via:simplife

「タイニーハウス」って聞いたことありますか?

私は取材がきっかけでタイニーハウスを知ることになり、ここ何年か興味を持ち続けています。今回紹介するのは、取材で知り合ったタイニーハウスビルダーの竹内友一さんがプロデュースした『Simplife』という作品です。この作品の制作資金はクラウドファンディングで集められ、劇場公開という形は取らず全国上映キャラバンを皮切りに、全国で上映会を行っています。

タイニーハウスというのは要するに小さな家です。日本ではほとんどの人が小さな家に住んでいるのでイメージしづらいかもしれませんが、アメリカで大きな家をやめて小さな家に暮らすという動きが1990年代ころから起こりました。その多くは自動車で牽引することができるモバイルハウスで、好きなところに移動してそこで小さな暮らしをするというスタイルで、それが一つのムーブメントとなっていったのです。

映画の内容は、日本で暮らすアメリカ人のデヴィッドが3人の仲間とアメリカ西海岸を旅して、タイニーハウスに関わる人達のもとを訪ね歩くというものです。話を聞くのは、ムーブメントの先駆者の一人とも言えるジェイ・シェーファーや、モバイルハウスで旅をしながらジャーナリストを目指すカップル、昔は大きな設計事務所で働いていたという男性、タイニーハウスビルダー、タイニーハウスのコロニーで暮らす女性とそのコロニーの代表、大自然の中のタイニーハウスで暮らす家族など。それぞれがそれぞれのタイニーハウスに対する思いを語り、それが積み重なることでタイニーハウスの意味が浮かび上がっていくというストーリーです。

狭いことで密になる人間関係がもたらすのは

一番印象的だったのは、人里離れた大自然に暮らす家族でした。彼らは大きな家の暮らしを捨てて、キャンピングカーで数ヶ月暮らしたあと、山の中の土地に母屋となるタイニーハウスと子ども二人それぞれのキャビン、物置小屋などからなる「家」を構えました。基本的には家族全員で母屋で過ごし、子どもたちが一人になりたいときはキャビンで過ごすというスタイルのようです。そして、この家族はキャンピングカーで過ごし始めた最初の1ヶ月は大変だったと口をそろえて言います。どう大変だったのかは明確ではありませんが、狭い空間で過ごすようになったことによる衝突や軋轢があって、それを乗り越えることで今のいい関係を築くことができたということのようです。子どもたちのために独立したキャビンを作ったのも、おそらくそのことが理由なのでしょう。

タイニーハウスというのは、コンパクトで生活しやすい反面、一緒に暮らす相手との距離が近くなって関係が密になるという特徴があります。それが苦にならなければいいのですが、家族でも四六時中一緒にいれば嫌になることもあるわけで、広い家で暮らすよりも衝突は多くなると言います。

別の登場人物であるカップルは、女性は家で仕事をしていて、男性は毎日通勤して行っています。このことについて女性は「昼間は彼がいないから」という発言をします。ずっとそばにいられると仕事がはかどらないとか、いろいろな理由があると思いますが、やはり24時間365日狭い空間に一緒にいるというのはなかなか大変なものなのです。

タイニーハウスというからには当然、建物の話なので、狭い空間で暮らすことの物理的な大変さなどが問題になるかと思いきや、そのあたりのことはほとんど触れられることはなく、話題に上がるのはそこにどのような人間関係が出来上がるかということばかりだという印象を受けます。

タイニーハウスに必要なのは何かが欠けていること

それでは、一人暮らしのタイニーハウスはどうなのでしょうか。一人なので空間もあまりいらないし、自分だけの空間を持てるしいいことばかりではないかと思います。しかし、その場合でも快適に暮らすためにはタイニーハウスだけあればいいわけではないのです。登場するタイニーハウスのコロニーは、それぞれが暮らすタイニーハウスとみんなが共同で使う母屋からなっていると言い、ここで暮らす女性は母屋があることで、友だちを呼んでパーティをするときなんかに便利だという話をします。

最後に登場するディー・ウィリアムスは、アメリカのタイニーハウス・ムーブメントの伝説的な人物の一人ですが、友人の家の裏庭にタイニーハウスを置いてそこで暮らしています。その庭は隣の家ともつながっていて、2軒の家と1軒のタイニーハウスが一体となっているのです。そこでディーは家族の一員のように過ごします。

これは、タイニーハウスは一人暮らしであっても、そこで生活が完結し得ないものだということを意味します。タイニーハウスのコロニーはオープンエアのシェアハウスのようなものだし、ディーの暮らし方は昔の長屋のようにも思えます。

