パレスチナのガザにある小さな美容室。今日もたくさんの女性が詰めかけている。夫と離婚調停中の中年女性、結婚式を控えた若い娘とその家族、出産間近の妊婦とその妹、ヒジャブをかぶった信心深い女性などが髪を切られながら、自分の順番を待ちながら会話を展開していく。
前半はただただ会話で展開されます。店主はロシアからの移民のクリスティンで、ファーストカットはその娘が店の外を見つめるしかめっ面。店の外にライオンがいて外で遊べないのです。このライオンはマフィアが連れているものと後で判明しますが、アシスタントのウィダトの恋人はそのマフィアの一員で店から見えるところに居て、たびたび電話で喧嘩をします。
店のお客さんは立場もさまざまなら人種も色々、彼女たちの話はほとんどが、言いがかりがもとで生まれる言い争いで、「なんでそんなことで揉めてるんだ」ということばかりです。
映画の後半には店の外で戦闘が勃発、彼女たちは完全に閉じ込められてしまいます。店の外の緊張感が増すのにつれて中の緊張感も増し、女達の対立は激しく。でも、いざとなったら団結する強さも見せます。
この映画はフィクションですが、非常にリアルで、はっきり言って楽しめません。
私たちはこの映画の何を見ればいいのか。ひとつ言えるのは、この美容室がガザ地区の暗喩になっているということです。
ガザ地区は御存知の通りほぼ封鎖されていて、人口も過密、失業率も高く、難民キャンプも多くて貧困率も高い非常にストレスフルな環境です。この映画はそんなガザ地区の姿をこの美容室の中に再現してみたのではないでしょうか。
ストレスフルな環境では人の感情はささくれ立ち、些細なことで対立し、諍いが起きます。そのことをこの映画は描いているのです。普通なら、そんな環境から抜け出せばいいわけですが、彼女たちは抜け出せない。最初は自分の意志でとどまっていますが、最後には本当に出られなくなる。その中でもなんとかやっていかなければいけないのです。
この環境の中でもなんとかやっていくためには互いをストレスのはけ口にするしかありません。だから彼女たちは罵り合いながら相手の言うことは聞き流しているのだと思います。自分が言いたいことを言ってガス抜きをし、相手も同じなのだからと聞き流す。時には殴り合いに発展したとしても決定的なダメージを受けることはないのです。
それに対して外の男たちは殺し合いをします。彼女たちは男たちの暴力に雲財しています。男たちの諍いは破壊しか生まないことがわかっているのです。
映画の中に「ここにいる女たちで政府を作ったら」と話す場面があるのですが、本当に世界中で女性が政治を担うようになったら世界はもっと平和になるんじゃないか、そんなことを思わずにはいられませんでした。
あとからゆっくり振り返ってみると、登場する女性たちの人物像はかなりバリエーションに富んでいて、バラバラですがどの人も本当にいそうで、人それぞれ誰の立場に共感するか違ってくるし、だからこそ違う人がいることを実感できるのだと思い至りました。
私はヒジャブをかぶった女性に共感というか味方をしたくなりました。そのワケを自分なりに考えて、どうして他の人には共感できなかったのかを省みると、多様な世の中で自分がどうあるべきか少しわかるのかもしれないとも思いました。
『ガザの美容室』
2015年/フランス、パレスチナ、カタール/84分
監督・脚本:タルザン&アラブ・ナザール
音楽:ベンジャミン・グロスピロン
出演:ヒアム・アッバス、マイサ・アブドゥ・エルハディ、マナル・アワド
https://socine.info/2020/04/10/gaza-bi/https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/04/gazabi_1.jpg?fit=1024%2C576&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2020/04/gazabi_1.jpg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraMovieVOD社会派パレスチナのガザにある小さな美容室。今日もたくさんの女性が詰めかけている。夫と離婚調停中の中年女性、結婚式を控えた若い娘とその家族、出産間近の妊婦とその妹、ヒジャブをかぶった信心深い女性などが髪を切られながら、自分の順番を待ちながら会話を展開していく。
前半はただただ会話で展開されます。店主はロシアからの移民のクリスティンで、ファーストカットはその娘が店の外を見つめるしかめっ面。店の外にライオンがいて外で遊べないのです。このライオンはマフィアが連れているものと後で判明しますが、アシスタントのウィダトの恋人はそのマフィアの一員で店から見えるところに居て、たびたび電話で喧嘩をします。
店のお客さんは立場もさまざまなら人種も色々、彼女たちの話はほとんどが、言いがかりがもとで生まれる言い争いで、「なんでそんなことで揉めてるんだ」ということばかりです。
映画の後半には店の外で戦闘が勃発、彼女たちは完全に閉じ込められてしまいます。店の外の緊張感が増すのにつれて中の緊張感も増し、女達の対立は激しく。でも、いざとなったら団結する強さも見せます。
この映画はフィクションですが、非常にリアルで、はっきり言って楽しめません。
私たちはこの映画の何を見ればいいのか。ひとつ言えるのは、この美容室がガザ地区の暗喩になっているということです。
ガザ地区は御存知の通りほぼ封鎖されていて、人口も過密、失業率も高く、難民キャンプも多くて貧困率も高い非常にストレスフルな環境です。この映画はそんなガザ地区の姿をこの美容室の中に再現してみたのではないでしょうか。
ストレスフルな環境では人の感情はささくれ立ち、些細なことで対立し、諍いが起きます。そのことをこの映画は描いているのです。普通なら、そんな環境から抜け出せばいいわけですが、彼女たちは抜け出せない。最初は自分の意志でとどまっていますが、最後には本当に出られなくなる。その中でもなんとかやっていかなければいけないのです。
この環境の中でもなんとかやっていくためには互いをストレスのはけ口にするしかありません。だから彼女たちは罵り合いながら相手の言うことは聞き流しているのだと思います。自分が言いたいことを言ってガス抜きをし、相手も同じなのだからと聞き流す。時には殴り合いに発展したとしても決定的なダメージを受けることはないのです。
それに対して外の男たちは殺し合いをします。彼女たちは男たちの暴力に雲財しています。男たちの諍いは破壊しか生まないことがわかっているのです。
映画の中に「ここにいる女たちで政府を作ったら」と話す場面があるのですが、本当に世界中で女性が政治を担うようになったら世界はもっと平和になるんじゃないか、そんなことを思わずにはいられませんでした。
あとからゆっくり振り返ってみると、登場する女性たちの人物像はかなりバリエーションに富んでいて、バラバラですがどの人も本当にいそうで、人それぞれ誰の立場に共感するか違ってくるし、だからこそ違う人がいることを実感できるのだと思い至りました。
私はヒジャブをかぶった女性に共感というか味方をしたくなりました。そのワケを自分なりに考えて、どうして他の人には共感できなかったのかを省みると、多様な世の中で自分がどうあるべきか少しわかるのかもしれないとも思いました。
『ガザの美容室』2015年/フランス、パレスチナ、カタール/84分監督・脚本:タルザン&アラブ・ナザール音楽:ベンジャミン・グロスピロン出演:ヒアム・アッバス、マイサ・アブドゥ・エルハディ、マナル・アワド
https://eigablog.com/vod/movie/gaza-no-biyoshitsu/
Kenji
Ishimuraishimura@cinema-today.netAdministratorライター/映画観察者。
2000年から「ヒビコレエイガ」主宰、ライターとしてgreenz.jpなどに執筆中。まとめサイト→https://note.mu/ishimurakenji
映画、アート、書籍などのレビュー記事、インタビュー記事、レポート記事が得意。ソーシネ
コメントを残す