画像提供:映画「バレンタイン一揆」より

今日はバレンタインデー。バレンタインデーといえばチョコというのはお菓子メーカーの戦略だということはもうみんなが知っているが、サンタクロースが赤くなったのはコカ・コーラの戦略だというのと同じで、もはや理由なんてどうでもよく、美味しくチョコを食べられればいいのだ。

しかし、資本主義経済によって生み出されたバレンタイン=チョコという構図を今の時代のソーシャルな文脈で捉えるとどうなるだろうか?チョコをあげるーもらうという場面だけでなく、そのチョコがどこからやってきたかまで考えると、今の時代のバレンタインの考え方がもう少しわかってくるのではないか。

今日紹介する『バレンタイン一揆』は、バレンタインをぶち壊そうという映画ではなく、バレンタインを現代的に考え直そうという女子たちが主人公の映画だ。

女子高生と女子大生がアフリカでフェアトレードを学ぶ

高校3年生のまほちゃんとアリカ、大学2年生のこっちゃんの3人はNPO団体のワークショップで出会い、「児童労働」について知るためにケニアへと向かう。現地ではまず首都で現状について勉強、その後10時間をかけて僻地のカカオ生産地へ旅をする。NPO団体の活動の結果、児童労働の根絶に成功したその村で彼女たちは子どもたちに話を聞き、実際の労働を体験する。そして、ケニアで「児童労働」と「フェアトレード」の問題を知った彼女たちは、日本に帰ってきて「バレンタイン一揆」という啓蒙活動を始める。

映画は3人の女子がケニアに降り立つところから始まる。NPOのワークショップに参加するくらいだから、いわゆる「意識の高い」若者たちで、現地のNPOの人の話にも熱心に耳を傾ける。そして若いから元気もある。車で10時間と説明される僻地のカカオ生産地の旅も難しいものにはならず、現地でも彼女たちは精力的に活動する。実際に児童労働を経験していたという15歳の少年の話を聞き、実際に彼がやっていたという仕事も体験する。

画像提供:映画「バレンタイン一揆」より

さらにこどもを働かせていたのをやめて学校に行かせるようにした家族を訪ね、彼らがチョコレートというものを食べたことがないと聞いて驚き、日本から持参した「ガーナチョコレート」を食べさせる。最後は学校に行き、熱心に勉強をし熱く夢を語る子どもたちと話す。この前半部分がいいのは、彼女たち3人が対象となっているケニアの人達と観客の間のフィルターになっているところだ。単にカメラが村を訪れ村人たちの生活を写しとるのではなく、子供たちに年齢の近い3人の女の子たちの目を通してケニアの人達のことを見つめることができる。

だから、学校を尋ねた時にこっちゃんが「あなたの夢はなんですか?」と聞かれ言葉に詰まる場面で見ている私たちも「うっ」と言葉に詰まる。そしてケニアの子供たちと日本の子供たちを比較せずにはいられなくなる。今の豊かな日本の若者たちはいったい幸せなのだろうかと。

そのような前半部分があるので、後半こっちゃんを中心に彼女たちが「バレンタイン一揆」という児童労働の問題とフェアトレードについての知識を広めようという活動を始めると、素直にそれを応援できる。豊かさを享受している若者たちが、それが成り立っている背景に搾取が存在していることを知ること、それが彼女たちにとって一つの夢となるからだ。後半部分では彼女たちは対象であり、私たちはカメラを通して彼女たちの活動を眺める傍観者になってしまうので、感情的な部分では前半ほど面白みはないけれど、しかしほっこりとした気分になる。

画像提供:映画「バレンタイン一揆」より

バレンタインとフェアトレードのこれから

「フェアトレード」というのは生産者などに正当な対価を払う公正な貿易のことを言うわけだが、世にあふれるチョコレートの内どれだけが「フェアトレード」の物といえるのだろうか?この映画が製作された2012年からは5年の歳月が経っているので、多少良くはなっているだろう。特に、名のあるショコラティエの名前で売り出される高級チョコレートなどは、産地にこだわり「ビーンズ・トゥ・バー」などと付加価値を付けて売り出されているので、生産者と直接取引をしていることなども多いだろう。

しかし、そうではない大量生産のチョコレートはやはり今でもとてもフェアトレードとは言えない流通によって日本にやってくるものも多い。なぜなら、チョコレートの原料であるカカオ豆の買い上げ価格は国際相場の価格と連動しているからだ。

この映画は、そのような事情を知らない人たちにとって、フェアトレードについて知る教科書的な作品になっている。

ただ、こういう問題提起的なドキュメンタリー映画を観ていつも悩ましく思うのが、この「問題」についての知識の差が映画を面白いと思えるかどうかを左右してしまうということだ。この映画の場合、前半部分からずっとナレーションでそこで起こっていることや彼女たちが経験していることについてしっかりと説明をしている。わかっている人は、わざわざ説明してもらわなくても映像や彼女たちの表情や現地の人達の言葉でかなりのことがわかるし、それに限定したほうが臨場感やリアリティが出て、より「共感」しやすくなるはずだ。

画像提供:映画「バレンタイン一揆」より

しかし、わからない人にとっては、そのような基本的ことこそが必要で、それがなければ映画全体を理解できなくなってしまう。後半部分でこっちゃんはたびたび「うまく伝えられない」ということを感じる。彼女はフェアトレードと児童労働の問題について多くを知り、さらには現地に行ったことで感情的にも「共感」をしているわけだが、彼女が声をかける人たちは彼女が一生懸命伝えようとしている問題のその背景を理解していないために彼女がいくら一生懸命説明しようとしてもその話が理解できないわけだ。

つまり、この映画は、彼女の話が「伝わらない」人たちに向けて、彼女の想いが伝わるように作られた作品だということだ。

だから、フェアトレードやらなにやらに詳しい人にとっては冗長に感じられるのではないかと思う。しかし、日々の生活の中でフェアトレードや児童労働について考えることはあまりないのが、この映画を観たのをきっかけにしてチョコレートやコーヒー豆を買うときに、フェアトレードについて改めて考えるようにあるかもしれない。その意味では、知らない人だけでなく知っている人にとっても、フェアトレードについて伝える映画になっているということだ。

だから、この映画は見た人の「これから」のバレンタインに意味を持つ映画で、それは行き過ぎたグローバル経済に対抗するようなバレンタインのあり方を模索するということなのかもしれない。ただ、DVDの販売は学校教育用DVDのみで、個人で観られるのは上映会しかないのが残念なところ。

『バレンタイン一揆』
2012年/日本/64分
監督: 吉村瞳
撮影: 小林聡
音楽: 中村公輔
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画像提供:映画「バレンタイン一揆」より 今日はバレンタインデー。バレンタインデーといえばチョコというのはお菓子メーカーの戦略だということはもうみんなが知っているが、サンタクロースが赤くなったのはコカ・コーラの戦略だというのと同じで、もはや理由なんてどうでもよく、美味しくチョコを食べられればいいのだ。 しかし、資本主義経済によって生み出されたバレンタイン=チョコという構図を今の時代のソーシャルな文脈で捉えるとどうなるだろうか?チョコをあげるーもらうという場面だけでなく、そのチョコがどこからやってきたかまで考えると、今の時代のバレンタインの考え方がもう少しわかってくるのではないか。 今日紹介する『バレンタイン一揆』は、バレンタインをぶち壊そうという映画ではなく、バレンタインを現代的に考え直そうという女子たちが主人公の映画だ。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
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