© 2010 東海テレビ放送

「いじめは止めないがいじめ方には口を出す」「いじめられることで差を実感してその差を埋めようと頑張るんだ」

これは、東海テレビ制作のドキュメンタリー映画『平成ジレンマ』の主人公、戸塚ヨットスクールの戸塚校長の言葉だ。戸塚ヨットスクールと言えば、80年代に体罰が原因で死人が出て、戸塚校長を始めコーチ達が逮捕され、学校もなくなったと思っていたが、実は今も続いていた。この映画は、その戸塚ヨットスクールと戸塚校長の今を記録した作品だ。

今も続く戸塚ヨットスクールの衝撃

戸塚校長は、体罰事件で傷害致死罪に問われ、有罪が確定し、収監、刑に服して、数年前に出てきた。逮捕された後、裁判のときも自分は間違っていなかったと言い、その考えは今も変わっていない。しかし、今は体罰は許されていないので、ヨットスクールでは激しい体罰はやっていないと語る。

いまヨットスクールには、訓練生が約10人、30年前は非行少年が中心だったのが、現在は引きこもりやニートが多く、年齢も10歳くらいから20代後半までと幅広い。彼らは共同生活を送りながらヨットの訓練を受ける。入会金は約300万円、1日月の費用は十数万円という。

冒頭の言葉は、スクールの中で喧嘩が起きていても、それを無視している場面について出た言葉だ。いじめのすべてが悪いわけではなく、人間性を否定しなければいじめられた側が成長する原動力になるというのだ。戸塚校長は同じような論理で、体罰が教育に効果があると語る。自分の弱さを知ることで強くなるというのだ。

個人的には、何を言っているか全く理解できないのだが、この映画の前半は、スクールで成長していく生徒や、スクールに感謝する卒業生の言葉を紹介することで、戸塚ヨットスクールのやり方にも一つの理があるように見せている。あわせて、もう他に手段が見つからず、最後の頼みの綱としてここにやってくる親たちも登場することで、戸塚校長の言う「こういう環境でしつけないと、社会に適応できない子供もいる」という論にある程度、賛同しそうになる。

自分には理解できないけれど、こういう世界もあるのだ、とここでは思わざるをえないのだ。

しかし、それでもやはり戸塚校長の発言にはどうにも納得出来ない。校長は、しつけをしなくなったことでニートや引きこもりが生まれたと言い、それを教育し直しているのだと言う。「どうしてこんな教育制度になってしまったのか」と嘆き、「本当はこんなことはやりたくない、そうならないような教育を取り戻したい」と言う。しかし、戸塚校長が嘆くように、教育は崩壊したのだろうか?教育崩壊とは言われるけれど、それをもって昔の教育が成功していたということになるのだろうか?百歩譲って成功していたとして、同じことが今の複雑化した社会においても有効だとなぜ言えるのか?

私がどうしても、彼の言うことを受け入れられないのは、そのような様々な可能性については全く触れず、持論だけを自信満々に展開する独善的な人物だからだ。自分の視野が狭いから、自分の論理に当てはまらない問題は、全て外部のせいにする。このような視野の狭い人が教育に向いているとはとても思えない。

そして、映画の後半では、彼の教育が結局、破綻していることが明らかになっていく。就職してスクールを卒業しても、短い期間でやめてしまう。スクールが嫌になって逃亡する、そんな例が次々と出てきて、そして極め付きの事件が起きる。これは衝撃的な事件だ。数年前にニュースになったので、記憶している人もいるかもしれないが、本当に衝撃的だ(内容はあえて言わない)。この衝撃的な事件のエピソードの光景は決定的だ。校長とスクールの人たちは、自分たちのいる世界しか見えていない。自分たちの世界にしか通用しない常識の中で生きているのだ。

常識と教育

東海テレビの別の作品『ホームレス理事長』のところでも書いたが、このような「非常識」な人、あるいは異なる常識の中で生きている人というのが世の中にはいる。それは、逆に言えば、彼らから見れば我々のほうが非常識だということになるわけだ。『ホームレス理事長』のときには、それでも存在は尊重するべきだと書いた。その思いは今も変わっていない。しかし、その世界の中で人が死んでしまったり、死なないにしてもその世界から逃れられないくらい歪められてしまうということが起きる時、私たちは何かするべきなのではないか?という思いがこの映画を見ると浮かぶ。

『ホームレス理事長』 © 東海テレビ放送

なぜそのようなことが起きるかと考えると、それは彼らが「教育者」だと名乗っているからではないか。教育というのはある意味では常識を身に着けさせる場だ。普通は、学校や家庭や、友達関係という複数の環境の中で、様々な形で「教育」を受け、自分なりの常識を形作って言うものだが、戸塚ヨットスクールの場合、24時間365日、同じ人達と同じ場所にいて、他の環境に触れる機会がない。そのような環境で形作られる常識というのは、どのような場所であっても偏ったものになってしまうのではないか。

子供は他にも世界があることを、自分には他の可能性があることを知るべきだ。ここに来るのは、他の環境でもそれができなかった子供たちであり、それを実現するのは本当に難しいのだろう。でも、この戸塚ヨットスクールのやり方が答えではないことはわかる。なにせ結果が出ていないのだから。

この作品では、戸塚ヨットスクールの現在の問題点を指摘し、そこから逃げ出した子供たちを救おうという動きも紹介されている。一見すると、良い点もあるように見える組織だが、密着することで見えてくる問題点を指摘し、それに対して私達はどうするべきかを問う。私たちが考えなければいけないのは、このような環境に追い込まれなければならない子供たちが現実にいるということであり、そうならないようにするためにはどうすればいいのかだ。

何がジレンマなのか

この映画のタイトルの「ジレンマ」が意味するものは何なのだろうか?戸塚校長のものだとするならば、体罰をすればまた逮捕されてしまうかもしれないけれど、体罰をしなければちゃんと教育ができないというジレンマだろう。

映画のタイトルの意図はそれかもしれない。しかし、私が思うのは、引きこもりの子どもを持つ親の、このままではどうにもならないし、戸塚ヨットスクールに入れてもうまくいかないかもしれないというジレンマだ。

それは、今の教育全般が抱えるジレンマかもしれない。この複雑化する社会において、画一的な学校教育で全ての子どもがきちんと育つなんて言うことはありえないと思う。かと言って、そのかわりになる選択肢も用意されていない。今の学校教育制度に馴染めない子どもは、すぐにジレンマに陥ってしまうのだ。

社会が複雑で多様になっていくならば、教育も多様になっていかなければならない。その中に、戸塚ヨットスクールのような場所が存在することは、否定できないのかもしれない。しかしそれは、他にも選択肢があればこそだ。戸塚ヨットスクールしかもはや選択肢がないという状況で、子どもがそこに追いやられるというのは決して許される状況ではない。数ある選択肢の一つとして、自分の子供には、この教育環境が合うはずだと親が判断するのであれば、あるいは子供自身がそれを望むのであれば。

しかし、それを考えるには、私自身はまだまだ勉強が足りないと思った。映画に限っても、世界の様々な教育について取り上げた作品がたくさんある。それらを観る限り、戸塚ヨットスクールのような教育施設が入り込む余地はないように思えるのだが…

平成ジレンマ
2010年/日本/98分
監督:齊藤潤一
撮影:中根芳樹
音楽:村井秀清

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