マイケル・ムーア”らしさ”はないが、対立と融和を新たに捉え直そうとしているかのよう-『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』
マイケル・ムーアといえばドキュメンタリー映画界のスターだ。「アポなし突撃」を得意とし、アメリカ社会の問題点を次々と指摘し、要人の悪口を散々言ってきた。そのマイケル・ムーアが国防総省に呼ばれ、1人で「侵略」を請け負ったという「設定」がこの映画だ。
いつものように最初はおふざけで始まるこの映画だが、内容はいたって真面目、ヨーロッパを中心とした各国のいいところを学んでアメリカに持ち帰ろうという企画だ。イタリアの労働環境、フランスの給食制度、フィンランドの学校制度などなど、現地に行って現地の人達と話をして、その実情を取材する。
本当に学ぶべきところが多い内容だ。日本はアメリカほどひどくはないと思うが、それでもアメリカのようになりつつ有るという感覚は拭えず、今のうちになんとかしないとこれから大変なことになるという思いは常にある。それに対する解決策を提案してくれる。イタリアの8週間という有給休暇はどのような実現されたのか、フルコースのように給仕されるフランスの給食の原価はなぜアメリカより安いのか、ポルトガルではなぜ麻薬での逮捕者がいないのか、などなどなるほどと思わせてくれるエピソードが次々と出てくる。
そんな素晴らしい作品なのだが、マイケル・ムーアは「敵」と対峙しないと、そのよさが十分に発揮されないと思ってしまうのは私だけだろうか。「侵略」というポーズでなんとか対立構造を生み出そうとしているけれど、実際に画面に写っているのは穏和で人がいいおじさんでしかなく、戦闘的なところはこれっぽっちもない。確かにマイケル・ムーアがこれまで取り組んできたテーマに対する解決策を提案するという意味で集大成的な内容だけれど、別にこれならマイケル・ムーアがやらなくても良かったのではないか。
まあしかし、マイケル・ムーアだから会えた人や引き出せた言葉というのもあることはあった。一番印象的だったのはアイスランドの女性実業家たちに話を訊いているところで、マイケル・ムーアが「2分間だけアメリカ人に向けて言いたいことを言って欲しい」といった場面。ここで女性実業家は、「アメリカ人はなぜ同胞を救わないのか」という。これに対してムーアは「救いたい」というし、それが本心だと思うのだが、ここにアメリカ社会の問題の本質があるように思う。それは、対立と分断だ。
マイケル・ムーアが監督ではなく出演した『マイケル・ムーア in アホでマヌケな大統領選』の原題は“The Divided State”、まさに「分断された国家」だった。さまざまなニュースを見ても人種間対立や富裕層と貧困層の対立など、アメリカといえば対立と言いたくなるほど様々な対立構造が垣間見える。ヨーロッパでももちろん対立はあるけれど、これまではそれほど先鋭化せずにすんでいたり、過去を省みることでこれ以上の対立が起きることを防ごうという営為があることがこの作品でも紹介されている。
これはどういうことなのか、それはアメリカ社会が「対立」し勝ち負けを決めることで勝者が勝ち上がっていく制度に支えられているとうことではないか。最初はアメリカンドリームという形で豊かになる人々が出てきたが、勝ち負けが固定化されてしまうことで対立も固定化され、立場の違いによって分断が起きてしまった。マイケル・ムーアはそのような社会の根本的な問題の解決策をヨーロッパに見たのだ。表面上はさまざまな制度の個別の解決策を提示しているようだが、じつはその根本にある考え方を変えないと全体を変えることは出来ない。
これは、対立を煽るようなこれまでのあり方に対して、マイケル・ムーア自らが疑問を投げかけているようでもある。
そして、この対立と分断というのは、アメリカだけではなく日本でも、そして世界中でいま見られる現象であるようにも感じる。私たちはいかに対立を避け、融和された社会を作っていけるのか、マイケル・ムーアのこれからに注目するとともに、自ら考えていかなければいけないと思わされる作品だった。
Where To Invade Next
2015年/アメリカ/119分
監督・脚本・出演:マイケル・ムーア
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