アフリカ最大のコーヒーの産地エチオピア、そのエチオピアのオロミア州の農協連合会の代表タデッサ・メスケラはコーヒー価格の下落を嘆く。彼は貧困にあえぐコーヒー農家たちが正当な収入を得ることができるためにさまざまな対策を練り、時には海外に直接売込みにも行く。しかし、そこには巨大な多国籍企業の大きな壁が…
イギリスのドキュメンタリー作家フランシス兄弟の長編デビュー作。サンダンス映画祭で賞賛された硬派なドキュメンタリー。
コーヒーのフェアトレードはこの映画から始まったかも
2006年の作品なので、現状はかなり変わっていますが、まずは2008年時点のレビューの一部を掲載しておきます。当時はこんな認識でした。映画の概要もこれでわかってもらえると思います。
コーヒー農家たちの貧困が深刻化したのは80年代の国際コーヒー協定の破綻から。コーヒー価格の下落が直接生産者の収入源につながったというわけだ。
この作品はその生産者の窮状とそれを何とか改善しようと頑張る農業連合会代表のタデッサの活動を中心に描く。 タデッサ はコーヒーが消費者に届くまでの中間業者の多さを訴え、生産者が直接焙煎業者に売る方法を模索する。中間業者を省くことで正当な報酬を生産者に支払うことができる、つまりフェア・トレードである。
大学でのインテリである タデッサ は英語を駆使してイギリスやアメリカに飛び、直接アピールする。
この作品は映画としてははっきり言ってあまり面白くない。知らなかったことを知ることができるという意味では意義深いが、単純に事実を並べ、貿易の不公正や貧困をくり返し訴えるだけなのだ。貧困にあえぐアフリカの人々と、コーヒーを娯楽として楽しむ欧米の人々を対比させようという意図は見えるのだが、そのつながりが希薄で今ひとつ効果的ではない。出来れば、バリスタ世界大会の優勝者に「このコーヒーの価格のうち何パーセントが生産者に言ってるか知っているのか?」などという質問をぶつけて欲しかったろころだ。その行儀のよさが作品のインパクトを弱める結果になってしまっているのは残念だ。
ただ、このタデッサおじさんの人柄や姿勢は見る人をひきつける。彼は本当にエチオピアという国の将来を憂い、農民の一員として彼らの生活を改善することを願っている。外国からの援助に頼らなくてもすみ、子供たちが教育を受けられるようになること、ただそれだけが彼らの望みなのだ。農業保護政策で守られたアメリカの農家が作った小麦が援助物資としてアフリカにやってくる。コーヒーを正当な価格で買ってくれさえすれば、それは援助ではなく貿易品としてやってくるはずなのに。
この作品を見たらもうフェアトレードのコーヒーしか買えないという気がしてきてしまう。巨大な多国籍企業が流通させているコーヒーを買うたびに私たちはアフリカの農民達を苦しめることになるのだ。もちろんフェアトレードのコーヒーのほうが高い、しかしその価格差は1.5倍程度だ。その価格差は多くの場合フェアトレードのコーヒーのほうが質が高いことを考えるとそれほど大きなものではない。それで生産者には2倍3倍の収入になるのだ。
何気なく買い物をしていると目に付かないものだが、気をつけてみればフェアトレードのコーヒーというのは結構売っている。この作品で槍玉にあがっているスターバックスでさえ(わずか1種類だが)フェアトレードのコーヒーを売っている。イオンや西友でも売っている。通販でも売っている。
私たちは大企業を通して生産者からコーヒー豆を安く買い叩いている。この作品からコーヒー豆の流通の構造を知ることで、世界の経済の仕組みが少し見える。そして、それは多国籍企業体が支配する経済体制への抵抗の第一歩であるのだと思う。
フェアトレードを実現するのは消費者
この映画が意図したフェアトレードの広がりはここ10年で確実に見えています。映画の中でスターバックスが搾取する企業のひとつとして槍玉に挙げられていますが、今はフェアトレードに力を入れ、 2004年には14.5%だったコーヒーの「倫理的な調達」の割合を2015年には99%にまで高めました。
この映画が直接の契機になったかはわかりませんが、企業イメージを大事にするスターバックスとしては生産者を搾取していると捉えられることは大きな打撃になるので、フェアトレードという考えが広まればそれに対応せざるを得ないという意味でこの映画が間接的に影響を与えたとは言えるでしょう。
スターバックスのような社会的責任を重視する企業はフェアトレードに積極的に取り組むようになりましたが、そうではない企業もまだたくさんあります。実際、NYのコーヒー先物市場は今も活況で、その価格が下がれば生産者は貧困に陥る状況は変わっていません。
それを変えるのは消費者の意識であるとこの映画はすでに発信しています。
この映画を10年ぶりに見て一番印象的だったのは、エチオピアの農協のメスケラさんが商談のためイギリスに赴いたときに、スーパーでエチオピアのフェアトレードのコーヒーを探すシーン。いくら探しても見つからず、やっと見つけたエチオピアのコーヒーはフェアトレードの表示がないものでした。
ここでメスケラさんも言っていましたが、消費者が知って求めない限り売る側も売ろうとしないのです。
みなさんは、コーヒーを買おうとしたとき、その商品がフェアトレードなど生産者への倫理的配慮を行っているか気にしますか?
