私が映画、特にドキュメンタリー映画を見ることの理由の一つに、声なき人の声を聞くことがあります。そのことについては別のところで少し書きました

そして、声を聞くという意味では声が届かない人たちはもちろんですが、日常ではあまり接することのない人々についても映画を通して聞くことが重要だと考えています。

日常生活の中で受け取る情報は、自分の耳に心地よいものに偏りがちです。それが昨今の殺伐とした世界の一員にもなっていると思いますが、自分の暮らしを豊かにしたり、よりよい社会を実現するためには自分とは異なる意見にも耳を傾けることが重要です。

それは他者を尊重するという倫理的な意味だけではなく、新たな選択肢を知ることが自分のためにもなるという利己的な意味でもそうだと思うのです。

前置きが長くなってしまいましたが、今回取り上げる 『Cowspiracy:サステナビリティ(持続可能性)の秘密』 を見てそんなことを思ったのです。

この映画というかドキュメンタリーは、 Netflix製作でレオナルド・ディカプリオがエグゼクティブプロデューサーを務めた作品。監督であり、語り手であり、出演者でもあるキップ・アンデルセンは『不都合な真実』 により環境問題に目覚め、その活動の末にこの映画を作るに至ったという背景を持っています。

キップは自分が抱いた疑問を出発点に、環境問題の「闇」に切り込んでいきます。私も地球温暖化/気候変動対策は待ったなしで、地球は危機にあると思ってはいますし、こういうジャーナリズム精神は大好きです。ですが、この作品を最後まで見てこのキップの立場には必ずしも賛同できないと思いました。でも、その考えに触れることができてよかったとも思ったのです。

なぜ畜産は問題にされないのか=環境保護団体の裏

映画は、環境意識を高く持ち、節電や節水に取り組んできたにもかかわらず世界はちっとも良くならないことにキップが疑問を持ったことから始まります。なぜ菜乃花を調べる中で、キップは畜産が地球温暖化の大きな原因であるのに大きな環境保護団体はどこもそれに取り組んでいないことに気づくのです。

キップはさまざまな環境保護団体に質問状を贈ったものの返答はなく、直接出向くことにします。ここから突撃系のドキュメンタリーの様相を呈し、問題の裏にある大きな力に迫るというサスペンス的な内容に少しなっていって、その行動をとうしてキップの考えがどう変化し、なにをつきとめていくのかにも興味が湧いていきます。

結論は、ある程度予想通りなので書いてしまいますが、畜産業界のロビーイングや環境保護団体に対する支援によって、そのことは畜産が環境に及ぼす悪影響については不問に付されてきたということです。そして、温室効果ガスの排出だけでなく、海洋汚染やアマゾンの熱帯雨林の減少などについても畜産が大きな原因となっていると説明されます。

加えて、漁業が地球の生物多様性を破壊していることも明らかにし、最終的に、キップはビーガンこそが地球を救う道であるという結論に達します。全人類が完全菜食主義者になれば90億の人類がいても地球は持続可能になるというのです。むしろそれしか地球を救う道はないと。

畜産や漁業が今の地球の生態系を破壊しているというところは納得できますが、ここまで来るとかなり眉に唾をつけながら聞かざるを得ません。そもそも「しかない」という人のことは基本的に信用しないと私は決めているのです。そういう人たちは原理主義者/狂信者である可能性が高いからです。

論理を展開し「様々な可能性の中で私はこれが正しいと信じるからこれを選択する」と言うならいいのですが、「これしかない」といって意見を押し通そうとする態度は受け入れがたいのです。

そんなこともあるので、眉唾で見ていると、やはり一面的な見方でしかないと思えてきます。 完全菜食主義でも栄養は十分でむしろ健康になるなどといった意見を集めるのですが、 人が必要としているものは栄養だけなのか、健康ならそれでいいのかと思いますし、植物を育てる農業は本当に地球に悪影響を与えないのかという疑問も抱きます。