なぜそうなのか。

これは、そもそも「家」とは何なのかという問題につながっていきます。私たちは「家」をどう捉えるのか。そこで生活が完結する空間なのか、それともコミュニティにおける自分の拠点に過ぎないのか。

最近、コミュニティの重要性が叫ばれているのは、それぞれの家が独立していることの脆弱性が大規模な災害などによって明らかになってきているからだろうと思います。経済成長に伴って核家族化が進み、独立した小さな家が無数に並ぶ都市ができた。その都市のレジリエンスが問題になっているわけです。タイニーハウスは、生活が完結しない家であることによって必然的にコミュニティの一分になることを求め、それが全体のレジリエンスを高めるから、アメリカでムーブメントになったんだろうと思うのです。

タイニーハウスと日本とミニマリズム

このタイニーハウスムーブメントがそのまま日本にやってくるとは私には思えません。過密な都市ではタイニーハウスをもとにしたコミュニティを作ることは難しいと思うからです。しかし。地方であれば可能性はあるし、都市でもモバイルな小屋という形ではない小さな家が集まるコミュニティ(例えばシェアハウス)は広がっていくのではないかと思います。

そしてそれは、過剰な消費社会へのカウンターカルチャーとしてのミニマリズムへの日本的な入り口の一つとしても機能するのではないかという気もしています。日本ではどうしてもミニマリズム的生活を世捨て人とか昔に戻るものと捉えがちですが、タイニーハウスのようにシンプルさを追求した先にあるものと捉えれば、その障壁も超えやすいのではないかと思うのです。実際シェアハウスで暮らす若者は増えていますし、そのほとんどは消費社会への反発ではなく、その暮らしが心地よかったり安上がりだったりという理由によるものです。

そうやって、すべてのものを自分(たち)で所有して生活を完結させなくてもいいという思想が広がっていけば、それは自然と過剰な消費から離れていくことへとつながっていくだろうと思います。