いきなり社会活動家みたいになってしまいましたが、この映画が訴えているのはそういうことです。その訴えは10年以上がたった今もがまだまだ浸透していません。フェアトレードという考え方は知っている方が増えていますが、それが実際の消費行動に結びついているかと言うと、それほどでもないのではという気がします。
私自身も気にはしますが、毎回必ずフェアトレードのものを買うかと言われれば、値段と味とのバランスを考えて買わないときもあるというのが正直なところです。
10年前に見たときには「フェアトレードのコーヒーを買わなきゃ!」と意気込んだものですが、その意気も徐々に薄れていき意識しなくなっていってしまうのです。そうやって改めて意識をし直すという面でも、この映画はいまも見る価値がある映画ですし、この映画をいま見ることで自分でデータをアップデートして今何をすべきかを考え直すことができるという意味では当時よりもより行動を促す映画になっている気もします。
『おいしいコーヒーの真実』
Black Gold
2006年/イギリス=アメリカ/78分
監督:マーク・フランシス、ニック・フランシス
撮影:ベン・コール、ニック・フランシス
音楽:クンジャ・シャタートン、マット・コールドリック、アンドレアス・カプサリス
https://socine.info/2020/05/19/black-gold/https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/05/black-gold_large.jpg?fit=640%2C426&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/05/black-gold_large.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVODコーヒーアフリカ最大のコーヒーの産地エチオピア、そのエチオピアのオロミア州の農協連合会の代表タデッサ・メスケラはコーヒー価格の下落を嘆く。彼は貧困にあえぐコーヒー農家たちが正当な収入を得ることができるためにさまざまな対策を練り、時には海外に直接売込みにも行く。しかし、そこには巨大な多国籍企業の大きな壁が…
イギリスのドキュメンタリー作家フランシス兄弟の長編デビュー作。サンダンス映画祭で賞賛された硬派なドキュメンタリー。
コーヒーのフェアトレードはこの映画から始まったかも
2006年の作品なので、現状はかなり変わっていますが、まずは2008年時点のレビューの一部を掲載しておきます。当時はこんな認識でした。映画の概要もこれでわかってもらえると思います。
コーヒー農家たちの貧困が深刻化したのは80年代の国際コーヒー協定の破綻から。コーヒー価格の下落が直接生産者の収入源につながったというわけだ。この作品はその生産者の窮状とそれを何とか改善しようと頑張る農業連合会代表のタデッサの活動を中心に描く。 タデッサ はコーヒーが消費者に届くまでの中間業者の多さを訴え、生産者が直接焙煎業者に売る方法を模索する。中間業者を省くことで正当な報酬を生産者に支払うことができる、つまりフェア・トレードである。大学でのインテリである タデッサ は英語を駆使してイギリスやアメリカに飛び、直接アピールする。この作品は映画としてははっきり言ってあまり面白くない。知らなかったことを知ることができるという意味では意義深いが、単純に事実を並べ、貿易の不公正や貧困をくり返し訴えるだけなのだ。貧困にあえぐアフリカの人々と、コーヒーを娯楽として楽しむ欧米の人々を対比させようという意図は見えるのだが、そのつながりが希薄で今ひとつ効果的ではない。出来れば、バリスタ世界大会の優勝者に「このコーヒーの価格のうち何パーセントが生産者に言ってるか知っているのか?」などという質問をぶつけて欲しかったろころだ。その行儀のよさが作品のインパクトを弱める結果になってしまっているのは残念だ。ただ、このタデッサおじさんの人柄や姿勢は見る人をひきつける。彼は本当にエチオピアという国の将来を憂い、農民の一員として彼らの生活を改善することを願っている。外国からの援助に頼らなくてもすみ、子供たちが教育を受けられるようになること、ただそれだけが彼らの望みなのだ。農業保護政策で守られたアメリカの農家が作った小麦が援助物資としてアフリカにやってくる。コーヒーを正当な価格で買ってくれさえすれば、それは援助ではなく貿易品としてやってくるはずなのに。