今日紹介する映画『人生フルーツ』は東海テレビ放送の劇場ドキュメンタリーシリーズの第10作。先日1月2日に公開されたばかりで、ぴあの満足度ランキングでも1位に輝いたという作品。

私はこの映画を試写で観て、これはどうしても東海テレビのドキュメンタリーシリーズを観なくてはと、スカパーに入った(詳しくはこちら)くらいに面白かった。

この映画は高蔵寺ニュータウンという名古屋郊外のニュータウンの一角に、雑木林で囲まれた平屋を建ててそこで暮らす、90歳と87歳の夫婦の日常を描いた作品である。映画としては、ニュータウンで雑木林を育て、畑を作ってスローライフを送る老夫婦という部分が売りというか、そのスローライフや丁寧な生活というものがもてはやされているから、それを作品のイメージとして掲げているという風がある。実際、彼らのその生活にもスポットが当てられ、彼らの生き方から、今の大量生産大量消費の時代に対するアンチテーゼというべきメッセージを受け取るということもある。

しかし、この映画の本当の面白さは、そこではなく、そのような暮らしに表れる彼ら、特に夫の津端修一さんの「生き方」と、膨大な素材を見事な物語に仕上げている映画としてのストーリーテリングの妙にあるのだと思う。

© 東海テレビ放送

映画の後半に非常に印象的なエピソードがある。それは、夫婦が出版イベントのため台湾に渡るというもの。修一さんは、第二次大戦中に働いていた海軍で下働きをしていた台湾人青年たちと親しくしていて、その中のひとり陳清順さんとは特に親しくしていた。しかし、戦後、消息がわからなくなってしまい。最近になってようやく戦後すぐに陳さんが政治犯として処刑されていたことを知ったという。修一さんは、台湾に行った機会に、陳さんのお墓に向かう。そのお墓は小さな墓標がぽつんと立つだけのもので誰もお参りに来ていないのだけれど、修一さんはそこに、戦争中に陳さんに作ってもらって何十年も使ってきたという印鑑を埋める。そして涙を流す。

このエピソードから感じ取れるのは、修一さんが、立場を超えた個人としての関係をすごく大事にしてきた人だということだ。当時の植民地の台湾からやってきた若者と対等な関係を築き、70年がたっても彼のことを思い続ける。修一さんのこの生き方が示すのは、大事なのは「人との関わり方」だということではないか。この「人」を大事にする考え方は英子さんにも共通する。英子さんは月に1回名古屋に買い出しに行くが、その時には必ず馴染みの店員さんのところに行き、会話を楽しみながら買い物をする。物を買うにしても何にしても「人が大事だ」という英子さんは言う。

なぜニュータウンに雑木林を育てたのか?

この「人が大事」という要素と、夫婦が今のような暮らしを送るようになったことには実は関係がある。修一さんは高蔵寺ニュータウンの計画の担当者で、最初のマスタープランでは、もともと山だった地形がわかるような形で建物を配置し、緑あふれる風通しの良い「町」を作ろうとしていた。しかし、多くの人が家を求める時代でもあり、経済が優先され、山は崩され、規格化された直方体が並ぶいわゆる「団地」が出来上がった。

© 東海テレビ放送

津端さん家族は、出来上がった集合住宅に引っ越すが、しばらくして一角に土地を購入し、平屋を建て、雑木林を育て、畑を始める。映画の前半ではなぜそのような生活をおくるようになったか説明されないが、その狙いが「里山を取り戻す実験」だということが明らかになっていく。この「里山」というのは、土地造成で奪われた地形としての山であると同時に、新しい町には存在しない人と人との関わりが生まれる場をも意味している。つまり、修一さんはニュータウンにおいても人と人が関わり合う「里山」を作ることが可能かを実験しようとしていたのだ。

新しくできた町では、人間関係が希薄化することは予想できるし、それが今の都市の人間関係の希薄化にもつながっている。修一さんをそれを見越してか、ニュータウンに新しいコミュニティを築こうとしていたのかもしれない。スローライフとか農的生活とか、自給自足というと、「自然とは密接な関係をもつけれど、人との関係は希薄」というようなイメージを抱きがちだけれど、そのような生活を送る人こそ実は周囲とつながって支え合わなければよりよく生きていくことは出来ない。

