプリティの友達も性的マイノリティーらしい。

さらにシンポジウムで知り合った女性が連れてきたのも性的マイノリティーらしき男性だ。彼女たちはある意味、伝統的な社会からドロップ・アウトした人々だ。

インドの伝統的な社会といえばカースト社会、生まれながらに身分が決められ、それが厳密に運用される社会だった。カースト差別は禁止されたが、その伝統は根深く残っている(ローシュニのカーストに関するエピソードが終盤にちらりと出てきてそのことが示唆される)。ヒジュラは昔からその社会の外側(アウト・カースト)の存在と考えられていたが、彼女たちも伝統的な社会に外に存在する。

ただ、ヒジュラと違うのは、彼女たちは新しい社会、平等な社会に生きようとしている点だ。そして、その社会は伝統的な社会と重なり合うように存在する。伝統的な社会には偏見を持つ続ける人もいるが、偏見を持たない新しい社会で生きる人達もいる。ローシュニの友達のドライバーや、ライラの同僚たちがそうだ。

そして、その新しい社会が少しずつ広がってきているようにみえるのが、この映画が描く希望だ。

映画の最後、ようやく見つけた新居で近所の人たちがもれなく二人に「ここで何をするの?」と聞いてくる。これは彼女たちが「ヒジュラ」として暮らすのかという疑念の現れだが、彼女たちはそれに「あなたたちと同じこと」と答える。それは彼女たちがヒジュラではなくただのトランスジェンダーの女性であることの表明だ。トランスジェンダーだけど、あなた達と同じただの女ですよと伝えているのだ。

近所の人達はそれを受け入れて「何かあったら私に言って」と答える。それが心からの言葉ならば、ここにも希望がある。伝統的な社会と新しい社会は併存し、新しい社会が存在を認められているのだから。

この映画を見て改めて、映画というのは世界中の「今」を知ることができる重要なメディアだということがわかった。フィクションではあるが、ニュースなどでは伝えられることのない、市井の人々のリアルが描かれているのだ。映画には計り知れない可能性がある。

『私たちの場所』
A Place of Our Own
2022年/インド/91分
監督:エクタラ・コレクティブ
脚本:リンチン、マーヒーン・ミルザー
撮影:マーヒーン・ミルザー
出演:マニーシャー・ソーニー、ムスカーン、アーカーシュ・ジャムラー

東京国際映画祭『私たちの場所』

https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/10/Place_of_O_main.jpg?fit=1024%2C541&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2022/10/Place_of_O_main.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieLGBTQ,インド
トランスジェンダーのライラは深夜に知らない男の訪問を受け恐怖を感じる、一緒に暮らすローシュニと不動産屋に文句をつけるが、逆に部屋を追い出されてしまう。留守にしている友人の家に暮らしながら部屋を探すふたりだが、なかなか見つからない。ライラはカウンセラー、ローシュニは金持ちの家で料理人として真っ当に働くが、人々の目には偏見が残っているのだ。 多様な人々が集まった創作集団エクタラ・コレクティブの第2作。性的マイノリティーへの差別という世界的な問題に、インドならではの伝統や階級差別の問題を絡めてインドの現在を描いた。 ただ普通に女性として生きたい ライラとローシュニは、いきなり夜男が訪ねてくるだけでなく、不動産屋に根掘り葉掘り質問をされたり、ことあるごとにトランスジェンダーであることを思い知らされる生き方をせざるをえないが、彼女たちを見ていると、本当はただ普通に女性として生きたいだけだということがわかってくる。 インドでトランスジェンダーといえば、二人が参加したシンポジウムで質問が投げかけられるように、子供が生まれたときなどに歌や踊りで祝福する「ヒジュラ」が昔からいる。ヒジュラは厳密には両性具有をさすが、女装した男性も含む概念で、トランスジェンダーが含まれることも多い。特に都市では、売春を生業にしているヒジュラが多く、トランスジェンダー=売春婦/男娼とみられることもあるという。 そんなインドならではのトランスジェンダーに対する偏見が、彼女たちの生きづらさを助長する。二人は伝統的な意味でのヒジュラではなく、現代的な意味でのトランスジェンダーで、男性の体に生まれた女性だと思われる。本来はそんな区別は意味がないのだが、インドではそれが意味を持たざるをえない。 それは二人が参加する現代的な意味での多様性を考えるシンポジウムで、ヒジュラを念頭に置いた質問が出てくることからもわかるし、偏見がいかに根強いものかということがここで強調されていると言える。不動産屋の質問もヒジュラを念頭に置いてものだろう。 彼女たちはそんな偏見を振り払い続けなければならない。それは想像を絶するほと大変なことだろう。 新たな仲間と新しい社会 そんな二人だが、この映画は希望の映画だ。偏見に満ちた社会の中でも二人の周りには少しずつ仲間が集まってくる。最初はライラがトイレでポーチを拾ったプリティ、彼女は実はライラの昔からの知り合いだと後に明らかになる。彼女は結婚が嫌で村を飛び出し都会に出てきた「問題児」だった。そのプリティの友達も性的マイノリティーらしい。 さらにシンポジウムで知り合った女性が連れてきたのも性的マイノリティーらしき男性だ。彼女たちはある意味、伝統的な社会からドロップ・アウトした人々だ。 インドの伝統的な社会といえばカースト社会、生まれながらに身分が決められ、それが厳密に運用される社会だった。カースト差別は禁止されたが、その伝統は根深く残っている(ローシュニのカーストに関するエピソードが終盤にちらりと出てきてそのことが示唆される)。ヒジュラは昔からその社会の外側(アウト・カースト)の存在と考えられていたが、彼女たちも伝統的な社会に外に存在する。 ただ、ヒジュラと違うのは、彼女たちは新しい社会、平等な社会に生きようとしている点だ。そして、その社会は伝統的な社会と重なり合うように存在する。伝統的な社会には偏見を持つ続ける人もいるが、偏見を持たない新しい社会で生きる人達もいる。ローシュニの友達のドライバーや、ライラの同僚たちがそうだ。 そして、その新しい社会が少しずつ広がってきているようにみえるのが、この映画が描く希望だ。 映画の最後、ようやく見つけた新居で近所の人たちがもれなく二人に「ここで何をするの?」と聞いてくる。これは彼女たちが「ヒジュラ」として暮らすのかという疑念の現れだが、彼女たちはそれに「あなたたちと同じこと」と答える。それは彼女たちがヒジュラではなくただのトランスジェンダーの女性であることの表明だ。トランスジェンダーだけど、あなた達と同じただの女ですよと伝えているのだ。 近所の人達はそれを受け入れて「何かあったら私に言って」と答える。それが心からの言葉ならば、ここにも希望がある。伝統的な社会と新しい社会は併存し、新しい社会が存在を認められているのだから。 この映画を見て改めて、映画というのは世界中の「今」を知ることができる重要なメディアだということがわかった。フィクションではあるが、ニュースなどでは伝えられることのない、市井の人々のリアルが描かれているのだ。映画には計り知れない可能性がある。 『私たちの場所』A Place of Our Own2022年/インド/91分監督:エクタラ・コレクティブ脚本:リンチン、マーヒーン・ミルザー撮影:マーヒーン・ミルザー出演:マニーシャー・ソーニー、ムスカーン、アーカーシュ・ジャムラー 東京国際映画祭『私たちの場所』
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