この作品を見たらもうフェアトレードのコーヒーしか買えないという気がしてきてしまう。巨大な多国籍企業が流通させているコーヒーを買うたびに私たちはアフリカの農民達を苦しめることになるのだ。もちろんフェアトレードのコーヒーのほうが高い、しかしその価格差は1.5倍程度だ。その価格差は多くの場合フェアトレードのコーヒーのほうが質が高いことを考えるとそれほど大きなものではない。それで生産者には2倍3倍の収入になるのだ。何気なく買い物をしていると目に付かないものだが、気をつけてみればフェアトレードのコーヒーというのは結構売っている。この作品で槍玉にあがっているスターバックスでさえ(わずか1種類だが)フェアトレードのコーヒーを売っている。イオンや西友でも売っている。通販でも売っている。私たちは大企業を通して生産者からコーヒー豆を安く買い叩いている。この作品からコーヒー豆の流通の構造を知ることで、世界の経済の仕組みが少し見える。そして、それは多国籍企業体が支配する経済体制への抵抗の第一歩であるのだと思う。
フェアトレードを実現するのは消費者
この映画が意図したフェアトレードの広がりはここ10年で確実に見えています。映画の中でスターバックスが搾取する企業のひとつとして槍玉に挙げられていますが、今はフェアトレードに力を入れ、 2004年には14.5%だったコーヒーの「倫理的な調達」の割合を2015年には99%にまで高めました。
この映画が直接の契機になったかはわかりませんが、企業イメージを大事にするスターバックスとしては生産者を搾取していると捉えられることは大きな打撃になるので、フェアトレードという考えが広まればそれに対応せざるを得ないという意味でこの映画が間接的に影響を与えたとは言えるでしょう。
スターバックスのような社会的責任を重視する企業はフェアトレードに積極的に取り組むようになりましたが、そうではない企業もまだたくさんあります。実際、NYのコーヒー先物市場は今も活況で、その価格が下がれば生産者は貧困に陥る状況は変わっていません。
それを変えるのは消費者の意識であるとこの映画はすでに発信しています。
この映画を10年ぶりに見て一番印象的だったのは、エチオピアの農協のメスケラさんが商談のためイギリスに赴いたときに、スーパーでエチオピアのフェアトレードのコーヒーを探すシーン。いくら探しても見つからず、やっと見つけたエチオピアのコーヒーはフェアトレードの表示がないものでした。
ここでメスケラさんも言っていましたが、消費者が知って求めない限り売る側も売ろうとしないのです。
みなさんは、コーヒーを買おうとしたとき、その商品がフェアトレードなど生産者への倫理的配慮を行っているか気にしますか?
いきなり社会活動家みたいになってしまいましたが、この映画が訴えているのはそういうことです。その訴えは10年以上がたった今もがまだまだ浸透していません。フェアトレードという考え方は知っている方が増えていますが、それが実際の消費行動に結びついているかと言うと、それほどでもないのではという気がします。
私自身も気にはしますが、毎回必ずフェアトレードのものを買うかと言われれば、値段と味とのバランスを考えて買わないときもあるというのが正直なところです。
10年前に見たときには「フェアトレードのコーヒーを買わなきゃ!」と意気込んだものですが、その意気も徐々に薄れていき意識しなくなっていってしまうのです。そうやって改めて意識をし直すという面でも、この映画はいまも見る価値がある映画ですし、この映画をいま見ることで自分でデータをアップデートして今何をすべきかを考え直すことができるという意味では当時よりもより行動を促す映画になっている気もします。
https://youtu.be/1ZtSo9gje9E
『おいしいコーヒーの真実』Black Gold2006年/イギリス=アメリカ/78分監督:マーク・フランシス、ニック・フランシス撮影:ベン・コール、ニック・フランシス音楽:クンジャ・シャタートン、マット・コールドリック、アンドレアス・カプサリス
https://eigablog.com/vod/movie/post-945/
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
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