夫の誕生日パーティーの準備をする手話通訳者のヴェラのもとに、不動産業者から田舎の家が売れそうだという連絡が来る。ヴェラは夫にそのことを伝え、売れたら娘にアパートを買ったり家具を新しくしたいという夢を語るが、夫は曇った顔をして何も答えない。ヴェラが近所の店に買い物に行き、帰ると夫は浴室で自殺していた。
夫の葬式のあと、ヴェラは夫と親しくしていたいとこに「家を譲る約束をしていた」と聞かされる。
コソボの女性監督カルトリナ・クラスニチのデビュー作。長い戦争と混乱の時期を経てきたコソボ社会をサスペンスフルに描く。
男尊女卑社会に挑む
この映画は、死んだ夫の家をめぐる物語で、映画の途中でその原因に夫がギャンブルで作った借金があるとわかり、その中でヴェラが自分と娘と孫のために奮闘するという物語だ。
この背景にあるのは、男尊女卑な社会のあり方で、男たちは観客から見れば明らかに理があるヴェラを当然のように否定し、力で抑え込もうとする。
ヴェラは夫からドメスティック・バイオレンスを受けてきた過去があることも語られるし、そのような時代にはヴェラも夫に黙従してきたこともわかる。
その中でヴェラは娘と孫娘のために立ち上がる。
それでヴェラが男たちを打ち負かす物語になればいいのだけれど、現実はそんなにかんたんではない。男たちは暴力によってヴェラを服従させようとし、ヴェラは打ち砕かれる。
そんな重苦しい物語だ。
夢が象徴する自由と抑圧
その中で、タイトルにもなっているヴェラの「夢」は何を意味しているのか。作中でも、ヴェラが海の夢を見てはっと目が覚めるシーンが何度か出てくる。それは決して幸せな夢のようには見えないが、でも開放され自由であるようにも見える。
ビーチでカクテルを飲むという夢を語ることから考えても、ヴェラにとって海は自由の象徴であるのだろう。その夢が幸せそうに見えないというのは、ヴェラが自由を恐れていることを意味する。抑圧されてきた人特有の自由への恐怖、それをこの映画は描こうとしたのではないか。
ヴェラはその恐怖を克服し、自由を手にすることができるのか。その成否の鍵となるのは娘だ。父親の呪縛から先に逃れ、自由に生きることを選んだ娘、ヴェラと比べると貧しく不自由な生活を送って入るが、精神的には自由な娘、その娘に導かれてヴェラは自由を手にすることができるのか。
ネタバレにはなるが、ラストシーンが海のシーンなのが非常に印象的だ。ヴェラはついに実際に海に行き、自由を味わうことができた。そしてそこで幸せも感じたように映像からは見えた。
平和な社会では女性が強くなるべき
この映画を見て考えたのは、平和な社会においては女性が力を持つべきなのではないかということだ。
暴力が支配的な社会においては男性が力を持つのは仕方がない。だから戦いによって社会が支配権を争った時代には、男尊女卑の社会ができあがった。
しかし、社会が平和になった今でもその構造を維持していることによって様々な歪が生じている。論理は飛躍するが、力による支配を是とする男性に平和な社会を運営する能力はないのではないか。平和な社会においては、力ではない別の論理によって社会を統べる必要があるから、別の価値観を持つ人々が力を保つ必要がある。
それが女性なのだ。もちろんこれは生物学的な性別の話ではなく、男尊女卑社会において「女性的」とか「女々しい」と言われた価値観を持つ多くの人々のことを指す。男性社会的価値観のカウンターとしての女性的価値観を持つ人々、そんな人達に未来を託すべきだというのがこの映画のメッセージなのではないか。
ヴェラは男尊女卑の価値観を植え付けられた女性だったが、社会の変化に伴って女性的な価値観を開放した。それが海の夢にあらわれていたのだ。
だからこの映画はヴェラを通して社会全体が価値観や社会構造を転換するべきときに来ていることを語ったものだということができる。女性監督がそれを描き、国外で評価されることはコソボの未来への希望になる。
戦後75年が経っても男尊女卑の価値観から抜け出せない人々にあふれる日本から偉そうに言えることではないが。
『ヴェラは海の夢を見る』
Vera Andrron Detin
2021年/コソボ=北マケドニア=アルバニア/2021年
監督:カルトリナ・クラスニチ
脚本:ドルンティナ・バーシャ
撮影:セフディージェ・カストラティ
音楽:ペトリ・チェク、ゲンク・サリフ
出演:テウタ・アイディニ・イェゲニ、アルケタ・スラ、アストリッド・カバシ
https://socine.info/2021/11/09/vera/https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/11/vera_1.jpg?fit=1024%2C554&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2021/11/vera_1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovie女性映画,東京国際映画祭2021© Copyright 2020 PUNTORIA KREATIVE ISSTRA | ISSTRA CREATIVE FACTORY
