2019年3月29日に亡くなった映画監督アニエス・ヴァルダ。私も大好きな映画監督の一人でした。

しかし、意外と日本では知られていないのか、VODで映画を観られるわけでもなく、レンタルDVDも限られた作品しかなく、DVD化すらされていない作品もあり、関係する書籍を調べると皆無という状況でした。

そこで、追悼の意味も込めて電子書籍を作ることにして、一週間の突貫工事で昨日完成させることができました。

今日は、その最後に収めた『アニエスの浜辺』をお届けします。電子書籍用に新たに書いたもので、しかも最後ということで、そこまでの文脈の中で読んだほうが書いてあることに意味が理解しやすいので、書籍で読むことをおすすめします(宣伝ですが、本当です)。


映画の枠からはみ出ていく映画監督

まもなく80歳を迎えるアニエス・ヴァルダが自分の人生を振り返りながら、過去と現在を織り交ぜて綴る自伝的映画。

最初は浜辺に鏡を並べるシーン、スタッフを紹介したりしながら、いろいろな形の鏡をさまざまな置き方で浜辺に配置していく。完成すると風景がランダムに映り込み、現代アートのようで美しい。アニエス・ヴァルダは、晩年になって映画の枠に収まりきらないような現代アート的な分野に活動の幅を広げてきた。この浜辺のシーンはそんな彼女の活動を紹介するパートにもなっている。

映画の中にも、夫を亡くした女性たちのインタビュー映像を集めたインスタレーション作品を発表し、個展もやったというエピソードが登場するが、もはや彼女は映画館でみる映画を作る活動に縛られていないのだ。そして、この映画を見ると、彼女がそうやって映画という枠をはみ出していくのは自然な成り行きだと言うことがわかってっくる。

映画は浜辺のシーンに、子供時代の再現映像が入ってきて、自然と子供時代の話になっていく。彼女はベルギーブリュッセル生まれだが、家族で戦火を逃れて南仏のセットという港町の船で暮らすようになる。このセットの町や南仏という土地は彼女にとって重要な場所の一つとなったようで、デビュー作である『ラ・ポワント・クルート』もこの場所で撮られた。

このデビュー作にヴァルダは、地元の人達を数多く登場させていて、この映画にはその人たちが50年の時を経て登場する。この映画を観ていて思ったのは、ヴァルダは人を大切にするということだ。映画を撮るにあたっても大事なのは映る人であって、自分が撮りたい人を撮ることが彼女にとっては何より大事なのだ。

だから、彼女が映画を通して関わった人たちは今も彼女にとって大切な人たちであり、彼らの現在をフィルムに留めることは彼女には意味があるのだ。

彼女は1976年に、彼女が今も暮らすパリの家の近所の人たちを被写体にして『ダゲール街の人々(Daguerréotypes)』というドキュメンタリー作品を撮っている。その人たちは本当に普通の人たちなのだけれど、彼女にとっては大切な人たちで、その人達の映画を撮ることは彼女にとって大きな意味があったことがわかる。

『ダゲール街の人々』より

人の姿を切り取り映すスクリーン

映画を観進めていくと、自伝的映画のようでありながら、彼女自身のことはほとんど語られず、周りの人のことばかり話していることに気がついてくる。このことが、この映画と彼女の映画監督としての人生を解く鍵になる。

映画の終盤に、ヴァルダが白い服を来て座っているところに、海の映像が投影されているシーンが出てくる。それを観たときに、彼女は自分自身をスクリーンと捉えているのではないかと思った。アニエス・ヴァルダにとって映画とは、自分の周囲の人達の姿を切り取って自分を通して提示することなのかもしれない。

そしてそれは、見方を変えると、周囲の人達の描写を通して彼女自身について語っていることだとも言える。映画とは光の反射であるというようなことをこの映画の終盤で言っていたと思うが、彼女は周囲の人達の像を反射させることで自分自身を表現しているのだ。

なぜ、彼女はそのような表現に至ったのだろうか。この自伝的映画を見ると、表現者としてのアニエス・ヴァルダの歴史は美術学校から始まり、写真に出会って写真家になり、映像作家になるという道をたどっている。初期の段階でシュールレアリズムに接し、写真家として周囲の人達の像を捉える経験を重ねたことが、映像作家としての彼女の礎になっていることは間違いない。

そして、19歳のときに家出をして、南仏の漁村で漁師の手伝いをして3ヶ月を過ごしたというエピソードも興味深い。これによって彼女は「自分は強い女になった」といい、彼女にとって大きな転換点になったようだ。この一言だけではどう変わったのかは判然としないが、人と出会って変わったということは、出会った人が自分を意味づけると言い換えることもできる。そこから彼女は出会った人々、自分に影響を与える人々こそが自分を定義していると考えるようになったのではないだろうか。

