「NNNドキュメント」公式サイトより

2月5日に日本テレビで放送された「お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」は、本当に素晴らしいドキュメンタリーだった(再放送は2月12日、BS日テレで)。タイトルからは、原発事故についてのドキュメンタリーのように見えるが、本質はジャーナリズムと民主主義に関するものだ。

ちょうどその数日前、NHK BSで『すべての政府は嘘をつく』をやっていて、独立ジャーナリストについて考える機会があったので、それと見事につながってどうしてもこれは考えて、書いて、伝えなければならないという思いに至った。

不都合な真実を明るみに出す

さて、この55分のドキュメンタリーは日本テレビが1970年から放送している「NNNドキュメント」で従来の30分枠を55分に拡大して放送された。アコーディオンと針金を使って漫才をする夫婦コンビ「おしどり」が福島第一原発事故後、東京電力の記者会見に通いつめ、他のメディアがしないような質問をぶつけ、独自の報道を行ってきた6年近くが描かれている。記者会見ではマコさんが質問をし、ケンさんが撮影と書き起こしを担当、それを元にマコさんが記事を書く。予想通り最初は相手にされなかった2人だが、マコさんの猛勉強と適切な質問によってジャーナリストとして認められ、いまでは国際会議に参加したり、講演を行ったり、Days Japanの編集委員も務める立派なジャーナリストになった。

福島第一原発 *作品とは関係ありません photo by naturalflow

この作品の対象となっているのは、あくまで原発事故だが、決して反原発や脱原発を訴える作品ではない。おしどりが伝えようとしているのは、原発事故は今も続いていること、そしてそれにもかかわらず表に出ない情報が多すぎることであり、このドキュメンタリーはそれを伝えようとする彼らを通してジャーナリズムについて伝えようとする。

マコさんの質問によって明らかにされていなかったことが公表されたという事例が作品の中にいくつも登場し、それは本当に感服するしかないし、それを実現する行動力に感動する。一つ例を挙げると、福島の子供たちの甲状腺の被ばく線量を計った検査の結果が保護者に伝えられていなかったという問題。東電としては隠しているつもりはなかったのかもしれないが、それは伝えられるべき情報であり、指摘されて数ヶ月が経ってようやく伝えられたというのはやはり問題があると言わざるをえない。

これに象徴される、別に隠しているわけではないけれど公表されていない事実、これが今の社会とメディアの問題を象徴している。公表されない、メディアが伝えない、みんなに伝わらない、という過程を経てその事実の存在は闇の中に置かれたままになる。指摘されれば、隠したつもりはなかったといって公表する。このような構図があらゆる「不都合な真実」について存在しているような気がする。

大手メディアは権力と隠し事をする

『すべての政府は嘘をつく』を見ても思ったが、政府は嘘をついてるというよりは隠し事をしている。大衆に無知でいてもらうために不都合なことは隠し続けるのだ。最近の日本のニュース、豊洲問題やら自衛隊の日報の問題やらをみても同じことがずーっと繰り返されている。

『すべての政府は嘘をつく』 © 2016 All Governments Lie Documentary Productions INC.

そして、それに加担しているのが大手メディアだ。それは、マコさんが東電の記者会見に参加することを決めたというエピソードにも表れていた。マコさんは、震災後、毎日ネットで東電の記者会見を見て、それを書き起こしていたという。その時、自分が聞きたい質問をしてくれる記者さんが珍しく当てられて質問をすると、他の記者から妨害のようなものを受けていたのを何度も見たと言う。SPA!の編集者も会社に所属するジャーナリストとフリーのジャーナリストの軋轢という話をしていたが、大手メディアはこうして真実を隠す手伝いを(無意識かもしれないが)しているのだ。

さらに、それを支える構造が、福島の住民健康調査のエピソードで見えた。この住民健康調査の会議は最初非公開で、地元の記者クラブの記者だけに情報が提供されていたという。それにマコさんが風穴を開け、多くのジャーナリストと住民が傍聴するようになった。立場を異にする人たちの監視がなければ自分たちに不都合な情報は隠そうとするという構造は温存され続けていただろう。

もちろん、大手メディアの全ての記者がそうだというわけではないだろうが、そのような構造が存在し、それに取り込まれてしまうと、情報隠しに加担してしまうことになるということをこの作品は私達に教えてくれる。

誰にでもできる

そして、この作品がさらに素晴らしいのは、そのようにして隠蔽構造に風穴を開けるマコさん自身が、6年前までそんなことを知りもしなかったということだ。それはつまり、誰でもやろうと思えばそれができるということだ。

