GWもスカパーでやっていた東海テレビのドキュメンタリー特集。年に2回くらいやっているようなので、気になる方は次の機会をお待ち下さい。
今日はその中から、作品としては軽め(テーマは軽くないですが)の『長良川ド根性』です。

本編は真面目な話なので、真面目な話に入る前に、冒頭に思ってしまったことを。私は水曜どうでしょうのファン、いわゆる「どうバカ」ですが、水曜どうでしょうで長良川といえば、試験に出るどうでしょうで大泉洋さんが木曽川、長良川、揖斐川を覚えるために考えた語呂合わせ「クソ(木曽)しながら(長良)いび(揖斐)る」でおなじみ?です。映画の冒頭に、この三川が合流する加工部分の空撮映像が出てきて、河川の名称が書かれていたので、ついそのことを思い出してしまいました。ちなみに、その語呂合わせで川の名前を覚えて何の意味があったのかは忘れました。地理の試験に出るんでしょうか?

そんな試験にも出る木曽三川の一つ、長良川。濃尾平野に自然の恵みをもたらしてきた川の1つということになります。その河口に「長良川河口堰」ができたのは90年代なかば、1960年代の高度成長期に中京工業地帯の水を確保するために計画されたこの公共事業を巡る流域の漁師たちの現在を描くのがこの作品です。

© 東海テレビ放送

中心になるのは、最後まで河口堰の建設に反対していた赤須賀漁協の理事長。赤須賀は、河口堰の下流、長良川と揖斐川が合流するあたり、「その手は桑名の焼き蛤」で有名な桑名市にあるハマグリやシジミの産地でした。汽水域で育つシジミやハマグリが河口堰によって取れなくなるという恐れから反対を続けていた赤須賀漁協、結局は圧力に屈して建設を認めるわけですが、建設後は案の定、貝は取れなくなります。

それに対して、理事長はハマグリの養殖を試みたり、人工干潟を作ることを県に認めさせるなどして、漁業の復活に奮闘し続けたのです。

要するに、止まることの出来ない公共事業と、それに翻弄される市民という構図を描いているわけです。この映画には河口堰ともう一つ、木曽川の河口にある木曽岬干拓地の問題が出てきます。これは、木曽川の河口にあった干潟を農地転用のために埋め立てた場所ですが、干拓が終わってから20年以上がたっても農地としては利用される荒れ地のまま放置されているのです。長良川河口堰の水利用も想定を大きく下回っていて、合わせてその公共工事の意味が問われます。

© 東海テレビ放送

と、ここまではニュース番組などでも検証されているようなことで、報道の延長という感じなわけですが、長良川河口堰の問題は、開門調査が愛知県知事選挙の争点となることで新たな展開を迎えます。堰に反対してきた赤須賀漁協なのだから、開門調査には大賛成かと思うと実はそう単純ではありません。20年にも渡って反対してきた自分たちの反対を押し切って作った堰を今更見直すということに複雑な思いを抱くのです。

私はここに、官と民の隔絶を見ます。一般の人々は政府や地方自治体のやることを受け入れざるを得ません。もちろんそれは住民の総意あるいは多数決によって決められたものという建前はあるわけですが、それが自分が望んだものではないことはままあります。それを受け入れて、自分にできる創意工夫をし、新しい生き方を探して何年も何十年もかけて新しい生活を築くのです。しかし、それを官はまたひっくり返します。「もともと望んでいたことなんだからそれでいいじゃないか」といわれても、そう言っていた昔とは環境も生活の仕方も変わってしまっているのです。そうなると、それを素直に受け入れることは出来ません。当事者である庶民は常に振り回されるのです。

しかし、私たち、つまり当事者でない庶民はどうなのか?河口堰を作るのを決めたのも、開門調査を行うことを決めたのも、結局は私たちが選んだ政治家であり、ある程度は市民の声が反映された結果であるはずなのです。私たちは「経済成長のためには水が必要でそのためには堰を作らなきゃ」とか「堰は環境を悪化させるから開門調査を行おう」といわれれば、「なるほどそうだ」と思って、それに賛成票を投じます。それが悪いわけではないですが、ここで描かれている長良川の事例からわかるのは、それだけでは足りず、そのことで翻弄される当事者のことを想像する必要があるということです。そして、私たちの選択が当事者の選択肢を奪う可能性があるということを考えるべきなのです。

実際に大きな被害を被る少数の当事者が反対していても、僅かな利益を得る大多数の非当事者が賛成することで決定されてしまう様々なこと、そのことに簡単に賛成してしまっていいのでしょうか?