そうして彼女は、人々の姿を切り取る映像作家になった。彼女の作品について私は繰り返し「アンチクライマックス」ということを言ってきたが、それは人の姿を切り取った断片を組み合わせることによって作品ができあがっているからだ。断片化されたものの集積によってできた物語にはクライマックスが生まれにくい。

断片化から生まれる受け手の物語

映画の中に写真展を開催する(現在の)シーンがあるのだが、そこでヴァルダは敷石を直す職人を見ながら「敷石とは私の好きな断片化だ。まさに記憶の問題に対応する考え方」と言う。シュールレアリズムや映画の中でヴァルダが言及するピカソにおいても断片化は重要な意味を持つように、この断片化が彼女の現実の捉え方、現実を映画に表現する方法に影響を与えていることは間違いない。

断片化されたヴァルダの映画の魅力は、一つ一つの断片のどれかが観る人の興味を引き、興味を引いたものが観る人の中で集積されていくことでその人なりの解釈が出来上がっていくということだ。それは観る人によって見え方が違うということでもあるが、現実とはそういうものではないか。より現実らしい映画を作ることは、アニエス・ヴァルダが50年以上に渡ってやり続けてきたことだ。

そしてそれこそが私がアニエス・ヴァルダにひきつけられる最大の魅力でもある。この映画も彼女の人生を断片化して集積したものなので、退屈に思う人もいるかも知れない。しかし、私には興味深い断片が多すぎてここには書ききれないほどだし、そういう彼女の考え方、表現の仕方に共感する部分も多かった。

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人であり、50年以上にも渡って一線で活躍していると、巨匠扱いされがちだが、彼女の魅力はあくまで普通の人たちである観客に近いところで作品を作っているところであり、現実の手触りが感じられるところだ。そのことをこの自伝的映画で再確認することができた。

『アニエスの浜辺』
Les plages d’Agnès
http://www.zaziefilms.com/beaches/
2008年/フランス/113分
監督・脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:エレーヌ・ルヴァール、アレーネ・ネルソン
音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ、ステファン・ヴィラール