キップは問題を解決する方法を見つけた気になっていますが、これでは決して問題は解決しません。

でも、キップのような考え方があることを知ることは重要です。そして、そこから自分なりに考えることはより重要なのです。

人間と肉食の関係が解きほぐす「文化」の問題

この作品を見ていて気になった場面がありました。

それは、キップが家で家畜を飼うことが解決策になるのではないかと鴨を飼う家に行くシーンです。ここでキップは鴨が締められるのを見て、動物を殺したくないという思いに至ります。

これは肉食の残酷さを示すシーンであるわけですが、私は現代社会が食べ物である動物を殺すことから人の目を背けてきた結果、現代人はその残酷さを受け入れられなくなってしまったことを示していると感じました。そして、菜食主義がその肉食の効率化の反動であることが端的に表れている場面だとも感じたのです。

人間と肉食の間には「残酷だから食べない」では済まない「文化」があると私は思います。人が家畜の肉を食べることの意味については、フレデリック・ワイズマンの『肉』や『ある精肉店の記録』など優れたドキュメンタリーが色々あります。そのようなドキュメンタリーを見るにつけ、問題は扱い方や我々の捉え方にあるのであって、肉食自体にあるわけではないと思うのです。

人間が肉を食べるとはどういうことか。畜産によって狩猟や漁労によって動物を食料にしていた時代と比べて飛躍的に肉を食べることが容易になりました。それ自体は人類の叡智だと思うのですが、それが行き過ぎて陳腐化してしまったことによって、地球環境の悪化も含めてさまざまな問題が出てきているのが今の状況です。

それなら私たちは肉食と今どう向き合うべきなのか、それが今考えるべきことだし、この作品にかけているピースでもあると思います。そして、私はキップがそこに思い至らないことによって、それに気がついたのです。

ディカプリオが支持したものはなにか

この映画にはレオナルド・ディカプリオがプロデューサーに名を連ねています。

レオナルド・ディカプリオといえば2016年の 『地球が壊れる前に』も製作していて、ここでは自ら出演して何が問題なのかを明らかにしていっていました。

こちらの作品ではディカプリオは、現在ある問題を提示しながら観る人にどの選択肢を取るか判断を委ねているように私には見えました。ディカプリオは決して原理主義には陥っていなかったのです。ただ、このままでは人類の滅亡が早まることは確実で、それを遅らせるために行動する人は応援するというスタンスをとっていると思えました。

だからおそらくディカプリオもキップの考えに完全に賛同はしていないのでしょう。それでも彼を応援するために支援を行ったのです。作品の中で、キップが闇に迫っていった結果、スポンサーからの支援が打ち切られるというシーンが出てきます。そこで救世主として表れたのがディカプリオなのでしょう。

ディカプリオはこの映画が完成し多くの人に見られることによって、人々が地球を救うために必要なことについて知り、新たな視点を与えられることに気づいたのです。

実際、私も完全菜食主義者になろうとは思いませんでしたが、畜産業が地球に与えるインパクトについて考え、自分と自分の周りと地球のためにどのような暮らし方をするのがいいのかについて考えました。

今まで持ち得なかった視点を得ることによって人は成長します。多くの人が成長していけば社会はきっと良くなります。私が希望を見出すのは、この映画の内容ではなく、このような映画が作られ私たちが観ることができるという事実なのです。

『Cowspiracy:サステナビリティ(持続可能性)の秘密』
2014年/アメリカ/90分
監督:キップ・アンデルセン、キーガン・クーン
脚本:キップ・アンデルセン、キーガン・クーン
撮影:キーガン・クーン
出演:キップ・アンデルセン

https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/09/Cowspiracy-Cow.jpeg?fit=1024%2C651&ssl=1https://i1.wp.com/socine.info/wp-content/uploads/2019/09/Cowspiracy-Cow.jpeg?resize=150%2C150&ssl=1ishimuraFeaturedMovie
私が映画、特にドキュメンタリー映画を見ることの理由の一つに、声なき人の声を聞くことがあります。そのことについては別のところで少し書きました。 そして、声を聞くという意味では声が届かない人たちはもちろんですが、日常ではあまり接することのない人々についても映画を通して聞くことが重要だと考えています。 日常生活の中で受け取る情報は、自分の耳に心地よいものに偏りがちです。それが昨今の殺伐とした世界の一員にもなっていると思いますが、自分の暮らしを豊かにしたり、よりよい社会を実現するためには自分とは異なる意見にも耳を傾けることが重要です。 それは他者を尊重するという倫理的な意味だけではなく、新たな選択肢を知ることが自分のためにもなるという利己的な意味でもそうだと思うのです。 前置きが長くなってしまいましたが、今回取り上げる 『Cowspiracy:サステナビリティ(持続可能性)の秘密』 を見てそんなことを思ったのです。 この映画というかドキュメンタリーは、 Netflix製作でレオナルド・ディカプリオがエグゼクティブプロデューサーを務めた作品。監督であり、語り手であり、出演者でもあるキップ・アンデルセンは『不都合な真実』 により環境問題に目覚め、その活動の末にこの映画を作るに至ったという背景を持っています。 キップは自分が抱いた疑問を出発点に、環境問題の「闇」に切り込んでいきます。私も地球温暖化/気候変動対策は待ったなしで、地球は危機にあると思ってはいますし、こういうジャーナリズム精神は大好きです。ですが、この作品を最後まで見てこのキップの立場には必ずしも賛同できないと思いました。でも、その考えに触れることができてよかったとも思ったのです。 なぜ畜産は問題にされないのか=環境保護団体の裏 映画は、環境意識を高く持ち、節電や節水に取り組んできたにもかかわらず世界はちっとも良くならないことにキップが疑問を持ったことから始まります。なぜ菜乃花を調べる中で、キップは畜産が地球温暖化の大きな原因であるのに大きな環境保護団体はどこもそれに取り組んでいないことに気づくのです。 キップはさまざまな環境保護団体に質問状を贈ったものの返答はなく、直接出向くことにします。ここから突撃系のドキュメンタリーの様相を呈し、問題の裏にある大きな力に迫るというサスペンス的な内容に少しなっていって、その行動をとうしてキップの考えがどう変化し、なにをつきとめていくのかにも興味が湧いていきます。 結論は、ある程度予想通りなので書いてしまいますが、畜産業界のロビーイングや環境保護団体に対する支援によって、そのことは畜産が環境に及ぼす悪影響については不問に付されてきたということです。そして、温室効果ガスの排出だけでなく、海洋汚染やアマゾンの熱帯雨林の減少などについても畜産が大きな原因となっていると説明されます。 加えて、漁業が地球の生物多様性を破壊していることも明らかにし、最終的に、キップはビーガンこそが地球を救う道であるという結論に達します。全人類が完全菜食主義者になれば90億の人類がいても地球は持続可能になるというのです。むしろそれしか地球を救う道はないと。 畜産や漁業が今の地球の生態系を破壊しているというところは納得できますが、ここまで来るとかなり眉に唾をつけながら聞かざるを得ません。そもそも「しかない」という人のことは基本的に信用しないと私は決めているのです。そういう人たちは原理主義者/狂信者である可能性が高いからです。 論理を展開し「様々な可能性の中で私はこれが正しいと信じるからこれを選択する」と言うならいいのですが、「これしかない」といって意見を押し通そうとする態度は受け入れがたいのです。 そんなこともあるので、眉唾で見ていると、やはり一面的な見方でしかないと思えてきます。 完全菜食主義でも栄養は十分でむしろ健康になるなどといった意見を集めるのですが、 人が必要としているものは栄養だけなのか、健康ならそれでいいのかと思いますし、植物を育てる農業は本当に地球に悪影響を与えないのかという疑問も抱きます。 キップは問題を解決する方法を見つけた気になっていますが、これでは決して問題は解決しません。 でも、キップのような考え方があることを知ることは重要です。そして、そこから自分なりに考えることはより重要なのです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
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