マコさん自身「自分で知って調べること、それは誰でもできる」ということを言う。つまり、情報は見えないところにあるけれど、調べれば出てくるし、それをもとに自分で考えれば真実に手が届くということだ。これはまさに、『すべての政府は嘘をつく』で語られていたI.F.ストーンのやっていたことと同じことではないか。

さらにマコさんは「色んな人が、いろんなことをやったらいい」と言うようなことも言う。みんながそれぞれ自分の興味関心に従って、調べて、考えて、それを伝えていく、沢山の人がそれをやっていけば、隠されていた真実はどんどん私たちの手元に戻ってくるのだ。そしてその先には、より自由で民主的な社会があるはずだ。

そして、ケンさんはそこで「僕は料理を作る」という。ケンさんはマコさんが忙しくなってから、料理担当になった。ケンさんがいなければ、マコさんは今のように活動することはできていないだろう。ケンさんの存在は、私たちに未来に貢献する様々な可能性を見せてくれる。直接、社会を良くする活動でなくとも、自分にできることをやることことこそが大切なのだと言ってくれているような気がするのだ。

『人生フルーツ』なんかを見ていても、本当に素晴らしい人というのは、ただ自分にできることをやっているだけだというようなことを言う。背伸びをしてひとりですごいことを成し遂げてやろうとしてもそんなのはうまくいかない。一人一人が自分にできることをやり、それが積み重なっていくしか社会が良くなっていく道はないのだ。

マコさんは本当にすごい、でもケンさんのやっていることも素晴らしいし、このような番組を制作することも素晴らしいことだ。

だから私はこの番組とおしどりのことを多くの人に伝えたいし、だれでもそのようにして社会に貢献することができる。なんだかこんなことを書くのは面映いけれど、そんな率直な気持ちにさせてくれる作品だった。

終盤に、おしどりを平和・協同ジャーナリスト基金賞に推薦した先生が引用した井上ひさしさんの「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」という言葉も印象的で、面白くはできなかったけれど、なるべくやさしく深く書いてみた。