© 東海テレビ放送

昨日(5月15日)がちょうど沖縄の本土復帰45周年だったので、沖縄のことを考えました。辺野古への移転は危険な普天間飛行場を返還するために必要なことだということで、おそらく日本国民の過半数は賛成していることでしょう。しかし、(世論調査によれば)沖縄県民の半分以上は反対しています。では、普天間の人たちや辺野古の人たちはどうなのでしょうか?

沖縄から基地をなくすことに対して、「沖縄は基地で経済がもっているから無理だ」という人がいます。しかし、沖縄の経済が基地で回っているのは、戦後、強制的に基地が作られたからで、そこで行きていくためには基地相手に商売をするしかなかったからです。復帰前からそれを続けて70年、そのような経済構造が出来上がっていると言うだけの話です。だから、基地がなくなって別のものができるのなら、時間はかかるかもしれませんが、別の経済構造が出来上がっていくはずです。

そこで重要なのは、沖縄の人が、基地がある沖縄か基地がない沖縄なのかを選択できるべきだということ。普天間なのか辺野古なのか、それ以外なのかを選択できるのかということ。それ以外を選択するためには、沖縄以外の何処か別の場所に飛行場を作らなければならない。そうするとその先の人達はまた反対するはずです。もちろんどこに行っても反対は出るはずですが、これだけ沖縄の人が反対するというのは、それだけ沖縄にはこれまで選択肢が与えられていなかったということが理由なのではないかと思うのです。

もちろん結論などでないのですが、この映画からわかるのは、反対する当事者の言うことには耳を傾けたほうがいいということです。私たちも「決まったことなんだから反対してもしょうがないじゃないか」というのではなく、反対している人、賛成している人がなにを言っているのか、それに耳を傾けて、当事者の気持ちを想像して、なにが最良の選択肢なのかを考えてみる、今回はそれが実現しなかったとしても、次に同じようなことが起きたときに同じように考え、より良い結論が出せるようにするべきなのではないか、そう思いました。

