Amazonプライムビデオで『ロシアのキツツキ』という映画を観ました。聞いたことない人がほとんどだと思いますが、サンダンス映画祭のドキュメンタリー部門賞を取ったりしている作品です。内容は、チェルノブイリで生まれ、4才のときに原発事故があってキエフに移住してきたフョードルが原発事故の真実、本当の責任者を知りたくて、調査を開始するというもの。その中で、チェルノブイリ原発から近いところにあった、巨大なレーダー施設の存在を知り、調べを進めていくと、一時期、ソ連からアメリカやヨーロッパに向けて発せられていた「ロシアのキツツキ」と呼ばれた謎の電波の発信源ではないかという疑惑が浮上。そして、さらに調べを進める中で、フョードルはそのレーダー施設の関係者が意図的にチェルノブイリ原発事故を起こしたのではないかと疑い始めるのです。
この、陰謀ではないかという疑惑に突き進んでいく疾走感がなかなか良く、なかなか引き込まれる作品だったので、Amazonプライム会員の方はぜひ。
さて、映画としては面白かったのですが、この陰謀論については、流石にそれはないなという感じはしました。ソ連の上層部が保身のために原発事故を起こす、それはいくら崩壊間近のソ連でも起こり得ないのではないかと。映画の終盤では、フョードルの調査に妨害が入り、身の危険を感じて調査をやめてしまうというエピソードもあり、その真実味が演出されるのですが、この部分には、この映画のもう一つの要素、現在のロシアとウクライナの対立という要素も入り込んできます。
この映画が作られたのは、ロシアに近いと考えられていたヤヌコーヴィチ大統領に対する反政府デモが起きていた時期であり、この映画自体がロシアにソ連の影を見て、陰謀論によって現在のロシアとヤヌコーヴィチ大統領に対しても批判の矛先を向けるというやり方がなされているわけです。
しかし、ウクライナがロシアによって昔も今も抑圧されていることは間違いないわけで、このような陰謀論が出てくるのも、歴史的な背景があってこそ。この陰謀論が真実ではないとしても、チェルノブイリの事故のことをゴルバチョフ書記長がソ連全土に伝えたのは事故から十数日経ってからであることなどは事実なわけで、ウクライナが蔑ろにされていたということは確かなのです。
陰謀論というのは、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからない閉塞感から生まれてくるものであることが多く、それはつまり、フョードルをはじめとするチェルノブイリ原発事故の被害者たちの多くが今も故郷に帰れず不幸な境遇に置かれていることの表れではないかと思うのです。フョードルも言うように事故が徐々に忘れられていく中で、我々はまだその被害を受け続けているんだという声が形を変えて表れたものといえるかもしれません。
この映画の中で、フョードルは実際に今のチェルノブイリを訪れます。そこで思い出したのが映画『プリピャチ』です。この作品は、後に『いのちの食べ方』を撮ることになるニコラウス・ゲイハルター監督が1999年に撮った作品で、原発事故から12年後のプリピャチの人々を映し出しています。
プリピャチはチェルノブイリ原発から4キロしか離れておらず、もちろん立入禁止。それでも、故郷で暮らしたくて戻って住み着いてしまった人たち(多くは老人)がいたのです。加えて、当時まだ稼働中だったチェルノブイリ原発で働く人たちも登場します。
この映画の印象は「現実感がない」ということです。確かに人はいるにも関わらず、そこに現実の世界であるようには感じられないのです。それは彼らの暮らしが私たちの現実とあまりにかけ離れているからかもしれません。しかし、一方で、廃墟となった建物の中に入ると、そこには過去の現実が明確なものとして現れます。『ロシアのキツツキ』にも廃墟のシーンがありますが、この廃墟こそがチェルノブイリの現実であり、それは、ここはもはや現実の人間の世界ではないということを表しているように思えるのです。
そして、そのような場所であっても、故郷であり、帰ってきたい場所だと思う人々がいて、実際に帰ってきてしまう人々がいるのです。
この映画を見ると、福島原発事故のことを思わずにはいられません。今も、故郷に帰れない人たち。はたから「帰らない方がいい」と言うのは簡単ですが、彼らにはかけがえのない故郷なのです。彼らの思いと、放射能汚染という現実をどのようにすり合わせて解決していくのか。私は除染というのが答えではないと思いますが、それはまた別の話。いま、私たちにできることは、チェルノブイリから学び、福島原発事故の被害者の人たちがなるべく辛い思いをしなくていい社会を作ることです。
避難者へのいじめというのが去年からホットなトピックになってしまいましたが、そのようなことが起きないためにも、事故のときに抱いた気持ちを忘れずに、繰り返し問い直していかないといけないと思うのです。
なんだか、最初は変わった映画の紹介だったのに、最後は真面目な話になってしまいましたが、どちらも映画としては面白いので、福島について考えるためにもぜひご覧ください。『プリピャチ』はuplink cloudでも見ることが出来ます。
『ロシアのキツツキ』
The Russian Woodpecker
2015年/ウクライナ=イギリス=アメリカ/80分
監督・脚本:チャド・グラシア
撮影:アルテム・リジコフ
音楽:カーチャ・ミハイロヴァ
出演:フョードル・ズブロフカ
『プリピャチ』Pripyat
1999年/オーストリア/100分
監督:・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