タイニーハウスはイメージしやすい「形」でありながら、実際に重要なのはその思想で、タイニーハウスだと思って住めばそこはタイニーハウスなのです。

『Simplife』
2018年/日本/78分
監督:ベン・マツナガ
http://socine.info/wp-content/uploads/2018/06/simplife_4.jpghttp://socine.info/wp-content/uploads/2018/06/simplife_4-300x250.jpgishimuraMovie
「タイニーハウス」って聞いたことありますか? 私は取材がきっかけでタイニーハウスを知ることになり、ここ何年か興味を持ち続けています。今回紹介するのは、取材で知り合ったタイニーハウスビルダーの竹内友一さんがプロデュースした『Simplife』という作品です。この作品の制作資金はクラウドファンディングで集められ、劇場公開という形は取らず全国上映キャラバンを皮切りに、全国で上映会を行っています。 タイニーハウスというのは要するに小さな家です。日本ではほとんどの人が小さな家に住んでいるのでイメージしづらいかもしれませんが、アメリカで大きな家をやめて小さな家に暮らすという動きが1990年代ころから起こりました。その多くは自動車で牽引することができるモバイルハウスで、好きなところに移動してそこで小さな暮らしをするというスタイルで、それが一つのムーブメントとなっていったのです。 映画の内容は、日本で暮らすアメリカ人のデヴィッドが3人の仲間とアメリカ西海岸を旅して、タイニーハウスに関わる人達のもとを訪ね歩くというものです。話を聞くのは、ムーブメントの先駆者の一人とも言えるジェイ・シェーファーや、モバイルハウスで旅をしながらジャーナリストを目指すカップル、昔は大きな設計事務所で働いていたという男性、タイニーハウスビルダー、タイニーハウスのコロニーで暮らす女性とそのコロニーの代表、大自然の中のタイニーハウスで暮らす家族など。それぞれがそれぞれのタイニーハウスに対する思いを語り、それが積み重なることでタイニーハウスの意味が浮かび上がっていくというストーリーです。 狭いことで密になる人間関係がもたらすのは 一番印象的だったのは、人里離れた大自然に暮らす家族でした。彼らは大きな家の暮らしを捨てて、キャンピングカーで数ヶ月暮らしたあと、山の中の土地に母屋となるタイニーハウスと子ども二人それぞれのキャビン、物置小屋などからなる「家」を構えました。基本的には家族全員で母屋で過ごし、子どもたちが一人になりたいときはキャビンで過ごすというスタイルのようです。そして、この家族はキャンピングカーで過ごし始めた最初の1ヶ月は大変だったと口をそろえて言います。どう大変だったのかは明確ではありませんが、狭い空間で過ごすようになったことによる衝突や軋轢があって、それを乗り越えることで今のいい関係を築くことができたということのようです。子どもたちのために独立したキャビンを作ったのも、おそらくそのことが理由なのでしょう。 タイニーハウスというのは、コンパクトで生活しやすい反面、一緒に暮らす相手との距離が近くなって関係が密になるという特徴があります。それが苦にならなければいいのですが、家族でも四六時中一緒にいれば嫌になることもあるわけで、広い家で暮らすよりも衝突は多くなると言います。 別の登場人物であるカップルは、女性は家で仕事をしていて、男性は毎日通勤して行っています。このことについて女性は「昼間は彼がいないから」という発言をします。ずっとそばにいられると仕事がはかどらないとか、いろいろな理由があると思いますが、やはり24時間365日狭い空間に一緒にいるというのはなかなか大変なものなのです。 タイニーハウスというからには当然、建物の話なので、狭い空間で暮らすことの物理的な大変さなどが問題になるかと思いきや、そのあたりのことはほとんど触れられることはなく、話題に上がるのはそこにどのような人間関係が出来上がるかということばかりだという印象を受けます。 タイニーハウスに必要なのは何かが欠けていること それでは、一人暮らしのタイニーハウスはどうなのでしょうか。一人なので空間もあまりいらないし、自分だけの空間を持てるしいいことばかりではないかと思います。しかし、その場合でも快適に暮らすためにはタイニーハウスだけあればいいわけではないのです。登場するタイニーハウスのコロニーは、それぞれが暮らすタイニーハウスとみんなが共同で使う母屋からなっていると言い、ここで暮らす女性は母屋があることで、友だちを呼んでパーティをするときなんかに便利だという話をします。 最後に登場するディー・ウィリアムスは、アメリカのタイニーハウス・ムーブメントの伝説的な人物の一人ですが、友人の家の裏庭にタイニーハウスを置いてそこで暮らしています。その庭は隣の家ともつながっていて、2軒の家と1軒のタイニーハウスが一体となっているのです。そこでディーは家族の一員のように過ごします。 これは、タイニーハウスは一人暮らしであっても、そこで生活が完結し得ないものだということを意味します。タイニーハウスのコロニーはオープンエアのシェアハウスのようなものだし、ディーの暮らし方は昔の長屋のようにも思えます。 なぜそうなのか。 これは、そもそも「家」とは何なのかという問題につながっていきます。私たちは「家」をどう捉えるのか。そこで生活が完結する空間なのか、それともコミュニティにおける自分の拠点に過ぎないのか。 最近、コミュニティの重要性が叫ばれているのは、それぞれの家が独立していることの脆弱性が大規模な災害などによって明らかになってきているからだろうと思います。経済成長に伴って核家族化が進み、独立した小さな家が無数に並ぶ都市ができた。その都市のレジリエンスが問題になっているわけです。タイニーハウスは、生活が完結しない家であることによって必然的にコミュニティの一分になることを求め、それが全体のレジリエンスを高めるから、アメリカでムーブメントになったんだろうと思うのです。 タイニーハウスと日本とミニマリズム このタイニーハウスムーブメントがそのまま日本にやってくるとは私には思えません。過密な都市ではタイニーハウスをもとにしたコミュニティを作ることは難しいと思うからです。しかし。地方であれば可能性はあるし、都市でもモバイルな小屋という形ではない小さな家が集まるコミュニティ(例えばシェアハウス)は広がっていくのではないかと思います。 そしてそれは、過剰な消費社会へのカウンターカルチャーとしてのミニマリズムへの日本的な入り口の一つとしても機能するのではないかという気もしています。日本ではどうしてもミニマリズム的生活を世捨て人とか昔に戻るものと捉えがちですが、タイニーハウスのようにシンプルさを追求した先にあるものと捉えれば、その障壁も超えやすいのではないかと思うのです。実際シェアハウスで暮らす若者は増えていますし、そのほとんどは消費社会への反発ではなく、その暮らしが心地よかったり安上がりだったりという理由によるものです。 そうやって、すべてのものを自分(たち)で所有して生活を完結させなくてもいいという思想が広がっていけば、それは自然と過剰な消費から離れていくことへとつながっていくだろうと思います。 タイニーハウスはイメージしやすい「形」でありながら、実際に重要なのはその思想で、タイニーハウスだと思って住めばそこはタイニーハウスなのです。 https://vimeo.com/253970408 『Simplife』 2018年/日本/78分 監督:ベン・マツナガ
Share this: