震災から6年を振り返って思うこと-『311』、NoddiN、「3.11映画祭」
2011年3月11日の東日本大震災からもうすぐ6年。日々の生活の中でその記憶は少しずつ薄れていくが、今のところ年に1度は「震災から○年」という報道でその記憶をよみがえらせることができている。
特に映像は最初にそれを見たときの自分を鮮明に思い出させ、時にはそのときに抱いた感情までをもよみがえらせる力を持っている。いまでも、リアルタイムで観た津波の中継映像を目にすると、あのときの恐怖がよみがえってくる。
毎年毎年、恐怖の感情がよみがえるというのは気持ちのよいものではないが、防災という観点からはそれくらい心に刻みこんだほうがもしものときにとっさの行動ができるということなのだろう。
あの時観た映画たち
震災の直後は、ずーっとテレビを見たり、インターネットで情報を探したり、自分にできることは何なのかを考える日々だったが、しばらくすると震災をテーマにした映像作品が徐々に出てくるようになった。それを見ると、あの混乱していたときに被災地に足を運び、その風景を記録し、人々に話を聞くということをした映像作家の使命感と行動力に感服する。
『大津波の後に』や『フタバから遠く離れて』など素晴らしい作品がたくさんあったが、その中で森達也さんらが監督した『311』はいろいろと物議も醸した。この作品で、森さんら4人の映像関係者は被災地に赴き、被災者の人たちにカメラを向けた。そして彼らはその無遠慮な行動で最後には遺族から角材を投げつけられる。
この作品で彼らは批判されたが、私は、彼らはあえて遺族の怒りを買うような行動をとったのではないかと思った(詳しくは、当時greenz.jpに書いたのでそちらを参照のこと)。「怒りのぶつける先がない」という遺族の怒りを無関係な自分たちに向けてもらうことで彼らは遺族の辛さを少しでも引き受けようとしていると感じたのだ。そして、それは彼らが「自分たちに何ができるのか」という問いの答えを求めて奮闘していたことの証でもあると思った。
それは、結局、現地にもいかず、自分にできることは何かと考えながら結局たいしたことはできなかった自分に突きつけられつづける問いでもあった。
自分にできることを映像で探し求める人々
そんな中で出会ったのが、東日本大震災を機に結成された映像作家たちのグループ「NoddiN」の作品だ。
NoddiNは、簡単に言うと、東日本大震災と福島第一原発事故直後の異様な雰囲気の中で「自分たちがクリエイターとしていまできることは何なのか」を探し求める人たちが集まったグループで、それぞれが自由に作品を作り、それを集めて上映するというプロジェクトを始め、現在も続いている。
NoddiNというのは「NippoN」をひっくり返したもので、「日本をひっくり返してみてみる」というコンセプトで作品を制作している。それはつまり、震災以前に見ていた日本を別の角度から見てみるということ。原発もそうだし、もっと大きくエネルギーについてもそうだし、それだけではないさまざまなこと、政治、経済、教育、なんでも当たり前を疑うという姿勢を表している。
東日本大震災と福島第一原発事故で多くの人が「何かが変わった」と思ったことだと思う。ただ、私もそうだがそのもやもやの実態がつかめず、結局もやもやしたまま時は過ぎ、そうするとそのモヤモヤ自体の感触も徐々に薄れてしまうのではないか。
その中でNoddiNは、変わったのは「ものの見方」なのだということを示してくれる。最初は電気についてだったかもしれないが、それを別の角度から見てみると、他の様々なことについて当たり前が本当に当たり前なのか疑うようになってくる。
そのNoddiNは昨年『戦争のつくりかた』という絵本を原作にしたアニメーションを制作した。この作品は見てもらうとわかると思うけれど、戦争とはどういうものかを語り、日本は戦争に近づいているのか疑問を持ち、何をすればいいかを問いかける作品だ。今の日本は平和だ。でも、本当に平和といえるのか、見方を変えたら実はもう戦争は始まっているということもできるのではないか、そんなことを考えてしまう。
今そしてこれから考えるべきことをを3.11映画祭に探る
東日本大震災についての映像作品を上映する「3.11映画祭」が3月11日・12日の両日、アーツ千代田3331で今年も開催され、その中でNoddiNの作品も上映される。
この映画祭は2014年から開催され今回が4回目。どんどん薄れていく記憶を食い止めるにはこのようなイベントが有るといい。そして、1ヶ所で開催するのではなく、賛同した団体や個人が参加し全国で開催されるという仕組みも非常にいい。今年も北海道から九州まで約30ヶ所で開催される。
上映作品は『戦争のつくりかた』を含むNoddiNの「オムニバス作品集」のほか、原発事故に直面した官邸を描いた劇映画『太陽の蓋』、震災から4年後の福島県須賀川市を舞台にしたドキュメンタリー『大地を受け継ぐ』、自然エネルギーへの転換をテーマにしたドキュメンタリー『日本と再生 光と風のギガワット作戦』、鎌仲ひとみ監督が不安を抱える被災地の母親たちを取材したドキュメンタリー『小さき声のカノンー選択する人々』、帰還困難区域で暮らすことになったドイツ人と日本人の二人の女性を描いた劇映画『フクシマ・モナムール』を上映する(各地では1本から数本の作品を上映)。
映画祭なので新しい作品を上映するのは当たり前だが、『太陽の蓋』が原発事故当日の模様を描いたものである以外は、「その後」を描いた作品ばかりになってしまっているのは少し残念だ。もちろん、今の被災地を知り今私たちが何をすべきかを考えることも重要だが、映像の役割はそれだけではないと思う。あの衝撃と恐怖を心によみがえらせるつらい体験をすることで、より深く「今」を考えることができるということもあるはずだ。
当時作られ上映されたものの、DVDになったりもせず埋もれていってしまっている作品も多くある。そのような作品を掘り出してもう一度見られる機会を作る、そのようなことも必要だし、それができるようにしなければならないのかもしれないと6年を振り返ってみて考えた。
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