都市生活似つかれた人たちが田舎に移住して農的生活を送るというのがブームのようになっているけれど、そのときに重要なのは実は移住した先の人たちとの関係だ。結局、どこでどのように生きても周囲の人達とより良い関係を気づかなければより良い生活は送れない。そんなことをこの映画からメッセージとして受け取った気がする。

単純に映画として面白い

そのように「生き方」を学ぶ意味で観るべき映画である。と同時に、単純に映画として面白い。まるで脚本があるかのようにエピソードが連なり、見事なストーリーが展開していく。中でも感心したのは、「もの」の使い方だ。冒頭から作物の名前を書いた「黄色い看板」が多数出てくる。これは修一さんが手作りしたもので、作物の名前だけでなく、色々なメッセージが書かれていたりするのだが、その中に鶏のための飲み水を入れた「水盆」というのもある。この水盆が小道具として最後までいい役割を果たす。あとは、あるシーンで旗が連なったガーランドのようなものが登場するのだが、これも終盤の重要なシーンで再登場し、言葉を使わずに、その意味を観客に推察させるという役割を果たす。

© 東海テレビ放送

そして物語の最後には、修一さんが人生の最期に設計した、佐賀の精神科病院のマスタープランが登場する。このプランは修一さんが高蔵寺では成し得なかった、自然を取り込み、人と人とが密接な関係を持てる場として設計されている。そして同時に津端さん夫婦とこの病院の人々との交流も描くことで「人との関係」を中心に据えた修一さんの人生を見事に描ききるのだ。

東海テレビのドキュメンタリーは本当にどれも素晴らしい。今月中にスカパーで10作品放送するので、『人生フルーツ』の前でも後でもぜひ観て欲しい。

『人生フルーツ』
2016年/日本/91分
監督:伏原健之
撮影:村田敦崇
出演:津端修一、津端英子

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今日紹介する映画『人生フルーツ』は東海テレビ放送の劇場ドキュメンタリーシリーズの第10作。先日1月2日に公開されたばかりで、ぴあの満足度ランキングでも1位に輝いたという作品。 私はこの映画を試写で観て、これはどうしても東海テレビのドキュメンタリーシリーズを観なくてはと、スカパーに入った(詳しくはこちら)くらいに面白かった。 この映画は高蔵寺ニュータウンという名古屋郊外のニュータウンの一角に、雑木林で囲まれた平屋を建ててそこで暮らす、90歳と87歳の夫婦の日常を描いた作品である。映画としては、ニュータウンで雑木林を育て、畑を作ってスローライフを送る老夫婦という部分が売りというか、そのスローライフや丁寧な生活というものがもてはやされているから、それを作品のイメージとして掲げているという風がある。実際、彼らのその生活にもスポットが当てられ、彼らの生き方から、今の大量生産大量消費の時代に対するアンチテーゼというべきメッセージを受け取るということもある。 しかし、この映画の本当の面白さは、そこではなく、そのような暮らしに表れる彼ら、特に夫の津端修一さんの「生き方」と、膨大な素材を見事な物語に仕上げている映画としてのストーリーテリングの妙にあるのだと思う。 © 東海テレビ放送 映画の後半に非常に印象的なエピソードがある。それは、夫婦が出版イベントのため台湾に渡るというもの。修一さんは、第二次大戦中に働いていた海軍で下働きをしていた台湾人青年たちと親しくしていて、その中のひとり陳清順さんとは特に親しくしていた。しかし、戦後、消息がわからなくなってしまい。最近になってようやく戦後すぐに陳さんが政治犯として処刑されていたことを知ったという。修一さんは、台湾に行った機会に、陳さんのお墓に向かう。そのお墓は小さな墓標がぽつんと立つだけのもので誰もお参りに来ていないのだけれど、修一さんはそこに、戦争中に陳さんに作ってもらって何十年も使ってきたという印鑑を埋める。そして涙を流す。 このエピソードから感じ取れるのは、修一さんが、立場を超えた個人としての関係をすごく大事にしてきた人だということだ。当時の植民地の台湾からやってきた若者と対等な関係を築き、70年がたっても彼のことを思い続ける。修一さんのこの生き方が示すのは、大事なのは「人との関わり方」だということではないか。この「人」を大事にする考え方は英子さんにも共通する。英子さんは月に1回名古屋に買い出しに行くが、その時には必ず馴染みの店員さんのところに行き、会話を楽しみながら買い物をする。物を買うにしても何にしても「人が大事だ」という英子さんは言う。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
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