夫の誕生日パーティーの準備をする手話通訳者のヴェラのもとに、不動産業者から田舎の家が売れそうだという連絡が来る。ヴェラは夫にそのことを伝え、売れたら娘にアパートを買ったり家具を新しくしたいという夢を語るが、夫は曇った顔をして何も答えない。ヴェラが近所の店に買い物に行き、帰ると夫は浴室で自殺していた。
夫の葬式のあと、ヴェラは夫と親しくしていたいとこに「家を譲る約束をしていた」と聞かされる。
コソボの女性監督カルトリナ・クラスニチのデビュー作。長い戦争と混乱の時期を経てきたコソボ社会をサスペンスフルに描く。
男尊女卑社会に挑む
この映画は、死んだ夫の家をめぐる物語で、映画の途中でその原因に夫がギャンブルで作った借金があるとわかり、その中でヴェラが自分と娘と孫のために奮闘するという物語だ。
この背景にあるのは、男尊女卑な社会のあり方で、男たちは観客から見れば明らかに理があるヴェラを当然のように否定し、力で抑え込もうとする。
ヴェラは夫からドメスティック・バイオレンスを受けてきた過去があることも語られるし、そのような時代にはヴェラも夫に黙従してきたこともわかる。
その中でヴェラは娘と孫娘のために立ち上がる。
それでヴェラが男たちを打ち負かす物語になればいいのだけれど、現実はそんなにかんたんではない。男たちは暴力によってヴェラを服従させようとし、ヴェラは打ち砕かれる。
そんな重苦しい物語だ。
© Copyright 2020 PUNTORIA KREATIVE ISSTRA | ISSTRA CREATIVE FACTORY
夢が象徴する自由と抑圧
その中で、タイトルにもなっているヴェラの「夢」は何を意味しているのか。作中でも、ヴェラが海の夢を見てはっと目が覚めるシーンが何度か出てくる。それは決して幸せな夢のようには見えないが、でも開放され自由であるようにも見える。
ビーチでカクテルを飲むという夢を語ることから考えても、ヴェラにとって海は自由の象徴であるのだろう。その夢が幸せそうに見えないというのは、ヴェラが自由を恐れていることを意味する。抑圧されてきた人特有の自由への恐怖、それをこの映画は描こうとしたのではないか。
ヴェラはその恐怖を克服し、自由を手にすることができるのか。その成否の鍵となるのは娘だ。父親の呪縛から先に逃れ、自由に生きることを選んだ娘、ヴェラと比べると貧しく不自由な生活を送って入るが、精神的には自由な娘、その娘に導かれてヴェラは自由を手にすることができるのか。
ネタバレにはなるが、ラストシーンが海のシーンなのが非常に印象的だ。ヴェラはついに実際に海に行き、自由を味わうことができた。そしてそこで幸せも感じたように映像からは見えた。
© Copyright 2020 PUNTORIA KREATIVE ISSTRA | ISSTRA CREATIVE FACTORY
平和な社会では女性が強くなるべき
この映画を見て考えたのは、平和な社会においては女性が力を持つべきなのではないかということだ。
暴力が支配的な社会においては男性が力を持つのは仕方がない。だから戦いによって社会が支配権を争った時代には、男尊女卑の社会ができあがった。
しかし、社会が平和になった今でもその構造を維持していることによって様々な歪が生じている。論理は飛躍するが、力による支配を是とする男性に平和な社会を運営する能力はないのではないか。平和な社会においては、力ではない別の論理によって社会を統べる必要があるから、別の価値観を持つ人々が力を保つ必要がある。
それが女性なのだ。もちろんこれは生物学的な性別の話ではなく、男尊女卑社会において「女性的」とか「女々しい」と言われた価値観を持つ多くの人々のことを指す。男性社会的価値観のカウンターとしての女性的価値観を持つ人々、そんな人達に未来を託すべきだというのがこの映画のメッセージなのではないか。
ヴェラは男尊女卑の価値観を植え付けられた女性だったが、社会の変化に伴って女性的な価値観を開放した。それが海の夢にあらわれていたのだ。
だからこの映画はヴェラを通して社会全体が価値観や社会構造を転換するべきときに来ていることを語ったものだということができる。女性監督がそれを描き、国外で評価されることはコソボの未来への希望になる。
戦後75年が経っても男尊女卑の価値観から抜け出せない人々にあふれる日本から偉そうに言えることではないが。
https://youtu.be/XJKOU-BwCFA
『ヴェラは海の夢を見る』Vera Andrron Detin2021年/コソボ=北マケドニア=アルバニア/2021年監督:カルトリナ・クラスニチ脚本:ドルンティナ・バーシャ撮影:セフディージェ・カストラティ音楽:ペトリ・チェク、ゲンク・サリフ出演:テウタ・アイディニ・イェゲニ、アルケタ・スラ、アストリッド・カバシ
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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