http://socine.info/wp-content/uploads/2019/04/beachesofagnes.jpghttp://socine.info/wp-content/uploads/2019/04/beachesofagnes-300x300.jpgishimuraFeaturedMovieアニエス・ヴァルダ,ドキュメンタリー
2019年3月29日に亡くなった映画監督アニエス・ヴァルダ。私も大好きな映画監督の一人でした。 しかし、意外と日本では知られていないのか、VODで映画を観られるわけでもなく、レンタルDVDも限られた作品しかなく、DVD化すらされていない作品もあり、関係する書籍を調べると皆無という状況でした。 そこで、追悼の意味も込めて電子書籍を作ることにして、一週間の突貫工事で昨日完成させることができました。 今日は、その最後に収めた『アニエスの浜辺』をお届けします。電子書籍用に新たに書いたもので、しかも最後ということで、そこまでの文脈の中で読んだほうが書いてあることに意味が理解しやすいので、書籍で読むことをおすすめします(宣伝ですが、本当です)。 映画の枠からはみ出ていく映画監督 まもなく80歳を迎えるアニエス・ヴァルダが自分の人生を振り返りながら、過去と現在を織り交ぜて綴る自伝的映画。 最初は浜辺に鏡を並べるシーン、スタッフを紹介したりしながら、いろいろな形の鏡をさまざまな置き方で浜辺に配置していく。完成すると風景がランダムに映り込み、現代アートのようで美しい。アニエス・ヴァルダは、晩年になって映画の枠に収まりきらないような現代アート的な分野に活動の幅を広げてきた。この浜辺のシーンはそんな彼女の活動を紹介するパートにもなっている。 映画の中にも、夫を亡くした女性たちのインタビュー映像を集めたインスタレーション作品を発表し、個展もやったというエピソードが登場するが、もはや彼女は映画館でみる映画を作る活動に縛られていないのだ。そして、この映画を見ると、彼女がそうやって映画という枠をはみ出していくのは自然な成り行きだと言うことがわかってっくる。 映画は浜辺のシーンに、子供時代の再現映像が入ってきて、自然と子供時代の話になっていく。彼女はベルギーブリュッセル生まれだが、家族で戦火を逃れて南仏のセットという港町の船で暮らすようになる。このセットの町や南仏という土地は彼女にとって重要な場所の一つとなったようで、デビュー作である『ラ・ポワント・クルート』もこの場所で撮られた。 このデビュー作にヴァルダは、地元の人達を数多く登場させていて、この映画にはその人たちが50年の時を経て登場する。この映画を観ていて思ったのは、ヴァルダは人を大切にするということだ。映画を撮るにあたっても大事なのは映る人であって、自分が撮りたい人を撮ることが彼女にとっては何より大事なのだ。 だから、彼女が映画を通して関わった人たちは今も彼女にとって大切な人たちであり、彼らの現在をフィルムに留めることは彼女には意味があるのだ。 彼女は1976年に、彼女が今も暮らすパリの家の近所の人たちを被写体にして『ダゲール街の人々(Daguerréotypes)』というドキュメンタリー作品を撮っている。その人たちは本当に普通の人たちなのだけれど、彼女にとっては大切な人たちで、その人達の映画を撮ることは彼女にとって大きな意味があったことがわかる。 『ダゲール街の人々』より 人の姿を切り取り映すスクリーン 映画を観進めていくと、自伝的映画のようでありながら、彼女自身のことはほとんど語られず、周りの人のことばかり話していることに気がついてくる。このことが、この映画と彼女の映画監督としての人生を解く鍵になる。 映画の終盤に、ヴァルダが白い服を来て座っているところに、海の映像が投影されているシーンが出てくる。それを観たときに、彼女は自分自身をスクリーンと捉えているのではないかと思った。アニエス・ヴァルダにとって映画とは、自分の周囲の人達の姿を切り取って自分を通して提示することなのかもしれない。 そしてそれは、見方を変えると、周囲の人達の描写を通して彼女自身について語っていることだとも言える。映画とは光の反射であるというようなことをこの映画の終盤で言っていたと思うが、彼女は周囲の人達の像を反射させることで自分自身を表現しているのだ。 なぜ、彼女はそのような表現に至ったのだろうか。この自伝的映画を見ると、表現者としてのアニエス・ヴァルダの歴史は美術学校から始まり、写真に出会って写真家になり、映像作家になるという道をたどっている。初期の段階でシュールレアリズムに接し、写真家として周囲の人達の像を捉える経験を重ねたことが、映像作家としての彼女の礎になっていることは間違いない。 そして、19歳のときに家出をして、南仏の漁村で漁師の手伝いをして3ヶ月を過ごしたというエピソードも興味深い。これによって彼女は「自分は強い女になった」といい、彼女にとって大きな転換点になったようだ。この一言だけではどう変わったのかは判然としないが、人と出会って変わったということは、出会った人が自分を意味づけると言い換えることもできる。そこから彼女は出会った人々、自分に影響を与える人々こそが自分を定義していると考えるようになったのではないだろうか。 そうして彼女は、人々の姿を切り取る映像作家になった。彼女の作品について私は繰り返し「アンチクライマックス」ということを言ってきたが、それは人の姿を切り取った断片を組み合わせることによって作品ができあがっているからだ。断片化されたものの集積によってできた物語にはクライマックスが生まれにくい。 断片化から生まれる受け手の物語 映画の中に写真展を開催する(現在の)シーンがあるのだが、そこでヴァルダは敷石を直す職人を見ながら「敷石とは私の好きな断片化だ。まさに記憶の問題に対応する考え方」と言う。シュールレアリズムや映画の中でヴァルダが言及するピカソにおいても断片化は重要な意味を持つように、この断片化が彼女の現実の捉え方、現実を映画に表現する方法に影響を与えていることは間違いない。 断片化されたヴァルダの映画の魅力は、一つ一つの断片のどれかが観る人の興味を引き、興味を引いたものが観る人の中で集積されていくことでその人なりの解釈が出来上がっていくということだ。それは観る人によって見え方が違うということでもあるが、現実とはそういうものではないか。より現実らしい映画を作ることは、アニエス・ヴァルダが50年以上に渡ってやり続けてきたことだ。 そしてそれこそが私がアニエス・ヴァルダにひきつけられる最大の魅力でもある。この映画も彼女の人生を断片化して集積したものなので、退屈に思う人もいるかも知れない。しかし、私には興味深い断片が多すぎてここには書ききれないほどだし、そういう彼女の考え方、表現の仕方に共感する部分も多かった。 ヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人であり、50年以上にも渡って一線で活躍していると、巨匠扱いされがちだが、彼女の魅力はあくまで普通の人たちである観客に近いところで作品を作っているところであり、現実の手触りが感じられるところだ。そのことをこの自伝的映画で再確認することができた。 https://youtu.be/mS2aT3r11yY 『アニエスの浜辺』 Les plages d'Agnès http://www.zaziefilms.com/beaches/2008年/フランス/113分監督・脚本:アニエス・ヴァルダ撮影:エレーヌ・ルヴァール、アレーネ・ネルソン音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ、ステファン・ヴィラール (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});
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