ishimuraStoryおしどり,ジャーナリズム,原発事故,民主主義
2月5日に日本テレビで放送された「お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」は、本当に素晴らしいドキュメンタリーだった(再放送は2月12日、BS日テレで)。タイトルからは、原発事故についてのドキュメンタリーのように見えるが、本質はジャーナリズムと民主主義に関するものだ。 ちょうどその数日前、NHK BSで『すべての政府は嘘をつく』をやっていて、独立ジャーナリストについて考える機会があったので、それと見事につながってどうしてもこれは考えて、書いて、伝えなければならないという思いに至った。 不都合な真実を明るみに出す さて、この55分のドキュメンタリーは日本テレビが1970年から放送している「NNNドキュメント」で従来の30分枠を55分に拡大して放送された。アコーディオンと針金を使って漫才をする夫婦コンビ「おしどり」が福島第一原発事故後、東京電力の記者会見に通いつめ、他のメディアがしないような質問をぶつけ、独自の報道を行ってきた6年近くが描かれている。記者会見ではマコさんが質問をし、ケンさんが撮影と書き起こしを担当、それを元にマコさんが記事を書く。予想通り最初は相手にされなかった2人だが、マコさんの猛勉強と適切な質問によってジャーナリストとして認められ、いまでは国際会議に参加したり、講演を行ったり、Days Japanの編集委員も務める立派なジャーナリストになった。 この作品の対象となっているのは、あくまで原発事故だが、決して反原発や脱原発を訴える作品ではない。おしどりが伝えようとしているのは、原発事故は今も続いていること、そしてそれにもかかわらず表に出ない情報が多すぎることであり、このドキュメンタリーはそれを伝えようとする彼らを通してジャーナリズムについて伝えようとする。 マコさんの質問によって明らかにされていなかったことが公表されたという事例が作品の中にいくつも登場し、それは本当に感服するしかないし、それを実現する行動力に感動する。一つ例を挙げると、福島の子供たちの甲状腺の被ばく線量を計った検査の結果が保護者に伝えられていなかったという問題。東電としては隠しているつもりはなかったのかもしれないが、それは伝えられるべき情報であり、指摘されて数ヶ月が経ってようやく伝えられたというのはやはり問題があると言わざるをえない。 これに象徴される、別に隠しているわけではないけれど公表されていない事実、これが今の社会とメディアの問題を象徴している。公表されない、メディアが伝えない、みんなに伝わらない、という過程を経てその事実の存在は闇の中に置かれたままになる。指摘されれば、隠したつもりはなかったといって公表する。このような構図があらゆる「不都合な真実」について存在しているような気がする。 会見終了。マコちゃんは半年以上同じ質問の回答を待っています。回答は「指摘は充分考えらるが、それを証言するデータ、調査結果はまだお出しできない。引き続き考察していきたいと思います」本当に調べてるのかな? pic.twitter.com/SGD9smTK2W— おしどり♂ケン (@oshidori_ken) 2016年9月5日 大手メディアは権力と隠し事をする 『すべての政府は嘘をつく』を見ても思ったが、政府は嘘をついてるというよりは隠し事をしている。大衆に無知でいてもらうために不都合なことは隠し続けるのだ。最近の日本のニュース、豊洲問題やら自衛隊の日報の問題やらをみても同じことがずーっと繰り返されている。 そして、それに加担しているのが大手メディアだ。それは、マコさんが東電の記者会見に参加することを決めたというエピソードにも表れていた。マコさんは、震災後、毎日ネットで東電の記者会見を見て、それを書き起こしていたという。その時、自分が聞きたい質問をしてくれる記者さんが珍しく当てられて質問をすると、他の記者から妨害のようなものを受けていたのを何度も見たと言う。SPA!の編集者も会社に所属するジャーナリストとフリーのジャーナリストの軋轢という話をしていたが、大手メディアはこうして真実を隠す手伝いを(無意識かもしれないが)しているのだ。 さらに、それを支える構造が、福島の住民健康調査のエピソードで見えた。この住民健康調査の会議は最初非公開で、地元の記者クラブの記者だけに情報が提供されていたという。それにマコさんが風穴を開け、多くのジャーナリストと住民が傍聴するようになった。立場を異にする人たちの監視がなければ自分たちに不都合な情報は隠そうとするという構造は温存され続けていただろう。 もちろん、大手メディアの全ての記者がそうだというわけではないだろうが、そのような構造が存在し、それに取り込まれてしまうと、情報隠しに加担してしまうことになるということをこの作品は私達に教えてくれる。 誰にでもできる そして、この作品がさらに素晴らしいのは、そのようにして隠蔽構造に風穴を開けるマコさん自身が、6年前までそんなことを知りもしなかったということだ。それはつまり、誰でもやろうと思えばそれができるということだ。 マコさん自身「自分で知って調べること、それは誰でもできる」ということを言う。つまり、情報は見えないところにあるけれど、調べれば出てくるし、それをもとに自分で考えれば真実に手が届くということだ。これはまさに、『すべての政府は嘘をつく』で語られていたI.F.ストーンのやっていたことと同じことではないか。 さらにマコさんは「色んな人が、いろんなことをやったらいい」と言うようなことも言う。みんながそれぞれ自分の興味関心に従って、調べて、考えて、それを伝えていく、沢山の人がそれをやっていけば、隠されていた真実はどんどん私たちの手元に戻ってくるのだ。そしてその先には、より自由で民主的な社会があるはずだ。 そして、ケンさんはそこで「僕は料理を作る」という。ケンさんはマコさんが忙しくなってから、料理担当になった。ケンさんがいなければ、マコさんは今のように活動することはできていないだろう。ケンさんの存在は、私たちに未来に貢献する様々な可能性を見せてくれる。直接、社会を良くする活動でなくとも、自分にできることをやることことこそが大切なのだと言ってくれているような気がするのだ。 先ほど終了。今日もぶら下がりの記者多数。 pic.twitter.com/rmlkP6ps5X— おしどり♂ケン (@oshidori_ken) 2017年2月2日 『人生フルーツ』なんかを見ていても、本当に素晴らしい人というのは、ただ自分にできることをやっているだけだというようなことを言う。背伸びをしてひとりですごいことを成し遂げてやろうとしてもそんなのはうまくいかない。一人一人が自分にできることをやり、それが積み重なっていくしか社会が良くなっていく道はないのだ。 マコさんは本当にすごい、でもケンさんのやっていることも素晴らしいし、このような番組を制作することも素晴らしいことだ。 だから私はこの番組とおしどりのことを多くの人に伝えたいし、だれでもそのようにして社会に貢献することができる。なんだかこんなことを書くのは面映いけれど、そんな率直な気持ちにさせてくれる作品だった。 終盤に、おしどりを平和・協同ジャーナリスト基金賞に推薦した先生が引用した井上ひさしさんの「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」という言葉も印象的で、面白くはできなかったけれど、なるべくやさしく深く書いてみた。