https://socine.info/2017/01/25/russian_woodpecker/https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2017/01/russian_woodpecker.jpg?fit=640%2C360&ssl=1https://i2.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2017/01/russian_woodpecker.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraBlogMovieチェルノブイリ,ニコラウス・ゲイハルター,原発事故,福島,陰謀論Amazonプライムビデオで『ロシアのキツツキ』という映画を観ました。聞いたことない人がほとんどだと思いますが、サンダンス映画祭のドキュメンタリー部門賞を取ったりしている作品です。内容は、チェルノブイリで生まれ、4才のときに原発事故があってキエフに移住してきたフョードルが原発事故の真実、本当の責任者を知りたくて、調査を開始するというもの。その中で、チェルノブイリ原発から近いところにあった、巨大なレーダー施設の存在を知り、調べを進めていくと、一時期、ソ連からアメリカやヨーロッパに向けて発せられていた「ロシアのキツツキ」と呼ばれた謎の電波の発信源ではないかという疑惑が浮上。そして、さらに調べを進める中で、フョードルはそのレーダー施設の関係者が意図的にチェルノブイリ原発事故を起こしたのではないかと疑い始めるのです。
この、陰謀ではないかという疑惑に突き進んでいく疾走感がなかなか良く、なかなか引き込まれる作品だったので、Amazonプライム会員の方はぜひ。
ロシアのキツツキ(字幕版)
さて、映画としては面白かったのですが、この陰謀論については、流石にそれはないなという感じはしました。ソ連の上層部が保身のために原発事故を起こす、それはいくら崩壊間近のソ連でも起こり得ないのではないかと。映画の終盤では、フョードルの調査に妨害が入り、身の危険を感じて調査をやめてしまうというエピソードもあり、その真実味が演出されるのですが、この部分には、この映画のもう一つの要素、現在のロシアとウクライナの対立という要素も入り込んできます。
この映画が作られたのは、ロシアに近いと考えられていたヤヌコーヴィチ大統領に対する反政府デモが起きていた時期であり、この映画自体がロシアにソ連の影を見て、陰謀論によって現在のロシアとヤヌコーヴィチ大統領に対しても批判の矛先を向けるというやり方がなされているわけです。
しかし、ウクライナがロシアによって昔も今も抑圧されていることは間違いないわけで、このような陰謀論が出てくるのも、歴史的な背景があってこそ。この陰謀論が真実ではないとしても、チェルノブイリの事故のことをゴルバチョフ書記長がソ連全土に伝えたのは事故から十数日経ってからであることなどは事実なわけで、ウクライナが蔑ろにされていたということは確かなのです。
陰謀論というのは、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからない閉塞感から生まれてくるものであることが多く、それはつまり、フョードルをはじめとするチェルノブイリ原発事故の被害者たちの多くが今も故郷に帰れず不幸な境遇に置かれていることの表れではないかと思うのです。フョードルも言うように事故が徐々に忘れられていく中で、我々はまだその被害を受け続けているんだという声が形を変えて表れたものといえるかもしれません。
この映画の中で、フョードルは実際に今のチェルノブイリを訪れます。そこで思い出したのが映画『プリピャチ』です。この作品は、後に『いのちの食べ方』を撮ることになるニコラウス・ゲイハルター監督が1999年に撮った作品で、原発事故から12年後のプリピャチの人々を映し出しています。
プリピャチ~放射能警戒区域に住む人びと~
プリピャチはチェルノブイリ原発から4キロしか離れておらず、もちろん立入禁止。それでも、故郷で暮らしたくて戻って住み着いてしまった人たち(多くは老人)がいたのです。加えて、当時まだ稼働中だったチェルノブイリ原発で働く人たちも登場します。
この映画の印象は「現実感がない」ということです。確かに人はいるにも関わらず、そこに現実の世界であるようには感じられないのです。それは彼らの暮らしが私たちの現実とあまりにかけ離れているからかもしれません。しかし、一方で、廃墟となった建物の中に入ると、そこには過去の現実が明確なものとして現れます。『ロシアのキツツキ』にも廃墟のシーンがありますが、この廃墟こそがチェルノブイリの現実であり、それは、ここはもはや現実の人間の世界ではないということを表しているように思えるのです。
そして、そのような場所であっても、故郷であり、帰ってきたい場所だと思う人々がいて、実際に帰ってきてしまう人々がいるのです。
この映画を見ると、福島原発事故のことを思わずにはいられません。今も、故郷に帰れない人たち。はたから「帰らない方がいい」と言うのは簡単ですが、彼らにはかけがえのない故郷なのです。彼らの思いと、放射能汚染という現実をどのようにすり合わせて解決していくのか。私は除染というのが答えではないと思いますが、それはまた別の話。いま、私たちにできることは、チェルノブイリから学び、福島原発事故の被害者の人たちがなるべく辛い思いをしなくていい社会を作ることです。
避難者へのいじめというのが去年からホットなトピックになってしまいましたが、そのようなことが起きないためにも、事故のときに抱いた気持ちを忘れずに、繰り返し問い直していかないといけないと思うのです。
なんだか、最初は変わった映画の紹介だったのに、最後は真面目な話になってしまいましたが、どちらも映画としては面白いので、福島について考えるためにもぜひご覧ください。『プリピャチ』はuplink cloudでも見ることが出来ます。
『ロシアのキツツキ』The Russian Woodpecker2015年/ウクライナ=イギリス=アメリカ/80分監督・脚本:チャド・グラシア撮影:アルテム・リジコフ音楽:カーチャ・ミハイロヴァ出演:フョードル・ズブロフカ
『プリピャチ』Pripyat1999年/オーストリア/100分監督:・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
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Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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