『長良川ド根性』
2012年/日本/83分
監督:阿武野勝彦、片本武志
撮影:田中聖介
音楽:本多俊之
出演:宮本信子(ナレーション)
http://socine.info/wp-content/uploads/2017/05/nagaragawa_2.jpghttp://socine.info/wp-content/uploads/2017/05/nagaragawa_2-300x300.jpgishimuraMovie公共工事,地方テレビ局,東海テレビ放送,沖縄,環境
GWもスカパーでやっていた東海テレビのドキュメンタリー特集。年に2回くらいやっているようなので、気になる方は次の機会をお待ち下さい。 今日はその中から、作品としては軽め(テーマは軽くないですが)の『長良川ド根性』です。 本編は真面目な話なので、真面目な話に入る前に、冒頭に思ってしまったことを。私は水曜どうでしょうのファン、いわゆる「どうバカ」ですが、水曜どうでしょうで長良川といえば、試験に出るどうでしょうで大泉洋さんが木曽川、長良川、揖斐川を覚えるために考えた語呂合わせ「クソ(木曽)しながら(長良)いび(揖斐)る」でおなじみ?です。映画の冒頭に、この三川が合流する加工部分の空撮映像が出てきて、河川の名称が書かれていたので、ついそのことを思い出してしまいました。ちなみに、その語呂合わせで川の名前を覚えて何の意味があったのかは忘れました。地理の試験に出るんでしょうか? そんな試験にも出る木曽三川の一つ、長良川。濃尾平野に自然の恵みをもたらしてきた川の1つということになります。その河口に「長良川河口堰」ができたのは90年代なかば、1960年代の高度成長期に中京工業地帯の水を確保するために計画されたこの公共事業を巡る流域の漁師たちの現在を描くのがこの作品です。 中心になるのは、最後まで河口堰の建設に反対していた赤須賀漁協の理事長。赤須賀は、河口堰の下流、長良川と揖斐川が合流するあたり、「その手は桑名の焼き蛤」で有名な桑名市にあるハマグリやシジミの産地でした。汽水域で育つシジミやハマグリが河口堰によって取れなくなるという恐れから反対を続けていた赤須賀漁協、結局は圧力に屈して建設を認めるわけですが、建設後は案の定、貝は取れなくなります。 それに対して、理事長はハマグリの養殖を試みたり、人工干潟を作ることを県に認めさせるなどして、漁業の復活に奮闘し続けたのです。 要するに、止まることの出来ない公共事業と、それに翻弄される市民という構図を描いているわけです。この映画には河口堰ともう一つ、木曽川の河口にある木曽岬干拓地の問題が出てきます。これは、木曽川の河口にあった干潟を農地転用のために埋め立てた場所ですが、干拓が終わってから20年以上がたっても農地としては利用される荒れ地のまま放置されているのです。長良川河口堰の水利用も想定を大きく下回っていて、合わせてその公共工事の意味が問われます。 と、ここまではニュース番組などでも検証されているようなことで、報道の延長という感じなわけですが、長良川河口堰の問題は、開門調査が愛知県知事選挙の争点となることで新たな展開を迎えます。堰に反対してきた赤須賀漁協なのだから、開門調査には大賛成かと思うと実はそう単純ではありません。20年にも渡って反対してきた自分たちの反対を押し切って作った堰を今更見直すということに複雑な思いを抱くのです。 私はここに、官と民の隔絶を見ます。一般の人々は政府や地方自治体のやることを受け入れざるを得ません。もちろんそれは住民の総意あるいは多数決によって決められたものという建前はあるわけですが、それが自分が望んだものではないことはままあります。それを受け入れて、自分にできる創意工夫をし、新しい生き方を探して何年も何十年もかけて新しい生活を築くのです。しかし、それを官はまたひっくり返します。「もともと望んでいたことなんだからそれでいいじゃないか」といわれても、そう言っていた昔とは環境も生活の仕方も変わってしまっているのです。そうなると、それを素直に受け入れることは出来ません。当事者である庶民は常に振り回されるのです。 しかし、私たち、つまり当事者でない庶民はどうなのか?河口堰を作るのを決めたのも、開門調査を行うことを決めたのも、結局は私たちが選んだ政治家であり、ある程度は市民の声が反映された結果であるはずなのです。私たちは「経済成長のためには水が必要でそのためには堰を作らなきゃ」とか「堰は環境を悪化させるから開門調査を行おう」といわれれば、「なるほどそうだ」と思って、それに賛成票を投じます。それが悪いわけではないですが、ここで描かれている長良川の事例からわかるのは、それだけでは足りず、そのことで翻弄される当事者のことを想像する必要があるということです。そして、私たちの選択が当事者の選択肢を奪う可能性があるということを考えるべきなのです。 実際に大きな被害を被る少数の当事者が反対していても、僅かな利益を得る大多数の非当事者が賛成することで決定されてしまう様々なこと、そのことに簡単に賛成してしまっていいのでしょうか? 昨日(5月15日)がちょうど沖縄の本土復帰45周年だったので、沖縄のことを考えました。辺野古への移転は危険な普天間飛行場を返還するために必要なことだということで、おそらく日本国民の過半数は賛成していることでしょう。しかし、(世論調査によれば)沖縄県民の半分以上は反対しています。では、普天間の人たちや辺野古の人たちはどうなのでしょうか? 沖縄から基地をなくすことに対して、「沖縄は基地で経済がもっているから無理だ」という人がいます。しかし、沖縄の経済が基地で回っているのは、戦後、強制的に基地が作られたからで、そこで行きていくためには基地相手に商売をするしかなかったからです。復帰前からそれを続けて70年、そのような経済構造が出来上がっていると言うだけの話です。だから、基地がなくなって別のものができるのなら、時間はかかるかもしれませんが、別の経済構造が出来上がっていくはずです。 そこで重要なのは、沖縄の人が、基地がある沖縄か基地がない沖縄なのかを選択できるべきだということ。普天間なのか辺野古なのか、それ以外なのかを選択できるのかということ。それ以外を選択するためには、沖縄以外の何処か別の場所に飛行場を作らなければならない。そうするとその先の人達はまた反対するはずです。もちろんどこに行っても反対は出るはずですが、これだけ沖縄の人が反対するというのは、それだけ沖縄にはこれまで選択肢が与えられていなかったということが理由なのではないかと思うのです。 もちろん結論などでないのですが、この映画からわかるのは、反対する当事者の言うことには耳を傾けたほうがいいということです。私たちも「決まったことなんだから反対してもしょうがないじゃないか」というのではなく、反対している人、賛成している人がなにを言っているのか、それに耳を傾けて、当事者の気持ちを想像して、なにが最良の選択肢なのかを考えてみる、今回はそれが実現しなかったとしても、次に同じようなことが起きたときに同じように考え、より良い結論が出せるようにするべきなのではないか、そう思いました。 『長良川ド根性』 2012年/日本/83分 監督:阿武野勝彦、片本武志 撮影:田中聖介 音楽:本多俊之 出演:宮本信子(ナレーション)